ディミトリおよび蒼月ルートに関する自分なりの解釈


 最初に記述しておきますと、私が蒼月ルートのプレイ時に感じたのは「ディミトリの暴力性」に対する嫌悪感と、「そんな彼を否応なしに守らなければならないシナリオ」への強い不快感でした。

 ですので、この記事は「蒼月ルートは感動的ですばらしいシナリオだ!」「ディミトリは優しくて健気ないい子なので守ってあげたい!」といった内容ではありません。

 そして不快感と同時に「『蒼月ルートは感動的な話』で『ディミトリは優しくて健気ないい子』なら、なぜ制作側はディミトリの暴力性を強調するようなシーンを入れたのだろう?」という疑問も抱き、その答えを自分なりに考えてみたのがこの記事です。

気がついたことがあったら随時加筆・修正します。





目次


・ディミトリに対して暴力的なイメージがついてしまったランドルフ暴行シーン
・ディミトリと王国の仲間たちの関係は『屍鬼』に登場する住職と村人たちの関係に似ている
・「騎士道とは死ぬことと見つけたり」なファーガスの騎士たち
・幼なじみ三人の会話やセリフから窺えるディミトリの孤独
・ディミトリの残虐性を「ないこと」にする王国の人々


・排他的で同調圧の強いファーガスという国
・プレイヤーの心境と主人公の行動が噛み合わなかったフレーチェ殺害シーン
・皮肉かと思ったらそうでなかった蒼月ルートのエンディング
・エーデルガルトと綺麗な対比になっているディミトリのキャラ造形


・蒼月ルートと聖戦の系譜の類似点
├ディミトリとシグルド
├エーデルガルトとアルヴィス
├ダスカーの民とイザークの民
├「闇に蠢くもの」と「ロプト教団」、セイロスとナーガ
├エーデルガルトとユリウス
└まとめ





●ディミトリに対して暴力的なイメージがついてしまったランドルフ暴行シーン

 蒼月ルートのシナリオに不快感を覚えた最初のきっかけは、ディミトリが捕虜となったランドルフを罵倒したうえで目玉をくり抜こうとするシーンです。

▼該当シーンをプレイしていたときのコメント

 ディミトリと言えば「優しくて健気ないい子」「かわいそうなので守ってあげたい」という意見をしばしば目にするのですが、私はこのシーンのディミトリの暴力性にドン引きしてしまったためにまったく共感できませんでした。

 敵とはいえ抵抗のできない相手(映像からでは判断できませんが、捕虜のランドルフが抵抗できる状態にされているということはないでしょう)に暴行を加える人の何が「優しくていい子」なのだろうと感じてしまったのですね。

 そこまでのシナリオでも「初陣となった内乱で敵兵を惨殺した」「聖墓で敵兵を笑いながら殺害して『貴様らの首を残らず捩じ切り、死者への手向けとしよう』と発言する」など、ディミトリの暴力性が窺えるエピソードはありましたが、じっくり見せられたことによってその印象が更に強くなったのだろうと感じます。

 しかも、このシーンでは選択肢もなく主人公がランドルフを殺害してしまいます。その行動をするかどうかをプレイヤーが選択することもできません。ここもすごく不快でした。なぜ暴行を加えられているほうの人を害さなければならないのかと。

 ランドルフをそれ以上の苦痛から助けるためとも取れますが、そうなのであれば何も殺害までする必要はなかったように感じます。相手は敵地で敵兵に囲まれるという、圧倒的に不利な状況にある捕虜なわけですし。
 もしかして、死んだほうが楽になれる状況だったのでしょうか……。

 ともかく、そういった暴力的なイメージが先行してしまったせいで「味覚障害や幻覚などの症状が出るほど疲弊している」「親に愛されていなくてかわいそう」等のエピソードを見せられても「だからなんだ」と感じてしまって、まったく気持ちを寄せられなかったのです。

 ディミトリが暴行した相手が、多くのプレイヤーがそこまで思い入れのないであろうランドルフなのも「プレイヤーをランドルフに同情させないようにするためか?」と穿った目で見てしまいました。同じ帝国NPCでも女性のラディスラヴァだったのなら、ディミトリに悪印象を抱く人は多かったのではないでしょうか。

 そういった感想をSNSに投稿していると、青獅子推しの人に「モブは殺害しても気にしないのに、ネームドキャラはかわいそうなのか?」と言われたのですが、そういうことが不快と言っているのではないのですね。ネームドキャラを殺害したくないのなら、敵に回った生徒たちと戦闘するときに言及していたでしょうし……。

 不快なのは「プレイヤーの依代であるはずの主人公が、プレイヤーの意思にそぐわない行動をしたうえで不快な結果を招く」という部分にあるのだと思います。彼を殺害したのが主人公でないキャラであったなら、そこまで不快ではなかったのかもしれません。

