いつかの未来


 ――カスパルは大丈夫だろうか。
 旅先の宿で就寝していた僕は、窓の外から聞こえてくる雨音に目を覚ました。
 大雨の日はだいたい雷も鳴っているから、雷が苦手なカスパルは雨が降るだけでも怯えてしまって、小さいころはよく僕の寝台に潜り込んでいた。
 そうしたところで雷が止むわけではないけれど、僕と一緒にいることでカスパルが安心できるのだと思うと嬉しかったんだ。
 隣の寝台で寝ていたはずのカスパルを見ると、僕よりも先に起きていたらしく、上体を起こしたまま敷き布の上に座っていた。
 やはり雨が気になって眠れないのだろうか。
 そう思ってカスパルの顔を覗き込んだ時、彼が泣いていることに気がついた。号泣するでも啜り泣くでもなく、ただ瞳のふちから涙が伝い落ちている。
「……どうしたの、カスパル? なにかあった?」
 僕はカスパルが使っている寝台まで移動して横に腰をかけた。雷が怖いとぐずるカスパルをあやしたときのように、頭を撫でたり額に口付けたりして彼の緊張をほぐしていく。
「いや、ちょっと嫌な夢を見ただけだ」
 カスパルは手の甲で涙を拭ったあと、ばつが悪そうに微笑んだ。
「……戦争の夢?」
 そう問いかけるとカスパルは小さく頷いた。
 嫌な夢――と聞いて、僕が真っ先に思いついたのが数年前に勃発したフォドラ統一戦争だった。
 当時、僕とカスパルは帝国を離れ、同盟軍の将として戦争に参加していた。たくさんの学友や同胞を殺したし、多くの仲間を失った。カスパルの父親も、全将兵の身の安全と引き換えに自ら首を差し出して死亡したと聞いている。
 その戦争が心の傷となり、戦争が終わったいまも心身に不調をきたしている人は多かった。不眠や食欲不振だけならまだいいほうで、中には幻覚や幻聴といった症状が現れている人もいる。
 カスパルはそういった心の不調とは無縁に見えるが、彼だって戦争で深い傷を負ったのだろう。
「……リンハルトがオレを守るために死ぬ夢だった」
 気分が落ち着いたカスパルはぽつぽつと夢の話をしてくれた。
 夢の中のカスパルは撤退する敵軍を追撃するために突出し、その結果として重傷を負ったらしい。僕はそのカスパルを転移魔法で後方に退避させたあと、敵を誘い込むために守備していた砦を開門し、囮となって死んだのだという。
「戦争中はさ、誰が死んでも……オレ自身が死んでも、仲間が殺されても仕方ないことだと思ってた。戦場に出てるってことは、そういう覚悟を持ってるってことだろ? だからオレも敵に情けをかける気はなかった」
 戦争なのだから仕方がない――ベルグリーズ家の武人として育てられたカスパルは、士官学校に在籍していた頃からすでにその覚悟ができていた。熱くて人情味のある性格なのに、そういう部分は妙に冷めているのがカスパルという人物だった。
「でも、敵を深追いして怪我したオレを逃がすためにリンハルトが死んじまったと思ったら、なんか……すごくつらかった。リンハルトはオレと違って冷静だから、オレが死んでもうまく立ち回ってくれるだろうと思ってたし、死ぬまで戦うなんてお前らしくないなって……はは、夢の話なのにな」
 お前らしくない――そう言われて、僕はふとメリセウス要塞での攻防を思い出した。
 子供のころ、カスパルと一緒にかくれんぼをして遊んでいたあの要塞は、フォドラ統一戦争のおりに戦場となった。懐かしい町並みは魔法や魔獣の攻撃で破壊され、最後には光の杭によって要塞も帝国軍の人々も粉々になってしまった。
 メリセウス要塞の守備には、ベルグリーズ家の誰かがつくことになっている。
 あのまま僕とカスパルが帝国軍の将として戦っていたのだとしたら、当時の当主であるレオポルドが遠征に赴いていた以上、メリセウス要塞の守備についていたのはカスパルだったのかもしれない。
 もし、僕がカスパルと一緒に出撃していたら、メリセウス要塞を守るために戦っていたら――僕は光の杭からカスパルを逃がすために、その夢のような行動を取ったのだろうか?
