ここにあなたと


 カスパルの湯浴みがいつもより長いことを不思議に思いつつ、リンハルトは旅先で見つけた書物の文字を目で追ってゆく。
 貴重な歴史書や研究書は然るべき施設に保管されていることが多いのだが、稀にどこかから流出したものが行商人の店で安価で売られていることがある。これもそういった品のひとつだった。
 文章だけを読むと日記にしか見えないこの本は、暗号で記された研究書だろう。おそらくは、何らかの理由で監視下におかれた研究者が密かに外部へ技術を伝えるために書き記したのだ。
 読書にふけっていると時間の経過を忘れるのはよくあることで、リンハルトはその後カスパルが浴室から出てくるまでにどれだけの時間を要したのか認識していなかった。
 あるいは存外すぐに上がっていたのか――それすらも判断できないほど暗号の解読に没頭していたらしい。いつの間にか浴室から出て水を煽っているカスパルに気づき、リンハルトはやっと頁を捲る手を止める。
「……なあ、リンハルト」
「ん? なに?」
 本を寝台の脇にある棚に置くと、頃合いを見ていたかのようにカスパルがリンハルトに声をかけてきた。読書中に話しかけまいと彼なりに気を使ってくれていたのだろう。
 二人で各国を巡る旅に出てから数節。カスパルとの関係は、リンハルトの望む方向へと順調に進んでいた。お互いを抱き締めたり、唇を触れ合わせたり、深く繋がってみたり――それらの営みはリンハルトの心を甘い充足感で満たしてくれていた。
「その……」
 カスパルは気まずそうに視線を泳がせながら言い淀んでいる。普段ははっきりとした物言いが多いカスパルなだけに、リンハルトは珍しいと思いつつ言葉の先を促した。
「どうしたの、カスパル?」
「えっと……」
 入浴を終えたばかりのカスパルは、上半身裸の姿でリンハルトが腰をかけている寝台に近寄ってくる。
 カスパルの素肌なんて見慣れているはずなのに、風呂上がりのしっとりと濡れた髪や、上気した頬がやけに扇情的に見えてしまった。
 これはまずいなと思いつつリンハルトはカスパルの言葉を待つが、カスパルは視線を泳がせるばかりでなかなか続きを話そうとしない。
「どうしたんだい、君らしくないね」
「う……そう、だよなあ」
 カスパルはまだ湿っている髪をわしわしと掻きながらリンハルトの隣に腰を下ろした。
「あのよ」
「うん」
 リンハルトは軽く座り直してカスパルの言葉を待つ。しかし、カスパルはなかなか続きを話そうとしない。これは長期戦になりそうだ。
「そんなに言いづらいことなの?」
「いや……まあ……お前にとっては大したことじゃねえのかもしれねえけどよ」
 なおも口篭るカスパルにリンハルトは怪訝な表情を浮かべる。
 なんらかの理由で旅を中断せざるを得ないだとか、もしくは親族に不幸でもあったか――リンハルトの脳裏にぱっと思い浮かんだのは、そんなところだった。だが、「大したことではない」ということはそれらの可能性は低そうだ。
「どうしたのさ、はっきり言いなよ」
「う……その……」
 なかなか話そうとしないカスパルにリンハルトはだんだんもどかしくなってきた。相手がカスパルでなければ、こんなに辛抱強く言葉の続きを待ってはいないかもしれない。
 そんなリンハルトの機微を察知したのか、しばらくするとカスパルはようやっと口を開いた。
「してえなって、思ってよ……」
「……え?」
 カスパルの口からそんな言葉が出てくると思わず、リンハルトは目を瞬かせる。
 一重に「したい」と言ってもそれが性行為であるとは限らないわけだが、鍛錬などをしたいのであればカスパルは遠慮なくそう口にするだろう。消去法でこの「したい」という発言に繋がる言葉は性行為であるとリンハルトは判断した。
「……こういうとき、どうすればいいのかわからねえからさ。お前だったらどうやって誘うのかって沐浴しながら考えてたんだ。それから、どうやって続きをすればいいのかとか、リンハルトならどう言うんだろうなって思ってたら、頭の中がお前でいっぱいになってきて……すげえこう、したくなってきたっつうか……」
 リンハルトと目を合わせるのが気恥しいらしく、カスパルは壁のほうに視線を向けながらもごもごと言葉を続ける。
