AUTOな生活 前のページに戻る
・大学1年の冬合宿で免許を取る。卒検の時、仮免を落として大騒ぎになる。結局待合室の椅子の下から発見。事なきを得る。
山形県赤湯自動車学校
・大学3年の時、兄からスズキ「フロンテクーペ」を譲り受ける。珍しいRRの車だ。ジュージアーロのデザインは美しい。
2スト360tながら時速130キロをマーク。富士山ラリーでは途中で空気が薄くてエンジンがふかなくなったので、エアクリーナーを取り外して走行した。ガレ場を良く走ってくれた。夏休みに広島から東京に帰る途中ではエンジン回しすぎで、プラグが1本溶けていた。240tで走っていた。 いろいろと楽しませてくれた車であったが、最終的にはミッショントラブルと、雨漏りで廃車。
・知り合いからダート使用のいすゞ「ジェミニ1800LS」を18万円で買う。カヤバサスと、アンダーガードが付いていた。しばらく乗っているとエンジンが不調に。中古のエンジンを載せ変えたが、いまいちだった。電気系統も弱く、修理代のほうが高くかかった。サスもいまいちだったので、ビルシュタインに交換。ラリー用にツイントリップを付け、マフラー強化。クワトロのバケットシートに、シュロスの4点シートベルト、モモのステアリング、シビエのフォグランプを装備。
・自動車部で伊豆にラリーにi行った時の写真。我がジェミニとレビンとトレノ。 この時カーブで曲がりきれず、崖から落ちそうになるが、どうにか轍で助かった。
・大学院2年の時、国内B級ライセンスを取る。
・社会人になり、クラブチームに入る。チーム名は、WRC(wining run racing club)。
・ダートラに出場。1本めでクラッシュし、右前部を大破。修理の後、二本目は完走。しかし、このクラッシュが尾を引き結局廃車に。
・「かっとびスターレットsi」を中古で買う。1300のくせに、その速さにぶっ飛ぶ。車と一体化し、スキーのをウェーデルンをしているような感じで走る。最高時速170キロを体験する。カヤバジムカーナショック、フジツボマフラー、ストラトタワーバー、4点シートベルト、プリンスバッケトシート、ツイントリップを装着。
・その後、国内A級ライセンスを取る。 サーキットを全速で走っている時、シビックSiに軽く抜かれショックを受ける。
・ジムカーナに出場
・競技に出ると車がかなり痛みお金がかかるので、クラブから自然と遠ざかる。
・車で遊ぶのではなくて、遊びに行く車ということで、カリブを買った。初めての新車だ。タワーバーと、フロントガードと大型フォグランプを装備。当時ステーションワゴンではまだあまりなじみの無かったステンレスのフロンとガードは珍しかった。その後うちの車を真似した様に、猫も杓子も装着し始めた。サンルーフやリアスポイラーなどオプションをたくさん付けたため、予算上グレードが下がり、今となっては珍しい、集中ドアロックも無い、パワーウインドウでもない車であった。でも、下の写真はカリブお別れの日。
・マニュアルミッションにも飽きてきて、作品やベニヤ板などが積めないなど、色々なことが重なり、7万キロを越え、買い換える事に。カルディナ、レガシー、オルティアなどと比較しながらモデルチェンジしたばかりの「松嶋奈々子の、お・ま・た」のCMのサルサルサリュー「アベニールサリュー」に決定。
タワーバーのみ装着。
息子が洗車してくれてます。
萩旅行のとき、左折で縁石を見落とし左後部ドアとリアフェンダーを大きくへこまして心もへこんだ。そうこうしているうちに、9年15万キロに達した。こんなに長いあいだ乗った車は初めてだ、そんな時ようやくマツダから欲しい車が発売されることになった。妻の兄がマツダに勤めていることもあり以前からマツダ車を考えていたが、なかなか欲しい車がなかった。平成15年の2月いっぱいでサリューの車検が切れてしまうので、それまでにと考えていたが、2月の頭に発売とのこと。1月の寒い中、広島市のマツダとアンフィニに展示車を見に行きましたが、まだ発売までなので試乗はできないとのこと。しかし、足のいいマツダを信じて、ニュープレマシーを予約しました。最大7人乗りで、荷室も広く、ベニヤ板も積め、2000のツインカムです。シフトもアクティブマチック付きでとてもスポーティーです。後から、中古のマツダ純正のアルミと、オートエグゼのタワーバーをつけました。ボンネットが短く、タワーバーの取り付けに苦労しました。
妻の実家にて
取り付けに苦労したタワーバー