 それと、私は敵対した生徒たちも躊躇いなく倒せるタイプのプレイヤーなのですが、「モブは殺害しても気にしないのにネームドキャラはかわいそうなのか?」の理屈に対しても「それが正しい」とは別に思ってはいないのですね。

 知らない相手より知っている人のほうを大切にするのは、心のありようとしては普通だと思います。「よく知っている相手」と「顔も名前も知らない相手」を天秤にかけて、同じ重さであると心の底から感じる人がどれだけいると言うのでしょうか。
 だからこそディミトリ推しさんはランドルフやモブ兵士が暴行されたり惨殺されても気にしないのでは?
 とも思いますし……。

 このシーンでディミトリが並べた御託もまた不快感を増長させるのに一役買っていました。

 ディミトリいわく「どういう理由で人を殺そうがどちらも同じ人殺し」らしいですが、抵抗のできない相手を暴行している人がそれを言うのはただの開き直りでしかないと感じます。「復讐のために他者を殺害した人が自嘲的に言ったセリフ」とかであれば自嘲として受け取れるのですが。

 個人的には、同じ開き直りならエーデルガルトやクロードの「許されようなんて思っていないわ」「恨むなら恨め」のほうが自分の非道な行いを認めている感じがして好感が持てました。

 王国軍にもランドルフのように家族のために戦っている人たちはいるだろうに、そういった人々に対する配慮がないのも軍のトップとしてどうなのでしょうか。そこまで配慮が届かないほど精神的に摩耗しているということなのかもしれませんが……。

 ただ、このシーンに関して青獅子推しの方に解説された「このシーンはディミトリが支離滅裂な理屈を並べ立てて『ダメだこいつ、会話にならない』とランドルフに思わせているからこそ『レスバ最強』などと言われているのです。『レスバで勝つ』というのは『理屈で相手を黙らせる』ことではなく、相手に会話を諦めさせることなのですね」という話には納得させられました。





●ディミトリと王国の仲間たちの関係は『屍鬼』に登場する住職と村人たちの関係に似ている

 更に不快(というか不可解)だったのが、その後の散策時に聞ける王国の仲間たちのセリフです。

▼該当シーンをプレイしていたときのコメント

 イングリット「殿下の憎悪も怒りも、痛いほど理解できて、だから否定もして差し上げられなくて……」
 メルセデス「もしかしたら彼自身、自分がどうしたいのか、わからなくなってるんじゃないかしら~?」
 アネット「絶対にそんな人じゃなかったのに……どうして……」

 誰かディミトリの言動を注意してもいいのでは?

 ……という気分になってしまい、ここで完全に心が青獅子の仲間たちから乖離してしまいました。

 仲間たちのセリフに共感するどころか「誰かディミトリの言動を注意するべき」と感じましたし、心配するなら心配するで「その状態で軍を指揮するのは無理だから休め」と諫言するべきだと感じたのですね。

 とはいえ、このシーンに関しては他国のキャラをスカウトしていると「あれはただの私怨だ(カスパル)」「ディミトリくんはあんな調子だし……家にいるよりはマシかな~(ヒルダ)」など、ディミトリに対して怒りや呆れを感じているセリフを口にします。

 それによって王国の人々のセリフは意図して「客観的に見て異様な反応」として描かれているのだと判断することができ、プレイしていて安心できた部分でした。制作側はこのシーンを「かわいそうなディミトリに同情すべきシーン」として描いているわけではないのだと。

(とはいえカスパルにしろヒルダにしろ、ディミトリの行動には言及するのに、実行犯である主人公に対しては何も言わないのも不気味です。主人公はディミトリの意思のまま行動する傀儡だとでも思われているのでしょうか?)

 ここで自分が思い出したのが、小野不由美さんの著作である「屍鬼」という小説でした。

「屍鬼」には「村の住職」という人物が登場します。彼は老齢になるまで寺の跡取りとして「敬愛すべき住職」を真摯に演じていましたが、さまざまな不幸が重なって全身付随になってしまいました。もはや自分の力で歩くこともできない彼に、住職としての仕事などできるはずもありません。

 しかし、村人たちはこの住職に高価なベッドを贈呈するのです。
 住職を担ぎ上げることによって、住職としての機能を失った彼にもあくまで住職としての振る舞いを求めているのですね。
 そして、住職は求められるまま「いつも優しい笑顔をたたえ、村の人々を安堵させる存在」としての住職を演じ続けます。
 
 ディミトリと王国の人々の関係はこれと同じなのだろうと感じました。異常な言動を取り、コミニュケーション能力すら失っているディミトリに対して、王国の人々は同情的な言葉を並べながらも「あなたはもう休んでもいい」とは言わないのです。