 つまるところ、沐浴しながら閨でのリンハルトを思い出していたらしたくなってしまった――ということらしい。しかし、相手を誘うことに慣れていないがためにどう切り出していいのかわからなかったのだろう。
「なんだ、そういうことだったんだね」
 そんなカスパルがどうしようもなく可愛くて、リンハルトは隣に座る恋人の体を抱き締める。そっと手を伸ばしてその頬に触れると、湯浴みを終えたばかりなだけあってまだ少し熱かった。
 そのまま頬に手を添えて口付ければ、カスパルは戸惑うような表情を見せながらもそれに応えてくる。
 最初は啄むような口付けを繰り返してから、リンハルトは舌を出してカスパルの唇をぺろりと舐めた。それが合図だったかのようにカスパルが薄く口を開いたので、リンハルトは招かれるまま舌を滑り込ませる。
 舌を絡める口付けの存在すら知らなかったカスパルが、自然と口を開いてくれるようになったのは何度目の夜からだったか――そんなことを考えるとリンハルトの胸中には愛おしさが溢れかえった。
 カスパルの口内を舌で優しく撫で、歯列をなぞってから上顎を舌先でつつく。熱っぽい吐息を漏らしてじっと見つめてくるカスパルの眼差しはもっと欲しいと訴えているようで、リンハルトはそれに応えて舌を絡ませていった。
「ん……っ、ふ……」
 鼻にかかったカスパルの甘い声が、リンハルトの耳朶を心地よく揺らす。もっとその声が聞きたくて、リンハルトはカスパルの腰を抱きながらゆっくりと寝台へ押し倒した。
 口付けをしたまま、リンハルトはカスパルの素肌に手を滑らせてゆく。脇腹を撫で上げるとカスパルはぴくりと体を震わせ、喉の奥からくぐもった声を漏らした。
「ぁ……っ、ん……」
 唇を離してカスパルの顔を覗き込むと、その表情はすっかりと上気していた。興奮で潤んだ瞳や紅潮した頬は艶めかしく、リンハルトはカスパルの熱が伝播してくるような錯覚に見舞われる。
「……いい?」
 リンハルトの問いにカスパルはこくりと小さく頷く。それを合図に、リンハルトはカスパルの首筋に口付けを落としながら下穿きを剥ぎ取っていった。
 背中に回されたカスパルの手が、リンハルトが着ている寝間着を軽く掴んでひっぱる。催促するようなその動作にくすりと笑ってから、リンハルトも自分の衣服を脱いでいった。
 カスパルの胸に唇を寄せながら、緊張に強ばった体を解すように触れていく。脇腹から腰にかけてをゆっくりと撫でていると、その手に反応するようにカスパルの体はびくびくと震えた。
「っあ……ふ、ぅ……」
 唇を離すたびに漏れる吐息は熱を帯びており、リンハルトの耳朶を心地よく揺らす。
 カスパルの下肢に手を伸ばし、淡い茂みを掻き分けて中心部にそっと触れる。そこは既に芯を持っており、ゆるく勃ち上がって震えていた。それを掌で包み込んで軽く上下に扱いてやれば、カスパルの口から熱を孕んだ吐息が漏れる。
「……舐めていいかな?」
 竿を撫でながら問いかけると、カスパルは目を泳がせながらもこくりと小さく頷いた。それを見届けてから、リンハルトは体を下にずらしてカスパルの亀頭を口内へと収める。
「ん……! ぅあ……」
 一瞬驚いたような声を上げたものの、カスパルはすぐに快感を滲ませた声を漏らした。
 リンハルトはカスパルのものを深く咥え込み、ゆっくりと頭を動かしていく。亀頭を喉の奥まで呑み込み、入りきらない部分は手で扱いていると、その動きに合わせるようにカスパルの腰も揺れ始めた。
「ひ、あっ……ふ、ぁ……!」
 鈴口に軽く舌先を押し込むとカスパルは大きく体を跳ねさせ、びくびくとその背筋を震わせる。舌で先端を舐めるとじわりと先走りが滲み、陰嚢がきゅっと持ち上がって快感を訴えてきた。
 快楽に身を委ねるカスパルの姿に思わずリンハルトの口角が上がる。もっと気持ちよくして、カスパルの期待に応えてあげたい。そんな思いから、リンハルトは口腔で愛撫を続けながらそっと後ろに手を伸ばした。
「あっ……!」
 後孔の縁を指先でなぞると、カスパルの口から一際大きな声が漏れる。固く閉じていると予想していたそこは存外に柔らかく、指先を少し押し込むだけでくぷりとそれを飲み込んだ。
「……もしかして、慣らしておいてくれたのかな?」
