今宵は片隅で


 ――リンハルトもさ、オレとそういうことしたいって思うことあるのか?
 旅先の宿でカスパルにそう訊ねられ、リンハルトは素直に答えた。僕は君を抱きたいと思っている、と。その上で、カスパルにその意思がないのであればそれを強要するつもりはないとも伝えた。
 幼なじみであり親友でもある二人は、旅先で少しずつ「友達」とは異なる関係になりつつあった。愛情を伝えたいときに口付けをしたり、手を繋いでみたり、時には抱き締め合ったりもした。
 ただ、その行為が恋人同士のそれなのかと言われるとリンハルトには自信がなかった。そもそもカスパルは他人に性的な欲求を抱かない性質のようだし、恋愛ごとには興味がないとはっきり口にしていたから。
 カスパルに好かれているという自負はあった。だが、それが自分がカスパルに向けている愛情と同種かどうかはわからない。そんな曖昧な関係のまま体を繋げるわけにはいかない。そう思っていたのだが――
「……やらねえの?」
 浴室から出てきたカスパルは、神妙な面持ちで寝台に腰掛けるリンハルトの顔を覗き込む。情事の前とは思えないほど緊張感のないその様子に、リンハルトの不安は募っていくばかりだった。
「カスパル、念の為に聞くけど、ちゃんと意味わかってるんだよね?」
 普段通りの平静さを装ってリンハルトは訊ねる。
 カスパルと体を繋げたいという気持ちは確かにあった。ただ、それはリンハルトにとってさして重要な事柄ではないのだ。カスパルがこのまま友人としての関係を望むのであれば、リンハルトはその欲求に蓋をし続けるつもりでいた。
「馬鹿にすんなよ、オレだって男同士の交合がどういうものかくらい知ってる」
 カスパルは不満げに眉根を寄せ、リンハルトの横にどかりと腰を降ろす。
 馬鹿にしているわけではない。カスパルは行為そのものは知っているようだが、行為によって互いの関係が変化してしまうことへの不安はないのだろうか。リンハルトはそれが訊きたかった。
「本当にいいの?」
「しつこいぞお前」
 カスパルは呆れたように言いながら、リンハルトの手に自分のそれを重ねた。風呂上がりのせいだろうか、いつもより少しだけ高い体温を感じてリンハルトの鼓動が高まる。
「僕は確かに君と深い仲になることを望んでいるけど……でも、こんなことしなくたって僕は君のことを嫌いになったりはしないよ」
「そんなことはわかってるよ。嫌なら最初から断ってる。オレの意思だよ、これは」
 カスパルは真っ直ぐにリンハルトの目を見つめてくる。水色の双眸に自身が映り込むことに耐えられず、リンハルトふたたび顔を背けた。
「怖がってんのはお前じゃないのか、リンハルト。お前が、オレに嫌われることを恐れてるんじゃないのか?」
「……それ、は」
 図星を突かれた気がしてリンハルトは言葉を失う。
 もしも自分が我を失うようなことがあって、カスパルに拒絶されたらと考えると恐ろしかった。いまの心地よい関係が崩れてしまうかもしれないと思うと、これ以上の関係に踏み出すことが億劫だったのだ。
「オレだってお前の望んでることは叶えてやりたいって思ってるんだぜ。だから、もっと欲張ってくれていいんだ。少なくともオレは、お前との関係が変わったところで後悔したりはしない」
 カスパルの言葉は明瞭で迷いがない。
 彼はとっくに覚悟を決めていて、リンハルトの気持ちを受け止めるつもりでいるのだろう。それはおそらく、リンハルトに意思を訊ねたときからだ。
 そうなのであれば、その気持ちを蔑ろにするのは不誠実というものではないだろうか。
 抑え込んでいたものが溢れ出しそうになる感覚に身を委ねるようにして、リンハルトはカスパルの腕を引いて唇を重ねる。
 最初は触れるだけの口付けだったが、すぐにそれだけでは足りなくなった。一度離れて、再び重ねる。口づけは次第に深くなり、熱い舌先が触れ合う感触に夢中になった。
