お題:「くらくて絶望的なエロ(ハピエン)」

 

以下あてはまる方はUターン推奨

・未成年の方(これは推奨ではなく必須)
・色気のない性描写には怒りを感じる方 
・現実臭がする二次は受け付けない方  
・現実味のない展開は許せない方      
アリスがシリアスゲイでぶっちゃけ別人です。
それでもよろしければどうぞ。



 


Metaphysical Garden






はづき様







高性能を誇るプリンタのCMが、三次元に見える映像も精密な平面でありえることを暴くように。
君の心の中の静謐の庭とやらを上からぐじゃりと潰して棄ててやりたいと。
そう、思った。

 

酔った勢いで接触過多になることなんて日常茶飯事だ。大学生の時に男にしか欲情しないことを自認して以来、変な気疲れのないよう同類と飲むことが多くなった。
ゲイ仲間の誰もが性欲優先というタイプだった訳ではない。どこの深窓の令嬢だとからかわれ続けそれでも思い人の名をあかさない純愛男もいた。それでも、彼の部屋で飲んでいてふと目があったついでに唇を重ねる程度には……そのまま優しく慰め合っても気が咎めない程度には、私を取り囲む性規範は緩やかだった。
出版社に就職してからもその状態は変わらなかった。もちろん生活圏の違いから顔ぶれは随分変わったし、一人暮らしになったこともあってどこで何をするかは大きく変わったが――さすがに男を住み着かせるようなことはしなかったが、親と暮らしていては表に出せない常備品がベッドサイドに増えていった――変わらず私は不特定少数の男と不断に関係を持っていた。

 

全くもって不毛なことに、ホモはホモフォビアに近いほどの「男らしい男」に惹かれる傾向がある。

S/M指向のゲイはこの男性優位社会でほしいままにふるまい女性を暴力的に犯す男たちをたとえ軽蔑していたとしても同時に性的には彼等に惹かれてしまうので理想的な状況はそういう男達の自由を束縛してふだんは貫通放出の性意識でこりかたまっている男を徹底的に受け身の状況に拘束してその形で彼らを種々の性的加虐侵犯の対象としながら男としての最終的な放出を許さずにおくとそのような男はどうなるだろうかに好奇心がわく

まさに晴れの日の雷のようにそんな一文に遭遇した時、やるせなさの余り胸を掴んだ。

自分の好きな・男らしい男に性愛をS/M的に強制してあわよくば同性愛に変身させる夢は全くの幻想ではなくある程度の現実性がある。ゲイの男性はあるいはこのような夢をもとめて、一生さまよう、という運命にあるのであろうか。




現実性など、あるだろうか。私には幻想にしか思えない。しかもこの妄想は、決定的な性侵犯を含むという矛盾から逃れられない。どうして抑圧から脱しようとする行動が他者を抑圧することになってしまうのか。
だいたい、そんなせんない妄想も、タチだから可能なのだ。
私のように受け身を好む者に、無理やりは有り得ない。

私の身体の空隙を埋めてくれる物質を持つ生物の大半は、私を性愛の対象として見る目を持たない。

私は、男の指に欲情する自分を許容する仲間達と指を絡めながら、時にはそれを互いの中に埋め込みながら、しかしその指からつながる先の心としては彼らを求めていなかった。
私と交わった男達もそれを許容した。お互い様の割り切った関係だった男もいたし、「躯だけでええよ」と言いながら私を許した男もいた。

多分、私たちは、ばらばらのジグゾーのピースでいる寂しさに…そのままかたわれのピースに出会えない可能性の大きさに肩を寄せ合って耐えていたのだ。

さびしい。
いつもいつもさびしい。

 

「別にそれは同性愛者だからじゃないだろう」
知ったような口をきく火村に私は抗議した。大学で知り合ったこの風変わりな友人には性癖も貞操観念もばれている、それなのに平気で泊めてもくれる、泊まってもくれる、なかなか得難い理解者だ。
数あわせに呼ばれた合コンで悪酔いした私を、「仲間」の一人が外の空気を吸わせに連れ出してくれた、そのついでにキスをしてきた。―――ところを、偶然見られた。ふざけてたんだなと流そうとしてくれた友人に、酔いに背中を押されるようにカミングアウトした。
最近母校に就職し忙しくなったこの友人は、滅多にない来訪時、いつもいつもタイミング悪く男達と遭遇する。またはその目敏さから男の痕跡を発見してしまう。性癖については「そうか、わかった」としか言わなかった男が節操のなさについては眉根を寄せるので、私としても恐縮ではあるのだが―――渇きが満たされない以上、男達の手を離すことはできない。