 リンハルトはいったん性器から口を話してそう訊ねる。カスパルは恥ずかしそうに視線を泳がせたが、やがて観念したのか小さく頷いた。
「だから……お前ならどうするか考えてたって言ったろ」
 どうやらリンハルトが読書にふけっているあいだ、カスパルは自分で後ろを弄っていたらしい。
 初めて体を重ねたときには性器を触られることにも戸惑っていたというのに――そんな記憶がリンハルトの脳裏をよぎったが、それと同時にそんな彼が少しずつ行為に慣れてきたのだと思うと愛おしさが込み上げてきた。
「嬉しいなあ……ありがとう」
 リンハルトはもう一度カスパルの性器に口付けて体を起こし、寝台脇の棚から香油の入った瓶を取り出す。香油を掌に垂らして体温で温めてからカスパルの後孔へと手を伸ばすと、既にいくぶんか解れているそこは容易に指を迎え入れた。
「あ……っ! あ、うぁ……!」
 香油を足しながら指を増やしていき、カスパルの感じる部分を指先でぬちぬちと刺激する。膨らんだしこりを軽く叩くとカスパルの腰がぴくぴくと震え、押し出されるようにして鈴口から先走りが溢れてきた。
 官能的な恋人の姿にリンハルトは唇を軽く舐め、亀頭に吸い付いて先走りをちゅっと吸い上げる。先走りが尿道を通り抜ける感覚にカスパルはまた呻き、リンハルトの指を咥えたそこをきゅっと締め付けた。
「……そろそろ大丈夫かな? 入れてもいいかい?」
 三本の指が容易に抜き差しできるようになったところで、リンハルトはいったん愛撫をやめてカスパルに訊ねる。カスパルは快感に潤んだ瞳をリンハルトに向けたまま、こくこくと頷いて行為の先を促した。
 平時であればよく動くカスパルの口は、行為中は気恥ずかしさからか少し寡黙になる。代わりに首を縦や横に振って意思表示をしてくれるわけだが、その仕種がどうにも拙く見えて庇護欲を掻き立たせるのだった。
「ゆっくりするからね」
 リンハルトは後孔から指を引き抜き、カスパルの膝裏に手を添えて大きく足を開かせる。
 何度か体を重ねてもこの体勢には未だに羞恥心が拭えないらしく、カスパルはいつも腕で顔を覆ってしまう。その初々しさを可愛らしいと感じるいっぽうで寂しさもあるリンハルトは、口付けを強請ることによってカスパルの視線を自分のほうへと向けさせた。
「んっ……ふ……」
 カスパルの舌を捉えて深く口付けながら、リンハルトは自身をカスパルの後孔にぴとりと押し当てる。その熱さを感じたカスパルは期待するように腰を浮かせ、ひくつく窄まりをリンハルトの亀頭に擦り付けてきた。
「んっ……ぁ……!」
 求められるまま腰を進めると、リンハルトのものはいとも容易くカスパルの中へと呑み込まれていく。
 喉から漏れる甘い声を呑み込みつつ口付けを深めれば、カスパルは縋るようにリンハルトの背へと腕を回してきた。カスパルの体内は待ちわびていたかのように亀頭や竿にしゃぶりつき、その快感にリンハルトは呼吸を詰まらせる。
 根元まで全て収めきったところでリンハルトはいったん動きを止め、カスパルの目尻に浮かんでいた涙を唇で掬った。そのまま鼻や頬、唇に口付けていけば、カスパルの体から徐々に力が抜けてゆくのを繋がった箇所から感じられる。
「動くよ」
 唇を離し、吐息が触れるほどの距離でそう告げれば、カスパルはぎゅっと目を瞑りながら小さく頷いた。それを確認してからリンハルトはゆっくりと腰を引き、雁首が後孔のふちにひっかかったあたりでまた深く沈めた。
「あ……あっ……! あぅ……!」
 亀頭の膨らみで前立腺を擦りながら、やわらかな内壁を奥深くまで抉るように先端を押し込む。
 カスパルのそこは腰を進めるときは迎え入れるように解れるのに、引き抜こうとすれば嫌がるように締め付けを強くした。それに抗って雁首まで引き抜くと、肉の輪が窪みに食いついてたまらない快感を与えてくる。
 その反応はまるでカスパルの体が自分を欲しているように感じられて、リンハルトの胸の内をいっそう満たしてくれた。
「あ、ぅ……ん……! あ……」
 カスパルは陶酔するように口の端から涎を垂らし、奥を突き上げる度に切なげな声を零す。快感に蕩けきったカスパルの表情はひどく官能的で、リンハルトの胸中にはもっと快感を与えたいという欲が湧いてきた。