 そういう意味では確かにディミトリはかわいそうなのかも……とは思うものの、ディミトリ推しさんの感じている「かわいそう」とは異なるのではないかとも思います。





●「騎士道とは死ぬことと見つけたり」なファーガスの騎士たち

 ドゥドゥーやイングリッドの討死シーンや、フェリクスとシルヴァンの「死ぬときは一緒だ」といった発言からも、ファーガスには「騎士は王や国のために戦って死ぬことが美徳」といった価値観があることがうかがえます。

 これに関しては風花無双の「英雄の末裔として担ぎ上げられたアネットが負け戦に駆り出されて討死する」というシーンでもエーデルガルトやヒューベルトに指摘されており、はっきりと「ファーガスという国の問題点」として描かれていますね。

 しかし、当の主であるディミトリはそれを苦痛に感じているのではないでしょうか?

 ディミトリは確かに優しい人です。だからこそ、自分のために他人が死ぬことを当然のものとして受け入れらない。仲間の死を悲しいと感じ、それを防ぐために他者を排除しようとする。

 にも関わらず、王国の人々は「騎士は死ぬことが美徳」と言って騎士たちをもてはやし、騎士たちもそれを忠実に守り通そうとする。そういったシステムこそがエーデルガルトの言う「歪み」なのでしょう。

 そして、そのシステムを否定すると今度は「それではこれまで死んだ者たちが浮かばれない」と感じてしまう。だからこそディミトリはそれを否定することもできない。そうやってこのシステムは保たれてきたのかもしれません。

 ディミトリの最大の不運は、ファーガスの王子として生まれてしまったことなのでしょう。エーデルガルトはそんなディミトリを知っているからこそ、この歪んだシステムを変えようとしたのかもしれません。





●幼なじみ三人の会話やセリフから窺えるディミトリの孤独

 私は長らくのあいだ「フェリクス、シルヴァン、イングリットは幼なじみである」という認識はあったものの、ディミトリも彼らと幼なじみであることは知らずにいました。

 というのは、フェリクスとシルヴァンの支援会話にあります。

 私が蒼月ルートをプレイしたのは三周目だったため、ディミトリ関係の支援会話はまったく読まないまま彼らの支援会話だけを先に読みました。

 フェリクスとシルヴァンの支援会話では「二人まとめてイングリットに説教される。……巻き込まれる俺の身にもなれ」というフェリクスの苦言を、「そうそう、そうだった。何年経っても俺たちの関係は変わらねえもんだ」とシルヴァンが軽口で返します。

 また、私がこの支援会話を最初に読んだのは翠風ルートかつグロンダーズの会戦の後だったため、シルヴァンのセリフは「そうそう、そうだった。変わんねえもんだ。……一人、欠けちまったけどな」とイングリットの死「のみ」に言及する差分に変わっていました。

 この支援会話から、ディミトリは彼らの幼なじみでありながらも「彼ら三人の輪」には含まれていないことがわかります。王族であるディミトリは彼ら三人からすれば目上の相手になりますし、そこで一線を置かれていたのかもしれませんね。

 そして、イングリットの討死シーンです。

 翠風ルートでは「どんな道であろうと私は自分の主君を信じる」と言って集団自殺まがいの行軍で討死し、無双でも「陛下は逃げたのね……ふふ、私の勝ちだわ……」と言って討死したイングリット。

 傍から見れば彼女は主君のために最後まで戦う忠臣ですが、彼女たちが幼なじみ三人の輪にディミトリを含めていないこと、ファーガスに「騎士は王や国のために死ぬことが美徳」という価値観が根付いていること、彼女が自分の死をディミトリの枷にするような言動をすることなどを鑑みると、彼女は「主君に忠誠を誓う清廉な騎士」という自分の像のためにディミトリを利用していたようにも見えます。

 そもそも、「誰かために死ぬ」という行為は本人のエゴでしかありませんからね。

(帝国軍のカスパルやリンハルトは「オレが死ぬのはオレが弱いせい」「僕は好きなように生きるよ」といった死亡セリフを口にして「自分の死は自分の弱さ、あるいは意思である」として他人と結びつけないあたり、王国と帝国のお国柄の違いが出ているのだろうなと感じました)

 彼女が忠誠を誓っていたのはあくまでも「主君」であり、それはディミトリでなくてもいい。むしろディミトリの異常な言動は「主君がそんな状態でも忠義を通す騎士」という、彼女の中の理想像を作り上げるためにちょうどよかったのかもしれません。

 そういったイングリットの言動は、ヒューベルトの言う「本人はさぞかしやりきった気分でしょう」を体現しているように思えました。そして、「それが正しい」と教え込まれている彼女もまたエーデルガルトの言う「貴族社会が生み出した犠牲者」なのでしょう。