「異性愛者が言うな」
「アリス、その台詞を作家が言うな」
追想像を否定する私の台詞を火村は一刀両断した。これは確かに火村に分がある。私はしぶしぶ発言を撤回した。撤回はしたが、しかしどうしてもくすぶる心がある。
君に分かるもんか。
「女嫌い」なのは君の勝手、こっちは最初から男から嫌われとる存在なんや。
君はいつか誰かに「他の女と君は違う」と言えばいい。
しかし私は、「他のホモと君は違う」と言われたい訳じゃないのだ。

男性を愛する私を含めて、私全部を愛してくれる相手。そんな綿飴のような幻想から逃れられない。

「一夫一婦というのは現在の社会体制に都合のいい制度でしかないんだから、文字通りコモンセンスではあっても人類普遍の真理ではない。だから、モノガミストでなければならないなんて言うつもりは毛頭無い。お互いの了解の元、好きにつきあえばいいさ。ただそれで俺に文句を言うなと言ってる」
「文句、は、言うてへんけど…」
文句じゃない。ただ、さびしい。誰と抱き合っても満たされない心が、さびしい。
私を「理解」してくれる君といてさえ。
「だったら、こころもからだも満足できる一人とつきあえ」
だから!
それができないから、さびしいのに。
所詮、スタートラインが違うマジョリティには分からない。
「もうええ、俺は心と躯を分けたまま、さびしさに耐えて生き続けたる。君はそういう女を見つけて幸せに結婚してしまえ。式では高村光太郎の「人に」を暗唱しながら大泣きしてやる。式場騒然やな」

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

「俺が嫁に行く訳じゃねえだろう」
「誰が俺と君との仲を誤解させると言うたか。新婦とに決まっとるやろ」
あ、お前とそいつが知り合いだったって設定な訳か、などととぼけたことを言っている我が校の俊英に――大丈夫か、母校――思いっきりクッションを投げつけた。

そんな、会話もあった。あの頃は。

 




火村は変わった。
段階をつけて変わったせいで、私は友人が何を思っているのかつかめないまま、つまりどうにも方向性を変えられないまま、ここに至った。
あの会話からそう遠くない頃、火村は入れ替わり立ち替わり複数の女性の残り香を部屋に持ち込んだ。恋愛相手にはまらない彼の態度を、私はフィールドワークか?とからかった。心と躯は別だ、それでいいと言い張る私の心境を実地体験しているのか、と。火村は肩をすくめただけで何も言わなかった。
似合わないその乱行がおさまった後、事態は裏返った。
火村は、躯を切り捨てたようだった。

同時に、「私」からも躯を切り取った。
彼は、まるで競馬馬が前だけを見せられるように、私の中の「心」とだけ相対するようになった。
話の流れで男付き合いの件に会話が及ぶと強引に話を逸らす。
夜の来客や外出をまるで念頭に置いていないかのように訪ねてくる。
突然の来訪に慌てて裏返しにシャツを着て出ても、平然と応対し、煙草を忘れた取って来ると言い残してエレベーターホールに引き返す。
私に追い立てられた男が出がけに指摘して初めて私は露わになっていたタグと鬱血とに気づく。玄関でシャツを着直して、ちょうど戻ってきた火村と部屋に入れば男が持ち込んだ避妊具の箱がテーブルに載っている。さすがに気まずくて後ろ手に隠したが、火村は何も言わなかった。
いや、見えていないようだった。
見えていない?
私は心を鎮めようと努力しながら空気清浄機をターボ運転に切り替えた。
「あ?まだそんなに吸う気はないぜ?」
「は?」
「いや、煙草だろ、空気清浄機」
どうみても本心からそう言っているらしい火村の声。直前まで交わされていた妄りがましい行為のにおいがそれに慣れた私の鼻にも届くのに。こういう時には自分からリモコンを操作していた火村が。
「……火村、さっき、永沼とすれ違うた?」
「誰だ、それ」
「え……火村同級やったやん、俺のオトコ、の一人で」
火村は、まるで聞き慣れない言語を聞いたというような顔をして、やがて煙草に火をつけ、ゆっくり吐きだして、
「それで、今回府警に呼ばれた事件のことなんだが」
と話を始めた。