 リンハルトは一旦抜ける寸前まで自身のものを引き戻すと、再びカスパルの最奥目がけて腰を打ち付ける。勢いをつけたことによって繋がりも深くなり、今まで届いていなかった部分にまで自身が届いた感覚があった。
「ひぁっ! あ……!」
 突然の刺激に驚いたのか、カスパルの体がびくりと跳ねる。
 リンハルトはカスパルの奥を抉るように腰を打ち付けながら、勃ち上がったままのカスパルの性器に指を絡めた。先走りの液でぬめったそこは掌で擦る度にぬちぬちと水音を立て、カスパルはそれを恥じらうようにいやいやと首を振る。
「……っ! あ、うぁ……!」
「気持ちいい?」
「んっ……!  あ……い、いいっ……! あ……!」
 リンハルトはカスパルの耳朶に口付けを落としながら、竿を扱く手の動きを速めていく。最奥まで押し込んだまま腰をぐりぐりと回すと、カスパルは悲鳴のような声を上げて体を仰け反らせた。
「あ……あっ、や……! もう……!」
 限界が近いのか、カスパルはリンハルトの背にしがみつきながら必死に何かを訴えかけてくる。ここで焦らすのも吝かではないのだが、今日はカスパルの望むままに抱いてあげたい気分だった。
「ん……いいよ」
「いっ……や、あっ――!」
 耳元で囁くと同時に鈴口に爪を立てると、カスパルは声にならない嬌声を上げながら大きく体を震わせた。同時に性器を咥え込んだままの体内が搾り取るように強く締まり、リンハルトは抗えずにカスパルの中に精を吐き出す。
 その瞬間には、いつも溶けてしまいそうなほどの快感があった。
 それは直接的な刺激による快感もあるのだろうが、カスパルが自分を受け入れてくれているという事実がそう感じさせるのだとリンハルトは思っている。
 心も体も繋がっていると感じる瞬間が、カスパルを抱くたびにやってくるのだ。それは麻薬に浸るような幸福感をリンハルトに齎し、同時に底のない欲求も呼び起こした。
「あ……は、ぁ……」
 カスパルの呼吸と震えが落ち着くのを待ってから、リンハルトは慎重に性器を引き抜いた。
 はくはくと収縮する窄まりから自身の白濁がとろりと溢れ出すのを見ると、リンハルトは中出しという行為に対する申し訳なさと同時に、それを許されていることに対する充足感を覚える。
 カスパルを所有したいなどと思っているわけではないが――それを求めてはいけないと思っているというほうが正しい――この瞬間ばかりは彼を自分のものにしたような錯覚に見舞われてしまうのだ。
 リンハルトは鼻に抜けるような甘い声を漏らしたカスパルを抱き締めながら、胸の中に溢れる愛しさのままに髪や瞼に何度も口付けを落としてゆく。
 しばらくのあいだそうやって触れるだけの口付けを繰り返していると、やがてカスパルがゆっくりと目を開いた。
「その……ありがとな」
「うん?」
 掠れた声で謝礼を述べるカスパルに、何に対して礼を言われたのかわからないリンハルトは首を傾げる。
「いや……オレからしたいって言ったから……」
「ああ……なんだ、そんなことか。僕がしたくてしてるんだからいいんだよ」
「でも、お前はありがとうって言うじゃねえか」
「それはまあ、そうだね」
 こうしてカスパルと性行為ができるのは、カスパルがリンハルトを受け入れてくれるからこそだ。本来は受け入れるようにできていない体を無理に暴いているのだから、その気持ちに礼を伝えるのは当然のことだとリンハルトは思う。
 だからカスパルの言う礼とは意味合いが異なるのだが――律儀な彼はリンハルトに倣って自分も礼を言うべきだと思っているらしい。
「……じゃあ、どういたしまして」
 リンハルトはカスパルの額に口付けをひとつ落とし、彼の体をぎゅっと抱き締めた。カスパルの体はリンハルトよりもいくらか体温が高く、抱き締めていると心地よさを感じる。
 その体温をより感じるために体を密着させていると、次第に瞼が重たくなってくるのを感じた。このまま眠ってしまいたい気持ちもあるが、さすがに汗や体液で汚れた状態で眠るわけにもいかないだろう。
「カスパル、体を流そうか」
「ん……おう……」
 リンハルトはカスパルの背中を優しく撫でながらそう声をかける。