●ディミトリの残虐性を「ないこと」にする王国の人々

 ディミトリが持つの魅力のひとつとして「穏やかな顔の裏に潜んでいる残虐性」があると個人的には思っています。この残虐性については初陣での惨殺行為や聖墓での凶行、ランドルフへの暴行シーンなどシナリオ中で何度も描かれていますね。

 しかし、ディミトリ推しの人々は彼の魅力として「とにかく優しい」「いつでも紳士的な騎士の鏡」といった部分を上げ、彼の残虐性はないことにしている印象があります。もしくは、彼の残虐性は外部的な要因に起因するものであり、彼自身の性質ではないと考えているのかもしれません。

 個人的には、マリアンヌやメルセデスがそうであるように、当人に残虐性がない人はどれだけ不憫な過去があっても残虐な行為には走らないと思っています。ですから、ディミトリの残虐性は彼自身の性質であると私は考えています。

 そうであるにも関わらずディミトリの優しくて紳士的な部分だけを「彼はそういう人物である」と呼ぶのは、彼に対して「そうであるべき」と要求してきた周囲の人々と同じなのでは……と感じてしまいます。

「相手のあるがままを受け入れたうえで、相手が間違ったことをしたのであればそれを注意してあげる」のも愛情だと思うわけですが、ランドルフ殺害後のセリフから見受けられるように、王国の人々や蒼月ルートの主人公にはそういった傾向が見られません。

「そんな人じゃなかったはず」と彼の言動を否定するのに、それを注意することも彼と話し合うこともしない王国の仲間たちは、ただ「自分が何もしなくても彼がいい子であること」だけを求めている。まるで非行に走った子供を見て「こんな子じゃなかったのに」と嘆くだけの親のようです。

 もし「自我を出すことを許されないばかりか自我そのものを『ないこと』にされたまま『優しくて紳士的な王子』を演じ続けることが彼にとっての幸福である」と周囲の人々やファンに思われているのだとしたら、彼は本当にかわいそうなのでは……などと感じてしまいます。







●排他的で同調圧が強いファーガスという国

 蒼月ルート、もしくは銀雪ルートでカスパルとメルセデスが自軍にいると、カスパル&メルセデス外伝が発生します。そして、蒼月ルートかつその外伝をクリアしている場合のみ、メリセウス要塞で特殊なスチルを見ることができます。

 この発生条件からして、カスパルは制作側の意図として王国軍へのスカウトを誘導されているのでしょう。ですから、「王国軍のカスパル」が口にするセリフはシナリオ的に重要な意味があるのだろうと私は考えています。

 カスパルを王国軍にスカウトしていると、ランドルフ死亡後にディミトリに対して批判的な意見を述べるほか、復帰したディミトリがランドルフの件で謝罪してきたという話を聞くことができます。 

▼ディミトリ復帰後のカスパル

 顔もうろ覚えなほど親交がないとはいえ、カスパルにとってディミトリ(というか主人公)は親族であるランドルフやフレーチェを殺害した相手です。

 しかし、カスパルはディミトリの「私怨で一方的な暴力を振るうこと」に対する憤りを見せるだけで、彼らに対して復讐心などは見せません。そればかりか、謝罪してきたディミトリに対して「あいつが変わったことを、喜ぶべきなのかもなあ」と好意的な反応を見せています。
 いい人すぎないか?

 それに対してディミトリも何か思うところがあったのではないでしょうか。そうであってくれ。

 とにかく、ディミトリ本人は「ランドルフを暴行していたときの自分の言動が異常だった」という自覚があるのですね。そう思うと、異常な精神状態というわけでもないのにディミトリを止めない周囲の人々にやはり問題があるのかもしれません。

 この「集団としてのやばさ」の表現は、蒼月ルートをプレイしていておもしろいと感じた部分です。

 王国軍にカスパルやリンハルトをスカウトしていると「あいつは帝国出身のオレなんて信用してないんだろうな」「監視とかついてるのかもしれませんけど」というセリフを口にし、王国軍において彼らが孤立していることがわかります。

 王国と帝国の因果を考えると心情的にはわかるのですが、カスパルなどは「あれは戦争じゃねえ、ただの私怨だ」とかなりまともな(私の感性からすれば)意見を口にしていますので、それが異物あつかいされていることに私は空恐ろしさを感じました。

 こういった「排他的で同調圧の強い集団」は多くのメディアでは「山奥の田舎村」などで表現される印象があります。そして、そこに住んでいる人々は野暮ったい若者やお年寄りばかりです。先ほど話題にした「屍鬼」の「外場村」がその例ですね。

 しかし、風花ではそれを「王国」「騎士」「美男美女」などの華やかな集団で描いているのです。それらがもつポジティブなイメージもあり、外側からでは「排他的で同調圧の強い集団」には見えません。