その接続詞はどこにつながるんだ、その前に永沼はどうなった、だいたいその鼻。言いたいことは次々と浮かんできたが、全部声帯の前でとまった。
五感のいくつにも関係するこの事象が、生理的な不具合である筈がない。
結論は見えている。

オトコのことを、持ち出すな。火村はそう要求している。

考えてみれば、あまりに無頓着だった。不意の来訪だということで割引かせてもらうとしても、私は友達に対する配慮がなさ過ぎた。全く、同性愛者に限った話ではない。私は反省し、様々な性生活用の品々を奥にしまった。ローションの空瓶がうっかりベッドサイド転がっていることもないように、ティッシュが異常に詰め込まれたゴミ箱もないように。
そうであっても、狭い交友関係しかもたないがために、何かの話題を出せば十に一つの割合でオトコの名前が出た。そのたびに「全く記憶にない」という顔をされる。

そのトリムフィルターは、私と他との関係から私の性向にまで及んだ。
「最近ご無沙汰やから、なんかテカる」
そんな呟きさえ黙殺され、――彼ははっきりと、黙殺を、した――、私は性的な話題が全くできなくなった。
男同士なら必ず猥談をする訳ではない、最初からそんな話題を切り離した付き合い方もあっただろう。だけど、――これは同性愛者だからなのだろうか?――私はオトコではない同性の友人と…理解者と話し合えることが嬉しくて、かなり明け透けな会話をしていたのだ。

0から90が全てだと、最初から思っていたなら、90を以て円を形成できる。
しかし、0から100だと思っていたのを90までにとどめたなら、それは何かの欠落を示す円グラフのようなもので、どうしてものこりの10の「非存在」を意識してしまう。
90までの関係の充実度と無関係に、それは、私をさびしがらせる。

不意の来訪を受けて――フィールドワークが忙しいのか、最近こんなことが多い―――、土産の唐揚げなぞをつまみに飲みながらテレビを見るともなしに見ていたら、形而上の愛について宗教家が語っていた。
「さびしからずや道をとく君、やな」
私が鼻で笑うと、その言い方が火村の不興を買ってしまった。
「触れもしない、愛も、あるだろう」
触れも、触れられも。……していない、最近。オトコを部屋にあげることは憚られ、突然の来訪に備えて私はなかなか夜部屋を開けられない。トン、と煙草の箱を叩く音がして、私の目は思わずそこに引き寄せられる。男の指。長く、節のある、指。
「…確かに、俺も『柔肌』には『触れもせで』、やけど」
「明け透けな会話」で知っている、火村は女の胸の触感が好きだ。乳房自体というより、それに柔らかく迎えられる感触。私には全くその価値が分からない弾力、そして私自身の体にはどこを切り取ってもない柔軟性。
呟きは予想通り流された。
火村は少し遠い目をした。
「俺には、ある」
「……は?」
「触れなくて、いい。思うだけでいい。同じように思い返してくれることを考えるだけで、俺は射精より快感に至れる」
私は泡の消えたビールを口に含んだ。苦い。
「………知らんかったな、そんな相手おったんや」
思い、思われる、相手。
そんな女の影さえ出さないほど、私達の間には切り取られたものがあったのか。私達はお互いを一番「理解」しあえる関係ではなかったのか。
火村が私の前から『躯』を消して久しい。
しかし、それだけでなく火村は、私の見えないところに『心』の輪を作っていた。
「もともと生物的な循環は求めていない。自分のためだけに研究をして、それが満足できれば一個体のまま消滅して構わない。…まあ、こういう」
火村は人差し指でとんとテーブルを叩いた。
「安らぎの庭があるから言えることではあるけどな。友情に感謝ってやつだ」
火村は喉を潤した。