 息継ぎの合間に漏れ出る吐息さえも飲み込むように、何度も口付けを繰り返す。カスパルの口からくぐもった声が上がるたびに体の奥底から熱い衝動が込み上げてきて、リンハルトはそのままゆっくりと幼なじみを寝台に押し倒した。
「僕にこうされるの、嫌じゃないかい?」
 カスパルが拒絶できるように、リンハルトはあえて逃げ道を用意したつもりだった。
 いざ押し倒される段階になって嫌悪感が湧いたというのであれば、そう言ってくれればいい。いまならほんの冗談だったのだと、笑って引き返せる段階のはずだから。
 だが、カスパルは小さく首を振って「嫌じゃねえよ」と答えた。
「お前こそどうなんだ? 途中で怖気付いたんじゃねえだろうな」
 カスパルは挑発的な笑みを浮かべ、膝頭でリンハルトの中心を刺激してきた。突然与えられた刺激に思わず腰を引くと、カスパルは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「……煽らないでくれないかな。加減できなくなっても知らないよ」
「加減できないとどうなるんだ?」
 カスパルは口角を上げたまま問い質す。言葉の意味がわからないというわけではなく、リンハルトがどう答えるかを試しているように見えた。
「どうって……乱暴にしてしまう、とか? もしかしたら、怪我をさせるかもしれない」
「お前がオレにそんなことするわけないだろ? お前、オレが怪我するのを嫌がるじゃねえか」
「……僕だって常に自分を制御できているわけじゃないんだよ。自分を失って君にひどいことをしてしまうこともあるかもしれない」
「別に、それでも構わねえよ」
 カスパルは両腕を伸ばし、リンハルトの首に回して引き寄せた。
「オレのこと信じろよ。お前がどんな顔を見せたって、オレはお前のこと嫌いになったりしねえ。隠してるもん、ぜんぶ見せてみろよ」
 耳元で囁かれた言葉に誘われるようにして、リンハルトはカスパルの体に覆い被さる。隠しているものをすべて見せて――それでも彼はいままでのように笑顔を向けてくれるのだろうか。
「本当に、いいんだね?」
「ああ」
 カスパルは迷いのない声で答える。そしてリンハルトの首に腕を回すと、顔同士がぶつかりそうなほどの距離まで引き寄せた。
「来いよ」
 薄く開いたカスパルの唇に誘われるまま口付けを落とす。何度か角度を変えて啄むようにした後、ゆっくりと舌先を押し込んだ。
 歯列をなぞり、上顎の裏側を舐める。互いの唾液を交換し合う水音が耳に届くたび、頭の芯が痺れるような心地良さを覚えた。
 口付けを交わしながら、リンハルトはカスパルの衣服を脱がせていく。日に焼けて小麦色になったカスパルの肌には無数の傷痕が浮かんでいた。
 これはガルグ=マクの戦いのときの、こっちはグロンダーズ会戦のときの――ひとつずつ思い出しながら指先で辿っていくと、カスパルはくすぐったがって身を捩らせる。
「なんだよ、リンハルト」
「……僕は君がいまここにいてくれることが本当に嬉しい」
 カスパルが生きて自分の目の前にいるという事実を確かめるように、リンハルトは首筋や鎖骨に口付けを落としていく。そのたびにカスパルはぴくりと体を震わせて小さく呻いた。
「僕も、あまりこういうのは慣れてないんだ。痛かったり苦しかったりしたら言ってほしい」
 リンハルトはカスパル胸に顔を寄せ、小さな突起を周囲の膨らみごと口に含む。
 最初は柔らかくふにゃりとしていたそれは、リンハルトの愛撫を受けて次第に硬度を増していった。弾力を帯びた突起を軽く吸い上げたり転がしたりするたびに、カスパルは上擦った声を上げる。
「あッ……!」
 空いた方の手でもう片方の突起を摘まんでみると、カスパルはひときわ大きな反応を示した。普段の彼からは想像できないような艶めいた声が聞こえてきて、リンハルトはごくりと唾を飲み込む。