 ……取ったのかもしれない。カスパルの「戦いたい」という意思を無視してでも、カスパルを死なせたくないという自我を通して、彼を逃がしていたのかもしれない。
 僕らしくない、とカスパルは言うけれど。そう思うのだとしたら、カスパルは僕がどれほど君を想っているかきっと理解していない。
 たぶん、僕は君が思っているよりもずっと我儘で身勝手だ。
 君が戦場で死ぬことを望んでいたとしても、僕は君に生きていてほしいと願うし、君が僕の死によって心を痛めるのだとしても、僕の望みのために君を生かすだろう。僕の魔法は、君を守るためにあるのだから。
 帝国を裏切った僕たちは、家族と敵対することになり多くの友達を殺した。けれど、その結果としていまカスパルが生きているのだから、それでよかったんだ。そう思う僕はきっとひどいやつなのだろう。
「カスパル……僕は君の傍にいるよ。二人で生きるって約束しただろう?」
「ああ、そうだな」
 カスパルの体をそっと抱き寄せると、彼も僕の背中に手を回して甘えるように頬を擦り付けてきた。
 その頬に口付けを落として、かさついた彼の唇を軽く舌先で舐めてみる。カスパルはくすぐったそうな声を上げたあと、僕を見上げて苦笑いを浮かべた。
 そのまま深く唇を重ねて、お互いの吐息を奪い合うような長い口付けを交わす。そのうちカスパルの手が僕の後頭部へと回り込み、もっと欲しいとねだるように強く引き寄せられた。
 僕はカスパルの体を強く抱きしめながら、何度も角度を変えて彼を求めた。窓の外ではいまだに雨が激しく降りしきっているようだったけど、もう気にはならなかった。
「ん、はぁ……リンハルト、来てくれ」
 熱に浮かされた声でカスパルにそう囁かれて、正直少し驚いた。カスパルが自分から求めてくることはあまりないし、あったとしても生理現象の発露でしかない場合がほとんどだったから。
 珍しいね、君の方からなんて――などという意地悪が口をつきそうになってしまったけれど、さすがに今の状況でそれはないなと判断して口を閉ざす。代わりに、もう一度口付けをしてそれに応えた。
 カスパルの首筋に吸い付いて痕を残しながら、衣服の中に手を入れて胸元を探る。指先に引っかかる突起を摘み上げて刺激すれば、カスパルは鼻にかかった吐息を漏らして身を捩らせた。
「ふっ……ん……」
 逞しく鍛え上げられた胸筋を揉むように愛撫しながら、もう一方の手で下腹部に触れる。そこはすでに軽く立ち上がりかけていて、カスパルは恥ずかしげに身を震わせた。
 下衣をひっぱって脱がそうとすると、それに気づいたカスパルが腰を上げてくれる。その行為に甘えて、一気に下着ごと取り去った。
 カスパルだけ裸にさせるのも申し訳ないので、僕も服を脱いで寝台の下に放り投げる。皺になってしまうなとは思ったけど、行為の最中に服を畳むほど空気が読めないわけでもなかった。
「あっ……あ、リンハルト……いい……あっ」
 カスパルの性器を掌で包み込んで扱きつつ、乳首を口に含んで吸い上げる。性器の先端を親指で押し潰したり、竿を優しく握ったりしてやると、カスパルは僕の頭を掻き抱いて熱い声を上げた。
 カスパルが全力を出せば僕くらい簡単に絞め殺せるだろうけど、行為の最中にその手の危険を感じたことはない。性行為に不慣れなカスパルではあるが、無意識のうちに力加減をしてくれているのだろう。
 しばらくそうやって愛撫を続けているうちにカスパルは限界を迎えたらしく、ひときわ大きな声を上げると同時に僕の手の中に白濁を吐き出した。
 荒い呼吸を繰り返すカスパルの背中に手を回し、うつ伏せにするために力を込める。すると、にわかにカスパルが抵抗したので僕は手を止めた。
 嫌なのだろうか。それを確認するためにカスパルの顔を覗き込めば、カスパルは否定するように首を振った。それから僕を見上げてぽつりと口を開く。
「……今日は正面からがいい」
 意外な提案ではあったが、拒否されているわけでないことに僕は安堵した。カスパルは行為のときに顔を見られるのが恥ずかしいらしく、いつもは正面からの体位を嫌がっていたから。
 僕はカスパルの要望通りに体勢を整えて、ふたたび彼に覆いかぶさった。香油を手に取ってカスパルの後孔へと塗りつけると、カスパルは一瞬びくりと震える。だけど、すぐに体の力を抜いて受け入れてくれた。
 穴の周囲の皺を指の腹で伸ばすように按摩し、そこが柔らかくなったところで中指を差し入れる。
 もう何度も体を重ねているものの、カスパルのそこは未だに狭くて、なかなか思うようには広がってくれない。それでも根気よく解しているうちに、次第に二本目の指も入るようになった。
 カスパルは苦しそうな表情を浮かべていたけれど、何度か深く息を吐いたあと自ら足を広げて挿入しやすい体勢を取ってくれた。
 カスパルが僕を受け入れようとしてくれている。その事実が嬉しかった。だから、僕もできるだけ丁寧に、時間をかけて慣らしていった。
「……もう、大丈夫だ」
 三本目の指が容易に動かせるようになったあたりで、カスパルが行為の先を催促してきた。僕はカスパルの額に軽く口付けて、それから彼の両足を抱え上げる。
「挿れるよ」
「ああ……来てくれ」
 カスパルの言葉を受けて、僕はゆっくりとカスパルの中に入っていった。
