プラモデルな生活 ※注 ≪プラモデル≫という名称は1959年に潟}ルサン商店が登録した登録商標で、
             同商標は現在日本プラスチックモデル工業協同組合が所有し公開されています。
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小学校から中学にかけて熱中。
特に入れ込んだのは田宮のミリタリーミニチュアシリーズ。
1/35のサイズの戦争ものシリーズ。これにはまってからは一切、田宮以外のプラモデルは買わなくなった。
平日でも勉強をせずに作っていた。当時としては珍しく、中にはモーターライズの物もあったが、ほとんどがディスプレイモデルで、中には戦車の内部まで再現されているものもある。田宮で当時流行っていたものに、「パチッ特集号」と「人形改造コンテスト」の二つがあった。「パチッ特集号」の方は、ジオラマを作りそれを写真に撮って応募するというもの。私も、戦争に関する本を買ってそれに載っている写真を参考によく写真を撮った。でも、接写レンズが無かったので、臨場感のある写真は撮れなかった。戦車や兵隊もわざと汚れた様に見せる「汚し塗装」を行ったり、リアル感を出すために、レリーフ状の部品を取り除いて、新たに部品を作ってつけたり、実際の素材(金属や、布など)で部品を作ったりした。
「人形改造コンテスト」は1/35のミリタリーミニチュアシリーズの人形を改造して、その腕前を競うというもの。もともとは兵隊の人形であるが、兵隊に限らず、さまざまな人形が出てきた。

この写真は1975年の第3回の時の入賞作品です。山口百恵や、ブルース・リーなど当時の流行がわかります。

この時14歳で二つ作品が入選しました。

今思えばプラモデルに熱中していたことが今に繋がっているような気がします。そういえば今の作品もプラモデルのようにいくつかの部品で組み立てられている。(笑)