「んっ……なんか、変だ」
 カスパルの声音は明らかに快楽を得ているときのそれだった。リンハルトは安堵するものの、カスパル自身は初めて味わう感覚に戸惑っているのか、不安げに瞳を揺らしている。
「気持ちいい? 悪い?」
「わかんねえ……」
 カスパルは素直だった。
 安心させるように水色の頭髪を撫でながら、リンハルトは再びカスパルの胸にしゃぶりついた。舌全体を押し付けるようにしてぐりぐりと押し潰すと、カスパルはびくんと背をしならせる。
「あっ! ……んんっ」
 ちゅうっと強く吸ってから口を離し、今度は反対側を同じように可愛がる。両方の乳首を交互に責められているうちに、カスパルの呼吸はどんどん荒くなっていった。
 カスパルが嫌がる素振りを見せていないことを確認しながら、リンハルトはカスパルの下肢に手を伸ばす。そこはすでに張り詰めていて、先端から透明な液体を滲ませていた。
「ここ、触ってもいいかい?」
「いちいち訊くなよ、そういうの……」
 気恥ずかしそうに目を逸らすカスパルを見て、リンハルトは思わず苦笑した。
「ごめん、そうだよね」
 リンハルトはカスパルのものを掌でそっと包み込み、そのままゆっくりと上下に扱き始めた。
 他人に触れられることに慣れていないのだろう。数回手を動かしただけでカスパルは達してしまった。どろりとした体液が掌に広がる感覚に、リンハルトの下腹部がじわりと熱を帯びてくる。
 絶頂を迎えたばかりのカスパルの顔はとても淫らだった。普段は決して見ることのできない表情を目の当たりにしたリンハルトは、衝動に任せてしまいそうになる自分をなんとか抑え込む。
「大丈夫? この辺にしておくかい?」
「……嫌だ」
 カスパルは拗ねたような声で呟いた。
「まだ続きがあるんだろ。最後までしろよ」
「本当に大丈夫?」
「何度も言わせるなって。嫌なら最初から言い出してねえよ」
 カスパルの言葉を聞いてリンハルトも覚悟を決めた。
 寝台の脇にある棚から香油の入った小瓶を取り出し、中身を掌に取って体温で温める。カスパルは何をされるか察したようで、大人しくされるがままに身を委ねていた。
「なるべく優しくするからね」
 カスパルの後孔に中指をあてがい、ゆっくりと挿入していく。カスパルは小さくうめき声を上げて眉根を寄せたが、痛みを訴えてくることはなかった。
「平気?」
「ああ」
「動かすよ」
 ひとつひとつカスパルに確認を取りながら、リンハルトは慎重にそこをほぐしていく。
 最初は浅いところで抜き差しを繰り返し、徐々に奥へと侵入させていく。内壁を傷つけないように気を付けながら指を増やしていき、時間をかけて丁寧に解していった。
「……ッ、んぅ」
 カスパルは時おり苦しそうな声を上げていたが、痛いともやめろとも言わなかった。きっと、気持ちよくはないだろう。それでもカスパルはリンハルトを受け入れようとしてくれている。
 三本の指が入るようになった頃合いを見計らい、リンハルトはカスパルの中からそっと指を引き抜いた。
 すっかり息の上がった様子のカスパルを抱き締めると、彼の心臓の音が触れ合った胸板から伝わってくる。カスパルの鼓動は少し速くて、緊張しているのが自分だけではないのだとリンハルトは悟った。
「……いいかな?」
 耳元で囁くように尋ねると、カスパルはこくりと首肯した。
「君の体に負担をかけたくないんだ。だから無理はしないでほしい。少しでも辛かったり痛かったりしたらすぐに言って」
 念を押してから、リンハルトは怒張した自分のものをカスパルの秘部にあてがう。カスパルは一瞬だけ体を強張らせたが、すぐに力を抜いて大きく息をついた。
「いくよ」
「ん……ッ!」
 狭い肉を押し広げて、リンハルトの亀頭が少しずつカスパルの中に入っていく。慣れない質量にカスパルは顔を歪めているが、それでも懸命に耐えてくれていた。