私は。どちらの渇きも潤せない。

 

その日火村が眠っているはずの部屋と壁一枚を隔てて、私はベッドの中で疼きに耐えていた。

入れてほしい。
突いてほしい。
壊してもいい。

ほしい、硬く熱い男の象徴が。

既に布団は丸められ、私の両足に挟まれている。すがりつくようにしてしばらくじっとしていたが、耐えられず、私はそろそろと背中からスウェットに手を差し入れた。
前はただ腰を動かすことで刺激を得られるが、後ろの空隙は「もの」によってしか埋まらない。
私はしばらく丸みをさすっていたが、面倒になり、スウェットを脱ぎ捨てた。
唾液でぬらした指を線に沿って奥へ、さらに奥へと進める。
わずかに抵抗した入り口は、やがて柔らかくほどけ、快楽を思い出したように柔らかく指を包み込んだ。
足りない。
もっと、強く。
もっと、奥まで。
指の残像が私の心を狂わせる。
私の体を這い、なぞり、高めたオトコ達の指。比類無く美しい火村の長い指。
「あ…ん…」
声を漏らしたのと同時に扉が開いた。
「アリス、悪い辞書貸……」
慌てて引き抜いた指は敏感な箇所に思わぬ刺激を与えた。
「んっ!」
何をしていたか分からなかった筈はない、それなのに火村はそのまま中に入ってきて、目的の辞書を手に取った。まるで、私の体が、見えていないかのように。
「借りてくぜ?」

私の頭の中で、かちり、と音がした。
ふたを押さえていた最後の留め金が壊れる音だった。

もし、違う関係なら、感謝する所作なのかもしれない。お互いに気まずいはずの場面、何事もなかったように流すのは。
だけどそれは、「無かったはずのものが現出したのを、なかったことにする」という共同作業の筈だ。

違う。
私の中に、それはあるのだ。
男に欲情する、それが私だ。
それだけが全てではないけど、切り捨てることのできない私、それがこの躯だ。

共感はできないが理解はできる。
そんな言葉で認めていてくれた筈の、私。

それが今、無かったことにされようとしている。

「私」が火村に棄てられるさびしさに、私は、きれた。
下半身をむき出しにしたまま、ベッドサイドに腰掛ける。
「火村」
「…なんだ?」
「躯がうずく」
火村は黙った。
「そうか」と承ければ認めたことになる、「何が」と返せば説明されてしまう。だから彼は黙る。
私を受け入れるつもりはないのだ。私は闇の中、口角をあげた。
「なあ、火村」
「…なんだ」
私は強引に火村の手首をつかみ、そのまま背中から後ろに倒れた。バランスを崩して覆い被さってきた火村の首に両手を回す。
硬直した火村の頬を舐めて、私は薄く笑った。
「……なんのつもりだ」
「せえへん?」
「何を」
この期に及んで。思わず嘲笑に似た息がこぼれた。
「気持ちイイこと」
「ひと」
りでやればいい、と言いかけたらしい火村は賢明にも黙った。彼が黙殺しようとしていたのは「一人ででもやる私」だから。
「最近、オトコ日照りで、入れてもらってないねん」
なあ、と擦れた吐息を耳に吹き込みながら、太ももを彼の足にすりつける。
軽く臑毛と服が擦れる音がする。私はまた冥く笑った。まるでテレビのホモネタそのままだ。青い顎の薄気味悪い男が迫りかかる。仕草は女でも体はどうしようもなく男。

火村。
ここにいるのは物わかりのいい友人、じゃない。
落ち着いた、安心できる、清潔な庭。―――――そんなものはここにはない。

「……」
まるでデリラのように、私は彼をおとしにかかった。
人差し指で、次いで中指で頸動脈をさすり、そのまま耳殻をなぞった。
「絶対気持ちようしたるから。俺も火村のやったらすごい気持ちええと思うし」
言いながら、左手で火村の股間をなで上げる。当たり前だが、まったく兆していない。しかし、長い付き合いである程度の大きさは知っている。欲情したそれがどんなに奥まで私を満たしてくれるかと想像し、思わず熱い息をはいた。
興奮に潤んだ私の目を、しかし射貫くように見据えて、火村は低い声で言った。