 カスパルの体内は異物を押し出そうとするかのように腸壁を収縮させる。その動きに逆らって奥まで進むと、カスパルは眉間に皺を寄せて苦悶の表情を浮かべた。
「……痛い?」
 カスパルは黙って首を横に振る。
 まだ士官学校に通う学生だったころ、僕たちは学生寮で初めて体を重ねた。
 僕のものを受け入れるにはカスパルの体は小さすぎて、激痛を訴えて泣いてしまったのを覚えている。僕も髪をひっぱられたり皮膚に爪を立てられたりして大変だったけど、それでも彼はやめろとは言わなかった。
 何度も体を重ねるうちに少しずつ行為には慣れていったのだけど、受け入れる側であるカスパルの負担が大きいことに変わりはない。
 なんだか可哀想になって「今日はカスパルがする?」と提案したこともあった。するとカスパルは「リンハルトは痛いの嫌だろ? オレはリンハルトが嫌がることはしたくない」と返答して、かえって気を使わせてしまったのを覚えている。
 カスパルの呼吸が落ち着くのを待ってから僕は腰を動かし始めた。最初は緩やかに、中を広げるようにやんわりと動かしてから、徐々に速度を上げて抽挿を激しくしていく。
「んっ……んっ……あ……リンハルト……もっと……」
 カスパルの口から漏れ出る吐息は次第に熱を帯びていき、やがて切なげな声を上げるようになっていった。
 敷き布を掴んでいたカスパルの手を取り、絡めるように握って敷き布に縫い付ける。白くて骨ばっている僕の手とは違う、厚い皮膚と胼胝に覆われた無骨な武人の手だ。
 一騎当千の猛者であり、素手で人を殺すことも容易くできる彼が、こうして僕を受け入れてくれている。繋いだ手からその事実をまざまざと感じられて、なおのことカスパルが愛おしくなった。
「カスパル……好きだよ。君が欲しい。全部、欲しいんだ」
「んっ……はぁっ……ああぁっ!」
 カスパルの望むままに最奥を突き上げ続けると、次第にカスパルは絶頂の兆しを見せ始める。
 カスパルの性器が硬度を増していく様子を確認しながら、僕はカスパルの一番感じる部分を執拗に攻め立てた。
「ああっ! あっあっあっ……だめだ、そこっ……ああぁっ!」
 一際高い声でカスパルが鳴くと同時に、彼の性器から勢いよく白濁が飛び散る。同時に体内をきつく締め付けられて、僕のほうもカスパルの中で果ててしまった。

 しばらくのあいだ二人で抱き合って呼吸を整えたあと、僕はカスパルの中から萎えた性器を引き抜いた。カスパルは小さく体を震わせて、「んぅ……」と甘い吐息を漏らす。
 呼吸が落ち着いたカスパルは、寝台の上に寝転んで天井を見上げた。カスパルの隣に身を横たえてその顔を覗き込むと、カスパルは僕を見つめ返してふっと笑みを浮かべる。
「……お前もそんな顔するんだな」
 え、と言葉に詰まる僕を見て、カスパルはいつものように豪快に笑った。
「すごく不安そうな顔してたぞ? オレの夢の話を聞いてお前まで臆病風に吹かれちまったか?」
 カスパルは子供を宥めるように僕の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
「……そうだね。君は目を離すとどこかに行ってしまいそうだから」
 カスパルの頬に手を伸ばし、汗ばんでいる肌を撫でる。
「君が旅に出ると言い出したときも不安だったんだ。君はもう僕の元には帰ってこないんじゃないかって。だから、君についていくと決めた。なにせ君はガルグ=マクの戦いのあと五年も行方をくらましていたからね」
「それは……悪かったと思ってる。でも、あの時はオレもいろいろあったんだよ。今はもう勝手にどこかには行かないし、ずっとお前と一緒にいるつもりだぜ?」
 カスパルはくすぐったそうに目を細めてから僕の手に自分の手を重ねてきた。
「うん。わかってる。君の気持ちは疑ったりしていないよ」
 カスパルは「ならいいんだけどよ」と言って苦笑いを浮かべる。
「じゃあ、なんでまたそんな泣きそうな顔してたんだよ?」
「……ごめん。ただの感傷だよ。カスパルは僕を置いてどこにも行ったりしないって、頭では理解しているはずなのに。どうしても不安になってしまったんだ。カスパルが見た夢の話を聞いたせいかな」
 言いながら情けなくなってきて、僕はカスパルの肩口に額を押し付ける。カスパルはばつが悪そうに頬を掻いたあと、僕の背中に手を回して抱き寄せてきた。
 カスパルは弁舌が回らないほうだから、言葉で気持ちを伝えるのもへたくそだ。だけど、こうして行動で示してくれる彼の優しさに、僕はとても救われている。
「……カスパル。ありがとう」
 耳元に口を寄せて囁くと、カスパルは照れくさそうにはにかんで「おう」と応えた。
 僕はカスパルの体を強く抱きしめて、その体温を感じながら目を閉じる。
 きっと、いま僕たちがこうしていられるのは奇跡のようなもので、道を違えたいつかの未来では、カスパルが見た夢のような結末を迎える僕たちもいたのだろう。
 だからこそ、この幸せな時間が永遠に続くようにと願わずにはいられなかった。願い叶わず散ったいつかの僕たちのためにも、僕はこの幸せを享受しなければならない。
 それが、いつかの僕たちの手向けになることを願って。



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