 そして、それを更に不透明にしているのが王国のキャラに「あんな情緒不安定な指揮官に従えるか!」といったセリフを言う人物がおらず、他国のキャラをスカウトしていなければ「この状況に疑問や抵抗を抱く人物」がいない点です。

 私は他国のキャラをスカウトしていたために「このシーンは王国のキャラたちへの同調を求められているシーンではない」と思えましたが、人によっては「ほかのキャラと同じようにディミトリを心配すべきシーンである」と受け取るかもしれません。

 それによって気がついたときには「その集団の一部」になっているのかも……と思うと、なんだかぞっとしない気分になります。










●プレイヤーの心境と主人公の行動が噛み合わなかったフレーチェ殺害シーン

 更に強い不快感を覚えたのが、フレーチェ殺害(ロドリグ死亡)シーンです。

 初回プレイ時、私はフレーチェの襲撃シーンでディミトリが殺害されて「因果は巡る」という結末になるのかと予想したのですが、実際に死亡したのはロドリグであり、フレーチェは主人公に殺害され、ディミトリは復讐心を断ち切って立ち直るという展開でした。

▼該当シーンをプレイしていたときのコメント

 これに関しても青獅子推しの人から「ディミトリは生き残ったことによってフレーチェと同じ状態になったため、因果が巡ったことになる。ここでディミトリが死んだら因果はぜんぜん巡ってないよ」という解説をされたのですが、どうにも腑に落ちません。

 そういうシーンであったなら、ディミトリはもっと「自分を庇ったことによってロドリグが死亡した」という事実や、「自分の行いによって一人の少女を復讐者にしてしまった」ということ、更には「主人公を『復讐される側』にしてしまったこと」などに心を痛めてほしかったと感じます。

 その上でディミトリが「このような出来事を繰り返さないために復讐心を捨てることを決意する」というのであれば、まだ納得できたのかもしれません。

 フレーチェの表情やセリフがやたらと過激に描写されているのも「だから殺されても仕方がない」と思わせるためのヘイトコントロールに思えて不快だった部分です。

 可愛らしかった顔立ちや礼儀正しかった口調がガラッと変わり、攻撃的な言動をするようになったフレーチェの姿に対して、ディミトリが「これが自分なのか」と自身を重ねる描写などがあればまた別だったのですが……。

 これらの展開に好印象を抱けないもうひとつの理由として、尻拭い的にランドルフとフレーチェを殺害することになった主人公に対してディミトリがなんのフォローもしないところです。
 主人公は本当にディミトリの傀儡か何かなのか?

 これに関しても青獅子推しの人に「主人公は王国軍の参謀なのだからディミトリを守るのは義務であり、当たり前のこと」と言われたのですが、プレイヤーがまったくそんな気分になっていないのに当たり前と言われても共感できるはずがありません。

 ディミトリや主人公に感情移入するどころかその暴力的な言動に引いているのに「ディミトリは自分が(主人公を通して)守ってあげないと!」という気持ちになどなるはずもありませんね。この役割がほかの仲間だったならまだ「彼(彼女)はディミトリを妄信してるもんな」と納得できたのでしょうが……。

 おそらく、青獅子推しの方とは「そこまでディミトリに好意を抱いているか」「そう思えるほどシナリオに没入しているか」という前提条件が異なるために、そういった認識のズレが生じるのだろうと思います。

 あと、私の記憶が確かなのであればこのあたりで青獅子推しさんに「ディミトリや蒼月ルートの展開が気に入らないのなら風花やめろ」的なことを言われた記憶があります。

 私が蒼月ルートのシナリオに不満を言いつつもゲームを進めていたのは、この時点で翠風→紅花とプレイしており、風花のシナリオを信頼していたため「きっとこれから腑に落ちる展開になるのだろう」と信じていたからなのですね。

 しかし、先にプレイしていた方から「どこそこまで進めればおもしろくなるから!」といったことは言われず、そればかりか「やめろ」とまで言われたため、この先どんでん返しな展開があるわけではないのかも……と不安になった出来事でした。





●皮肉かと思ったらそうでなかった蒼月ルートのエンディング

 蒼月ルートは闇に蠢くものを討伐しないどころか、その存在に言及されないままエンディングを迎えます。光の杭が撃たれていないため、シャンバラの存在も把握しないままです。
 
 ですので、私はてっきりエーデルガルトのディミトリに対する「目の前の物事に捉えられるあまり未来が見えていない」という指摘をうっすら示唆しているのだろうと勝手に解釈していました。

 国としての問題点(当人の意思や状態とは関係なく、血統によって役割を強いられる)を示唆されているのに解決しないままエンディングを迎えた王国が、数年後にひっそり滅びているのだと思うと皮肉がきいているなあなどと思っていたわけです。

