甲山城(こうやまじょう)

 場所  広島県庄原市本郷町
 標高  384m
 比高  120m
 城主  山内氏
 別名  冑山城 嶋山城 兜山城




(余湖さんのHPから引用)

 

近くの駐車場に止めていざ攻城!!                    最初は舗装された道です(まだ城域ではありません)


  

古ぼけた看板がありました                           庄原は地毘の庄と言われていましたが由来が分かりました


  

円通寺です 国の重要文化財です 天井に龍の絵があります(雪舟作)   昭和46年に県史跡になっています

  

甲山城の矢竹                         いよいよ城域に突入します

  

このような小さな郭が200個以上あるらしいです(山が城塞化している)  石畳も発見!

  

三の丸 そこそこ広い 田園風景が見渡せる場所



三の丸からみた田園風景(地毘の庄)

   

三の丸から本丸を望む(比高は10mくらい)      三の丸にある井戸跡(埋もれて看板がないと分からない)

  

二の丸(一番広い) 特に目立ったものはない

  

二の丸から下にある郭(ここも広いと思うが直接は行かなかった)    二の丸の土塁跡

  

二の丸にあった艮神社跡(そんなに広くはない)現在は甲山南麓にある

  二の丸から麓の堀切を望む

  

一の丸(本丸)中央部には櫓台がある                     (櫓台の石の残骸)ここから見たらかなり遠方まで見えたはず

  

櫓台から見た本丸 

 

二の丸から堀切を挟んで別の郭(二の丸と同じくらいの面積をもつが藪化のため見通しが悪い)   4郭

  

麓へ降りる途中の郭群 

  

円通寺の隣の墓所(山内家歴代の当主や親族の墓がある)
誰のかは不明ですが30個以上はありました

概要
甲山全山が城郭化している。1郭の中央には櫓台状の高まりがある。2郭の北東隅にも櫓台状の高まりがあり、現在甲山南麓にある
艮神社(別名「詰ノ丸八幡」)がかつてここにあったという。3郭は2郭の2m南下にあり、北西端に土塁がある。2郭、3郭のまわりには
土塁の痕跡が見られる。
4郭は2郭の北東下にあり北東隅に櫓台状の高まりがある。その下には二重の堀切と土塁を配す。
これらの郭郡の外側にも尾根上に郭群があり、北側に広がるものは格郭の規模が大きい。東と南に広がる郭群は山裾まで延びるが、
南側のものは加工度が低い、西側の郭群には菩提寺の円通寺があり、本堂は重要文化財に指定されている。
山内氏の本拠城である。



山内氏は相模国山内庄(現鎌倉市)を本拠地としていたが、通資のとき、地毘庄(高野、比和、庄原の一部)の地頭に任じられた。
 正和五年(1316年)、現在の高野町に蔀(しとみ)城を築いたが、戦略上から甲山城を築き文和四年(1355年)に移住した。
 成長して備後屈指の戦国大名になり、室町時代には毛利氏に並ぶ勢力になった。毛利氏の支配下になった天正十九年(1591年)二十世元資が広島城下に移るまで甲山城を居城とした。


看板より


山内氏@
山内氏A

家系図        
                                            多賀通続
                                              ・ 
                                              ・・・・・・・・・・隆通
                                              ・       ・
                                     ・・
直通女        ・
                                         ・             ・・・・・・・・・・・・・元通
山内通資・・道時・・道継・・道忠・・熈通・・時通・・泰通・・豊成・・直通・・・・豊通        ・       ・
                                             ・         ・       ・・広通・・・・・元資
                                             ・・・・・・・・・・・・豊通女
                                             ・      
                       毛利弘元・・・・・・毛利興元・・・・毛利興元女  
                               ・                    
                               ・・・毛利元就            



天正19年 1591年時点の知行
山内小補四郎 6746.98 総石高
(山内広通) 3651.94 備後 恵蘇
3095.04 備後 三上
山内善右衛門 12.5 総石高
(山内元通) 12.5 長門 豊束



歴史
鎌倉末期 山内道資が元亨年間(1321〜24)に築城  弟に蔀山城を譲り移動してくる
1536年 尼子経久に攻められて占拠される (山内直通は隠居させられて外孫の多賀山隆通に家督を譲る)
1540年 大内、毛利軍、尼子に攻めるも大敗北を喫す、毛利元就単騎にて逃走、山内を頼り庇護を求める 山内氏これを助け帰還させる
1553年 山内隆通が毛利氏に属するようになる
1554年 尼子晴久により攻められるが守り切る
1600年 関が原の戦いにより萩へ移動 廃城となる


エピソード
・山内家は源頼朝に弓をひいた先祖がいる
・備後屈指の戦国大名で宮氏と覇権を争っていた(最後は山内家が勝利する)
・庄原には地名で山内がある(本来苗字とはその土地の名前を付けるが、逆になっている)
・甲山城は尼子氏に占拠されたこともある(戦って籠城とかはしていない)
・毛利元就が渡辺勝を誅した時にその息子は山内家で保護され後に許されて毛利家に戻る(名前も山内家の通が与えられる)

感想
・毎度の事のように最初別の場所に行き迷いました
・山は整備されているので非常に分かりやすいです、郭がいろいろあるのでせめてもう少し標識があるといい
・三の丸からみた田園風景はのどかな感じです
・山が城塞化しているので郭は200以上あるらしい
・井戸の跡がありましたが、埋まっており普通では判別できない(掘ってほしい)
・4郭が藪化していたのが残念