 

「アリス、分かってるか、お前がやっているのはセクハラだ」

 

―――分かっているとも。
私は口だけで笑った。知っているとも。
ヘテロにとっては、誘いかけられることさえハラスメントであるということくらい。
そのさびしさをずっと訴え、「共感はできない」と突き放され続けてきたのではないか。

「俺の側にそのつもりはないし、そもそも無理だ」
「俺の豊富な性体験を甘く見るな。君を勃たせるくらい朝飯前や。勃ったら後は君は寝てるだけでええ」
火村は目を眇めた。
「……本当に、俺『の』だけがほしいようだな。そんなところまで心と躯は別、か」
「ああ。何やったら後ろ向いて跨るか?気持ち悪いもんが見えんですむやろ」

心理的な快楽、人とふれあう喜びなど、今はいらない。
ただ私の欲情を全身に浴びろ。

「………してくれへんのやったら、オトコ呼ぶわ。もう疼いてかなん」

火村は小さく舌打ちをした。
「だから帰れって?」
「いや、隣におってええで?もう終電もないし。別に混ざってもいいけど……向こうで寝るなら耳栓探さんとあかんな」
いっそ聞けばいい。私がどれだけ淫らに男を求めるか、鼓膜からその事実をしみこませてやりたい。
黙り込む火村に焦れて、私はベッドサイドの携帯に手を伸ばした。
と、その手を強い力が押さえ込んだ。
「……何が狙いだ?俺をどうしたい?あいつらと同じ位置に落とせば満足か?」

落とす。
その言葉に私はまた嗤った。
そうか、無前提に、絶対的に、ヘテロが「上」か。

「せやな、君もドーブツやと言うてやりたい気はあるな」
「動物であることまで否定していない。ただ、機能の一部が不要だと言っている」
「要らんのやったら俺にくれ。もったいない、そんないい体」
火村は私の手を振り払って起き上がった。

「わかった」
冥い目だった。
「友情に免じて抵抗はしないでやる。勝手に使え」
火村はベルトを外し、ジッパーを落としてベッドに横たわった。脱ぐつもりはないらしい。隙間から取り出すことはできる、それだけ。私がそういった。それ、だけでいいと。
「さっさとやれよ。眠くなったら勝手に寝るぜ」
私は彼の上に覆い被さった。気配を察したのか、火村は顔を背けた。目は、あけたまま。
「余計なことはするな。俺はあいつらみたいな恋人ごっこするつもりはない」

躯だけの付き合いといいながら、男達はみな優しかった。約束のない付き合いであることを知っているから、余計に会っている間だけはそうでないふりをしたかったのかもしれない。私達――私と、その時々の相手――は、セックスの間だけは、世界で一番熱いカップルだった。未来を誓う言葉は互いに注意深く外し、今の愛の深さを囁きあい、口づけでそれを確かめ合った。

優しい嘘を拒絶され、私は仕方なく生理的刺激を与えにかかった。全く平静な股間に手が届くと、火村が鼻で笑った。

「随分直接的だな。テクニックも何もいらねえじゃねえか」
「…」
私はそのまま手掌をすべらせ、足下に辿りついて靴下を剥いた。玉杯から酒をうけるように、目をつむり足を持ち上げる。親指の裏を舌全体で舐めあげ、次に唇で指側をはみ、舌先から舐めおろすと今度は指の股をはじくようにして舐めた。人差し指は腹に口づけ、中指は舌で巻き取り、薬指と小指はまとめて口に含んだ。口から足をはずしたところでうっすらとあけた目に小指の爪がうつる。人によってはいびつな形をするこんな部品さえ精巧に、完璧に作られている。私は爪の付け根を舌先で押した。美しい。この指も、そこから続く骨の形も、踝も。私は初めて至近距離で見たそれらに丹念に口づけた。

 

もう今後、この距離は、ない。

 

