「天声人語」(朝日新聞 2022年5月4日)



先の大戦末期、米軍は各地に焼夷弾の雨を降らせた。爆撃機B29は猛攻の象徴だったが、撃墜されることもあった。和歌山県田辺市龍神村の元教師古久保健さん(84)は終戦の年の5月5目、1機の墜落を目撃した▼米兵7人が即死していた。小2だった古久保さんは大人たちに言われるまま、遺体に石を投げた。胴に命中する。「ボホッ」。嫌な音が耳に残り、自分の行いを悔いた▼落下傘で脱出した米兵は村人に捕まり、日本軍に処刑された者もいたという。村の助役らは「死者に敵も味方もない」と説き、米兵を弔った。古久保さんも中国で戦死した父の最期を思った。教員生活を定年で退くと、記録を読み人々を訪ね、著書『轟音』を刊行した▼9年前、米フロリダ州に住む80代の女性を訪ねた。機体の破片を手渡すと、女性は墜落で命を失った兄の写真を何校も見せてくれた。古久保さんは、遺体に石を投げた目の悔いを話した。「遺族の苦しみは勝者も敗者も同じ。戦争を始めるのは簡単。終えるのは難しいと痛感しました」▼いま古久保さんの言葉がより胸に迫るのは、ウクライナの現実があるからだ。だれもが願う停戦すら実現の道筋が見えない。戦火がやんだとして、人々の胸に宿る憎悪の炎は簡単には消えまい▼あす朝、龍神村では慰霊祭が開かれる。先日、会場を訪ねると、慰霊碑の近くでサクラが若い枝を伸ばしていた。米兵の遺族から届いた浄財で苗木を買ったという。戦争の恩讐を超えるまでの歳月を思った。(2022・5・4)