 苦しいのはリンハルトも同じだった。初めて男を受け入れるそこは狭くてきつくて、いまにも引き千切られそうだ。カスパルのそこが馴染むのを待ちながら、リンハルトは時間をかけてゆっくりと根元まで埋めてゆく。
 ようやくすべてが収まり切った頃には、二人とも汗まみれになっていた。
「……大丈夫かい? 動いても、いいかな」
 リンハルトは息を荒らげるカスパルの前髪を掻き上げ、汗ばんだ額にそっと唇を落とす。
「ん……来いよ……」
 カスパルの呼吸が落ち着くまでしばらく待ってから、リンハルトはゆっくりと腰を動かし始めた。最初は馴染ませるように軽く揺さぶるだけだったが、カスパルの反応を見ながら次第に動きを大きくしていく。
「あっ……! はぁっ……ん」
 律動に合わせてカスパルの口から漏れ出る吐息は、だんだんと熱を帯びていった。苦痛の色は次第に失せ、代わりに快楽を得ているかのような甘い声が混じり始める。
 リンハルトはカスパルの脚を抱え上げ、さらに深いところへ届くように激しく突き上げた。奥を穿たれる感覚にカスパルの体がビクリと震え、筋肉質な脚がリンハルトの腰に絡みつく。
「カスパル、好きだよ」
「んっ……オレも……ッ、あッ!」
 カスパルの中はきつかったが、リンハルトのものにぴったり吸い付いてくるような感覚が心地良かった。抽挿を繰り返すたびに結合部からぐちゅりと卑猥な音が響き、鼓膜にまで心地よい刺激を与えてくる。
 ふと視線を下ろすと、二人の腹の間でカスパルの性器が勃ち上がりかけているのが見えた。リンハルトはカスパルのそれを掴み、親指で先端を刺激しながら、とん、とん、と軽く奥を小突く。
「うぁッ……! あぁっ!」
 性器と体内を同時に責められる感覚に、カスパルは喉を仰け反らせて喘いだ。
 前への刺激によって意識がそちらに向いたのか、カスパルの体からは力が抜けていく。それを見計らってリンハルトは一気に最深部を貫いた。
「――っ!」
 瞬間、カスパルはびくんっと全身をしならせて悲鳴のような声を上げる。カスパルの性器から勢いよく白濁が飛び出し、後孔がきゅっと締まってリンハルトのものを締め付けた。
 カスパルの腰をぐ、と抱き寄せて股間同士を密着させると、カスパルもそれに応えるようにリンハルトにしがみつく。
 搾り取るような内壁の動きよりも、耳朶を叩く熱い吐息よりも――自分を抱き締めるカスパルの肌の感覚がなによりも心地よく、リンハルトもまた小さく震えてカスパルの中で果てた。

 情事のあと、カスパルはすぐに眠ってしまった。リンハルトは寝入る前にもう一度彼に口付けをして、自分の腕の中で安らかに眠る恋人の温もりを感じながら眠りにつく。

 翌朝、目を覚ましたカスパルは開口一番に「腰痛ぇ」と愚痴を零した。
「ごめんね、痛いよね」
「まあ、戦場で負う傷に比べりゃあどうってことねえけどよ」
 申し訳なさそうな表情を浮かべるリンハルトを見て、カスパルは苦笑いを浮かべる。
「……で、なんか変わったか? オレとこういうことしてさ。いまオレと話すの気まずいか?」
「ううん。全然」
 リンハルトは首を横に振った。昨晩の行為を経て、確かに気持ちに変化はあった。だがそれは、どちらかというと好ましい変化だ。
「僕は君が好きだよ。すごく好きだ。だからもっと君のことを知りたいし、こうして触れ合っていたいと思う」
 自分の隣で横になっているカスパルの手を取り、指を絡めるようにして握る。すると、カスパルも応えるかのようにぎゅっと握り返してきた。
 そうやって二人はしばらくの間、寝台の上で他愛のない話をしながら互いの体温を分け合うように寄り添っていた。



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