武市半平太(瑞山)
 場所 須崎市横波県立自然公園内の駐車場
 1829年土佐郷士として生まれる。
 江戸に遊学し、久坂玄瑞・桂小五郎・高杉晋作達ら尊攘志士達と交流。
 万延元年9月25日土佐に帰り「土佐勤王党」を結成。署名血判筆頭となる。
 龍馬は9番目に血判する。参加盟血判者は192名。その後、土佐藩重役・吉田
 東洋暗殺、京都では「人きり以蔵」らを使い天誅・暗殺の黒幕として君臨していた
 が、藩主・山内容堂の命により捕縛・入牢の末、慶応元年5月11日、切腹。
 尚、瑞山は絵金と徳弘董斉を絵の師とし、すばらしい作品を後世に残す。