 ……が、SNSのフォロワーさんに「アランデル公に化けていたタレスを倒しているので、本人たちの意図しないところで闇うごは滅びている」と教えていただいて拍子抜けしてしまったのでした。
 知らん間に悪の親玉を倒すんじゃない。

 ちなみに、王国にハピをスカウトしている場合は単独のエピローグで「フォドラの闇に蠢くものが大凶行に及んだ際、魔物を引き連れた一人の女性に壊滅させられた」ということが言及されます。

 翠風および銀雪ルートでは「‪『闇に蠢くもの』の残党が凶行に及んだ際、魔物を引き連れた一人の女性に壊滅させられた」といった記述であるのに対して、蒼月ルートでは「残党」ではないうえに「大凶行」ですので、光の杭が撃たれたりネメシスたちとの戦闘があったのかもしれません。

 ……なんでハピが撃退してるんでしょうね……「忘れていたのでDLCで雑に追加された」というふうに見えなくもないです。





●エーデルガルトと綺麗な対比になっているディミトリのキャラ造形

 ここまでの記述通り、蒼月ルートのシナリオは(青獅子推しさんに絡まれたこともあり)自分的には不快感しかありませんでした。

 しかし、制作側はなぜこのようなシナリオにしたのだろう。「過去のトラウマから立ち直った王子が復讐心を断ち切って国を救う」という「いい話」にしたいのであれば、わざわざディミトリに過激な言動をさせたり、ランドルフを暴行するシーンを入れたりする必要はないはず。

 そういったことなどが気になり、不快に思いながらもいろいろと考えてしまったわけです。

 そんなときにストンと落ちる回答を得るきっかけになったのが、SNSのフォロワーさんが発した「ディミトリが優しいのは身内に対してだけでは?」という意見です。

 ディミトリは「弱者や死者を踏み躙るな」と憤るいっぽうで、内乱では敵対した自国の人々を惨殺しています。また、捕虜にしたランドルフを一方的に暴行し、そのうえで「どこかにいるかもしれない、ランドルフのような立場にある自国の将」を蔑ろにするような発言もしています。

 ディミトリに優しい面があるのは確かなのでしょうが、その優しさはあくまで「ディミトリにとって親しい人」だけに向けられたものなのでしょう。名も知らぬ敵兵や、見知らぬ自軍の雑兵までは範疇外なのです。

 それを表しているシーンのひとつが、蒼月ルートのラストシーンでしょう。

 蒼月ルートのラストシーンで、ディミトリはエーデルガルトに手を伸ばしますが、エーデルガルトはその手を握り返さず、幼少期にディミトリに貰った短剣を投げつけます。この短剣は、エーデルガルトの明確な「決別」の意思を感じさせますね。

 このシーンは「敵であるエーデルガルトにも手を差し伸べるディミトリの優しさ」を感じさせるシーンに見えなくもないです。

 ……が、ちょっと待ってほしい。

 ラストシーンということは、この時点で黒鷲の生徒たちは全員が戦死していると思われます。そして、ディミトリは彼らに対して「戦わずに済むのであればそのほうがよかったが……」といった言葉を向けるなどして心を痛めている様子はありません。

 それ自体は別にいいのです。彼らは王国にとって敵ですし、武器を持って戦っているのですから、どちらかがどちらかを殺しても責めることはできません。

 でも、ディミトリはエーデルガルトにだけは手を伸ばすのですね。エーデルガルトの仲間たちを殺害しておきながら(もちろん、エーデルガルトにも仲間を犠牲にする覚悟はあったのでしょう)義理のきょうだいであるエーデルガルトだけは救おうとする。

 内乱での惨殺行為からこのラストシーンにいたるまで、ディミトリの「身内にだけ優しい」というスタンスは一貫しているのです。

 フレーチェ殺害シーンにおけるディミトリが、ロドリグのことばかりを気にして「自分がフレーチェを復讐者にしたこと」は気にしないのも「ディミトリが優しいのは身内(ロドリグ)にだけ」と思えば納得です。

 そう考えると、青獅子推しさんから言われた「ネームドキャラを殺すのはひどくてモブはひどくないのか?」という意見はなんだか皮肉に聞こえますね。

 それを前提として考えると「ダスカーの悲劇」に関する一連の事象も見え方が変わってきます。

 王国とダスカーの民に軋轢が生じるきっかけとなった「ダスカーの悲劇」には「闇に蠢くもの」の関与が示唆されていますが、その軋轢が決定的になったのは王国がダスカーの民に対して「民族郎党報復」という政策を取ったからでしょう。