 カスパルも睡魔に襲われているのか、胡乱な返事こそ返したもののその目はとろんとして今にも閉じてしまいそうだ。
 そのうちカスパルはむずがるようにリンハルトの胸に顔を擦りつけ、そのまますうすうと寝息を立て始めてしまった。
「あ……寝ちゃったのか」
 リンハルトはカスパルの頬に口付けたのちに寝台から下り、手拭いを持って湯殿へと向かう。それから盥に水を汲んで手拭いを浸し、固く搾って湿らせたのちにカスパルの体を清めていった。
 普段は衣服に覆われて見えない部分もすべて見たうえで情交に至っているわけだが――改めてカスパルの体を眺めているとリンハルトは感慨深くなってしまう。情事のあとの酩酊感も相俟って、リンハルトはそれを体を目に焼き付けるようにしばし観察した。
 出会った頃は同じくらいの身長だったというのに、今ではすっかりとカスパルを見下ろすのが当たり前になっている。その代わりというわけではないが、カスパルの体は鍛え抜かれた筋肉に覆われていて、均整の取れた美しい体躯をしていた。
 逞しい肢体を特に好んでいるわけではないが、カスパルの肉体は彼の人並みならぬ努力の賜物なのだと思うと愛おしく思えてくる。体も心も強く逞しく成長しているというのに、寝顔だけは昔と変わらないあどけなさを残しており、瞼を伏せた無防備な姿は未だ少年のようだった。
 リンハルトはそんなカスパルの寝顔にくすりと笑みを零すと、彼の体を清める作業を再開した。体液でべたついた肌の上を布が滑り、日に焼けたカスパルの皮膚を優しく撫でてゆく。
 カスパルの体は首筋や胸、腹に至るまで大小さまざまな傷跡が残っている。その跡を目にするたびにリンハルトは胸の奥が痛くなるのだが、同時にその傷跡を残した出来事がカスパルに齎した功績を思って心がざわめいた。
 リンハルトはその傷痕ひとつひとつを指でなぞり、そこに唇を寄せていく。
 首から肩にかけて残る鋭い線をなぞるように舌で舐め上げると、眠っているカスパルの体がぴくりと震えた。そのまま鎖骨や胸の突起にも口付けてゆき、最後に彼の唇へ口付ける。
 軽く触れるだけの口付けだったが、それでも眠りの中にいたカスパルの意識を浮上させるには充分だったらしい。淡い色をした睫毛がぴくりと震えたかと思うと、伏せられていた瞼がゆっくりと開いた。
「ん……?」
 寝ぼけ眼のカスパルと視線が絡み合う。リンハルトはふっと口元を緩め、カスパルの体をぎゅっと抱き締めた。
「おはよう、カスパル」
「……おう」
 まだ寝惚けているのか、カスパルの声はどことなく気怠げだ。
 そんなカスパルを腕の中に閉じ込めたまま頭を撫でると、猫のように目を細めて頭をすり寄せてくる。それがたまらなく愛おしくて、リンハルトはもう一度彼の唇に口付けた。
「ふは……くすぐってえよ……」
 軽く唇を食んでから口を離すと、カスパルは小さく笑って身を捩る。状況はまったく異なるというのに、その笑顔は幼い頃に彼と添い寝したときの記憶を呼び起こさせた。
 途端、リンハルトは自分の中で未だに燻っていた情欲の炎が凪いでゆくのを感じた。代わりに湧いてきたのは途方もない愛しさで、リンハルトはそれを伝えるようにカスパルの体をしっかりと抱き締める。
「……ね、明日は久しぶりに逢い引きしようか?」
「逢い引き? 二人で旅してんだから、毎日逢い引きしてるようなもんじゃねえのか?」
 リンハルトの提案にカスパルは不思議そうに首を傾げた。そんな恋人の反応にリンハルトは苦笑し、抱き締めていた腕を少し緩める。
「まあ、そうとも言えるんだけど……旅の一環としてじゃなくてさ、一緒に食事をしたり、買い物をしたり、ただ街を歩いたりしたいなって」
「普段とあんま変わらねえ気がするけど……まあ、お前がしたいならいいぜ」
「ふふ、じゃあ決まりだね」
 リンハルトはカスパルの首筋に顔を埋めて甘えるように鼻先を擦りつけた。カスパルはくすぐったそうに肩を竦めたが、リンハルトを振り払うことはせずにそのままの体勢で抱き締め返してくる。
 自然の流れのように重ねた唇の隙間からは互いの吐息が漏れ、まだ情交の熱が残る空気に溶けていった。



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