そのまま火村の顔に目を遣ると、冷たく目を細められた。意味のないことはするな、と。
私は手の中の芸術品をそっとベッドにおろし、あまりにも平静な彼の中心に向かった。

ある程度の堅さがあれば下着の合わせ目から自然に飛び出ることもあるだろうそれは、まるで生理現象でトイレに向かったときのように柔らかく私の手の中でおさまっていた。そうであってもおもさのあるそれに、小さな口づけを繰り返す。張るはずの先端を口で覆うと、思わずといった様子でふるえはしたが、硬くはならない。丹念に口の中で転がしていると、突然火村が声を出した。

 

「―――アリス、やめようぜ。まだ引き返せる。この領分に踏み込まないままなら、俺たちは親友としてやっていける。踏み込んでしまったら、躯だけだろう?」

 

この期に及んで優しい声を出した悪魔を、私はにらんだ。火村の足指と性器とを舐めあげたことで、私からは既に先走りがしたたっている。それを肌でうけた火村が分からない筈はない。私の躯には完全に火がついている、それを『親友』という何者にも代え難い言葉で棄てさせようというのだ。
だけど、それだけならまだいい。目もくらむほどの欲望を理性で抑え込んだ経験なら山ほどある。

心と躯は別。
そんな風にわざわざ言うのは、「私」が分離したさびしさに耐えられないからだ。

心は親友に躯はオトコ達に預け、心を君に躯をオトコ達にもらう、そのさびしさに。

 

最初から最後まで、ほしいのは君の全体だ。

 

大学時代からずっと好きだった。
同級生の、目が賢そうだった女。先輩の、少し抜けたところがかわいらしかった女。学会で知り合ったというショートカットの女。どれも知ってる。一番そばで、一番明け透けに話を聞いてきた。
合コンの席では火村にしなだれかかって胸元をわざと覗かせる女達を横に悪酔いしたこともある。職を得てからの交際を打ち明けられたときには結婚されてしまう覚悟も決めた。
心だけははっきりと譲り渡してくれる彼の、躯は完全に女性のみに開かれていた。
それでも諦められなかった。

他のオトコと寝ていて、思わず名前を口走ったこともある。恐縮する私に、彼は言った。「アリスが火村を好きなことは、みんな知ってる」。みんな私を甘やかしてくれた。仲間の誰にも心を渡せない私を許してくれた。セックスの最中でさえ火村の来訪に追い出される理不尽を黙って受け入れてくれた。
そんな肩を抱くようなやさしさに包まれてさえ、私はさびしかった。

どっちも君からもらいたい、それができないさびしさ。

その願望を口にすることすらハラスメントになるさびしさ。

こんな結末には、慣れている。何の問題でもそうだ。誰もが分かった風な口をきいて、いざ自分の身に降りかかったら流そうとする。見まいとする。

「私」を棄てるなら、真剣に棄てろ。全部を。

そして、行ってしまえ、その新しい庭に。要らない躯なら私に寄越せ。

 

あなたはその身を売るんです
一人の世界から
万人の世界へ

いや、だめだ、そんなの。ほしい。君がほしい。

いやなんです
あなたのいつてしまふのが――

 