 ディミトリの「身内を守るためなら他者は容赦なく攻撃する」という性質は、彼個人のものではなく王国の方針も影響しているのかもしれません。

 また、前述した通り、王国は作中で国としての問題点を示唆されているのに解決しないままエンディングを迎えます。ということは、プレイヤーが知り得ない未来ではドゥドゥーやシルヴァンのような犠牲者がまた現れているのかもしれません。

 ディミトリが救うのはディミトリの手が届く範囲の人々であり、彼が認識していない人の生死は彼にとって些事なのです。それは「いまここに暮らす数十万の人々」と「これから出るであろう数百万の犠牲者」を秤にかけて後者を取ったエーデルガルトとの対比としてとても綺麗だと感じました。

 この対比に気がついたとき「制作側はなぜわざわざディミトリの暴力性を強調するようなシーンを入れたのだろう?」という自分の中にあった疑問が解決した気がしました(もちろん、公式がそうと言っているわけではないので自分の中だけでの話です)

 エーデルガルトとディミトリの思想はいわゆるトロッコ問題(どちらかを助けるためにどちらかを犠牲にしていいのか? という倫理学の思考実験)であり、どちらが正しいという解はないのでしょう。






●まとめ

 蒼月ルートをクリアした自分は「なぜ制作側はこんな不快なシナリオを……」などと感じたのですが、古い体制を体現した国の現状を主人公を通して内部から見せることによって、「エーデルガルトはこういうものを壊したかった」ということを伝えたかったのかもしれない……とも思いました。

 また、私は「王国の子はみんな健気! いい子! かわいそう!」というファン界隈のノリに加えて、そうでない意見への過度な反応によって「もうシナリオ自体どうでもいいや」となっていた部分もあるのですが、それによって「そうやって王国の問題点は看過されてきたのかも……」とも思わされ、いい意味でゾッとしました。











☆蒼月ルートと聖戦の系譜の類似点

 この記事を書いている最中に気がついたのが、蒼月ルートのシナリオと「聖戦の系譜」の類似点でした。それを前提として考えるとまた違ったものが見えてきそうなので、似ていると感じた部分を記述してみます。






●ディミトリとシグルド

「聖戦の系譜」の主人公であるシグルドは、一重に言えば「悲劇の主人公」です。誘拐された幼なじみを助けるために挙兵した彼は、いろいろな策謀が交錯した結果として士官学校の旧友であるエルトシャンと敵対することになります。

▼エルトシャンを殺害することになりに悲観に暮れるシグルド

 それでも彼は軍の指揮官として毅然とした態度を崩さず、アグストリアの鎮圧を進めます。オイフェ(右のキャラ)のセリフが示すように、それが彼に求められている役割だからという事情もあるのでしょう。ここはディミトリの置かれた状況と重なる部分ですね。

 シグルドにはもう一人、キュアンという旧友がいます。彼は妻でもありシグルドの妹でもあるエスリンと共にシグルドを助けるために駆けつけますが、そこを敵に襲撃されてシグルドと合流することなく惨殺されてしまいます。

 更にシグルドは後の皇帝アルヴィスに妻のディアドラを奪われ(実はアルヴィスはディアドラがシグルドの妻とは知らなかったようです)、アルヴィスの奸策によって反逆者の汚名を着せられて仲間たちと共に処刑されます。

 しかし、そんな彼は幽霊(?)として息子の前に現れたとき「人の悲しみを知れ。真実はひとつではない。お前がその事に気付かなければ、仮にお前たちが勝利した所で、この戦いは無意味な物になるだろう」と「他人の悲しみ」や「大局」に目を向けています。

 このセリフは血統によって迫害を受けてきたアルヴィスの事情と、アルヴィスを倒しても彼の背後にいるロプト教団を退けなければ真の平和は訪れない……という戦争の背景を示唆しているのでしょう。

 風花では、この役割は翠風ルートおよび銀雪ルートのヒューベルトが担っています。では、ヒューベルトがエーデルガルトの伝言役をしない蒼月ルートでは……?





●エーデルガルトとアルヴィス

 奸策を巡らせ、シグルドから家族や仲間たちを奪ったアルヴィス。その後、アルヴィスは皇帝となりシグルドの息子セリスと対峙することになります。この二人の関係は、なんとなくディミトリとエーデルガルトの関係に似ているように感じました。

 アルヴィスは「ロプトの子孫」という「生まれ持った血統」によって迫害を受けていたという過去を持っています。

 非道にも見えるアルヴィスの行動の根底にあるのは「差別のない、誰もが住みやすい世界を作る」という目的でした。そのためにシグルドを陥れ、多くの人々を犠牲にしたのです。

 この過去は「次期皇帝になる者は強力な紋章の力がなくてはならない」という理由からきょうだい達と共に地下牢に繋がれて実験台にされ、きょうだい達は死亡、もしくは正気を失ったというエーデルガルトの過去を彷彿とさせます。

「世界の構造を変えるためには犠牲を払うのも仕方がない、それが多くの人々から非難されることであっても」という思想は、エーデルガルトとアルヴィスに共通した点と言えるでしょう。





●ダスカーの民とイザークの民

 もうひとつ、蒼月ルートと聖戦の系譜が類似していると感じた点が、ダスカーの残党兵とイザークの王子シャナンの件です。

 シグルドは敵国であるイザークの王子シャナンを庇うことによって、お膝元であるグランベル王国から「シグルドは裏切り者なのではないか」と疑いの目を向けられます。

 しかしその後、反逆者として命を狙われることになった息子のセリスを匿ってくれたのは、ほかでもないイザークの人々でした。イザークの人々は自国の王子を助けたシグルドへの恩を、彼の息子であるセリスに返したのです。

 この展開も「ダスカーの残党兵を逃がしたディミトリが、その後ダスカーの人々によって助けられる」という蒼月ルートの展開と似通っており、故意に被せてある部分なのかなと感じました。





●「闇に蠢くもの」と「ロプト教団」、「セイロス」と「ナーガ」

 また「皇帝アルヴィスと、アルヴィスと手を組んでいるロプト教団」という構図も、「皇帝エーデルガルトと、エーデルガルトと手を組んでいる闇に蠢くもの」という構図に類似しています。

 人間を憎む邪竜「ロプトウス」と、ロプトウスを神と崇める「ロプト教団」。当時大陸を統治していた国を滅ぼして「ロプト帝国」を興した彼らは、人々に圧政を敷き虐殺を繰り返しました。

 しかしその後、反旗を翻した解放軍によってロプト帝国は滅ぼされます。この解放軍に協力したのが、「ナーガ」を始めとする竜族たちでした。これらの組織たちの構図は、アガルタと戦ったセイロス達を彷彿とさせます。

 ロプト帝国が滅ぼされたあと、ロプト教団の残党は邪神ロプトウスの復活を目論みます。そのために暗躍しているのがマンフロイという司祭です。このマンフロイの立場もまた、風花におけるタレスの立ち位置に似ていると感じました。





●エーデルガルトとユリウス

 戦後ロプトの子孫やロプト教団の人々は迫害されるようになり、「魔人狩り」という名目で次々と処刑されます。そして、ロプトの子孫であるアルヴィスは、ロプト教団と手を組んで差別のない世界を作ることを決意しました。

 しかし、今度はアルヴィスの息子であるユリウスが邪神ロプトウスとして覚醒し、かつてのロプト帝国と同じように圧政を敷き始めます。

 実はロプト教団がアルヴィスと手を組んだのは、始めから「ロプトの子孫であるアルヴィスとディアドラを結婚させ、ロプトの直系を生ませてロプトウスを復活させること」でした。

 その事実を知ったアルヴィスは、シグルドの息子であるセリスにユリウスの討伐を託して息絶えます。

 エーデルガルトはアルヴィスでもあり、ユリウスでもあると言えるのかもしれません。

「闇に蠢くもの」たちが行っていた「血の実験」の目的は不明ですが、「ネメシス以上の存在を作り上げるためでは」という説があります。そうであるならば、唯一の「成功体」であるエーデルガルトは「第二のネメシス」と言えるでしょう。

 また、このセリスとユリウスは母親を同じとする異父兄弟です。この「血を分けた兄弟が主人公とラスボスとして殺し合う」という展開もまた、義理のきょうだいで殺し合うことになったディミトリとエーデルガルトの関係に通じます。

 ただし、エーデルガルトは彼らとは異なり「闇に蠢くもの」と対峙していることが後日談で明かされます。もしかしたら、紅花ルートにおける皇帝エーデルガルトの姿は、ロプト教団を退けたアルヴィスの姿なのかもしれません。

 もうひとつおもしろい情報が、聖戦の系譜の関連書籍によると「制作段階ではアルヴィスがラスボスであり、ユリウス戦は『そういえばユリウスがいた』ということで追加された」という記述です。

 これを知ったとき「蒼月ルートではなぜかハピの後日談で闇に蠢くものたちとの戦いが言及されること」を思い出し、そんなところまで被せなくてもいいとなんだか笑ってしまいました。






●まとめ

 ……といった感じで蒼月ルートのシナリオはFEの過去作と類似している部分がいくつもあり、「FEらしいヒロイックなシナリオ」と呼ばれることもあります。ですが、個人的には「FEの過去作を模した皮肉パロ」なのでは? と感じました。

 というか、必要以上の(戦場外での)暴力は振るわないマルスやシグルドら過去作の主人公たちを、捕虜を虐待したり笑いながら人を殺す人と一緒にされたくありません。



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