私は何も言わず行動を再開した。
「――――そうか、わかった」
火村は目を眇めた。
「だったら、せいぜい楽しませてもらうかな。お前はいつもそういう風にしてる訳だ?」
私は口を離し、かわりに指を巻き付けた。
「――そうや。たりんか?」
「足りないね。目も耳も退屈だと言っている。アリス、お前は、どんな風にされるんだ?」
「は?」
「言ってみろよ。どんな風にされるのが好きなんだ?」
「え……触られ、たり?」
「どこを」
「どこって」
「―――ここか?」
いきなり乳首をつままれ、私はひっと声を上げた。
「なんっ」
「言えよ。あいつらはどうするんだ?」
「ん、んん……」
火村の指が私の性感帯に触れている。そう思うだけで息が上がり言葉にならない私に焦れたのか、火村は勝手に動かし始めた。
既に硬くしこったそれを、撫で上げるようにさすっては、つまんで、押しつぶす。
「こうか?」
軽く爪でひっかかれ、耐えられず、また私の股間から蜜が溢れた。
「言え」
「な、なめ、…」
「へえ」
起き上がった火村は、あの形の良い唇を私の胸に寄せた。口の中にそれが包まれる寸前、軽く吸われて、私は思わず手に力を込めた。
「っ…。どこが経験豊富だよ、へたくそ」
「ご、ごめ、んん!ああっ…」
慌てて指の力加減を戻す。がまんできずつむっていた目をそろそろとあけると、至近距離で私を見上げる火村と目があった。
「んんっ」
その瞳の冥さに今更ながらに凍り付きながらも、私は胸の尖端から腰骨に直接届く刺激にあらがえない。
「アリス、声を殺すな。聞かせろ」
口を覆っていた右手をつかまれ、同時にきつく噛まれて、私は喉を許した。
「ああ!あ、ん…、う、ん…」
「その調子で誘ってみろよ。勃たせられそうだぜ?」
言葉通り、先ほどまで全く力を持たなかった火村のそれは少しずつ芯を持ち、硬さをつけてきた。私の手の中に火村の熱がある。その事実だけで達きそうになる。
そこを絶妙の舌技で火村が攻める。
「あ…はん……んんんっ」
「流石にイイ声出すもんだな。そりゃあそうか。あれだけのオトコを骨抜きにしてんだもんな。いつも侍らせて、振り回して、ご褒美がこの躯な訳だ」
冷たい声。
「そんな……ん、と、ちがっ……あああっ」
脇腹をさすられると同時に脇の下に舌がのび、私はのけぞった。
「ここが性感帯か?そういえばお前言ってたよな、普段の生活で表面が隠れているところは性感帯なんだって。実地体験か?」
「あれ、は、本で…」
「ああ、事後検証だったか。それにしたって感度よすぎるだろ、お前」
殴りつけたい衝動を押さえ込むのに苦労した。君、以外と、こんなになるわけ、ないやろ!

いつのまにか上着をはぎとられ、全裸になった私に対して、火村は上衣を全く乱していない。ただ私の手の中の屹立が救いだ。と、それを打ち砕くかのように火村が耳朶ごと口にくわえて囁いた。
「惜しむらくは、この抱き人形は共有だってことだな。……ああ、まだ抱き心地は試してなかった」
耳の熱さと、声の冷たさの両方に、私は大きく震え、その振動で涙が一粒こぼれ落ちた。

わかり合えない。こんなに近くなっても。
私が見せつけたい私の躯は、人形などでは、ない。

「すぐに入れられないんだったら準備しろよ。いつだって説教顔で男同士のセーファーセックスと準備作業について蘊蓄たれてただろ?」

いきなりのことで洗浄は間に合わない。それでも風呂には入ったから…などと考えて、私はローションとゴムを取り出した。残り少ない液体を掌に載せ、少し暖めて、自分の内奥に塗り込めた。火村はそれを口端をゆがめたまままま見ている。過度の凍傷はむしろ熱い。だから私の熱が去らないのか。
指を少しずつ増やし…三本を入れたところで火村を見て、もう少し、と指を中で回した。荒い息をついていると、火村が嗤った。
「一人で遊んでんじゃねえよ」
「ちがっ…、ちゃんと拡げておかんと、って…」
「それにしちゃあ気持ちよさそうだぜ。俺の方はほおっておかれてるけどな」
慌てて、指はそのままに、火村の股間に舌をはわす。育ちすぎて口には入りきれないそれは――喉を使うには体勢が悪すぎた――、血管さえ浮き上がって、その大きさといい猛々しさを誇示している。少し濡れた先端を舌でこじ開けるようにすると、火村が初めて小さな吐息をもらした。
望まれない奉仕を続けていた私にはそれが嬉しくて、私は犬のように火村をなめ回した。時には舌の裏も使って、口の中で回すようにすると、火村は眉根を寄せて一瞬目を閉じた。その色気が部屋に拡散し、私のものを育てた。もうはち切れそうなほどに育ったそれは、先ほどから泣き続けている。
「―――気持ちいい、か……?」
「ああ。もういい」
「いやや。まだ、させて」
私は離されまいと舌を絡めた。こくりと喉を鳴らして、火村はいった。
「そんなに好きか、それ、が」
だって。
だって、ここに、火村の感情がある。私に対して、ではない、しかし少なくとも私の声や震えや涙に対する欲望がある。
だから、ほしい。

確かに心はいつももらっていた、だけどどうしても強請れなかった火村の、躯―――――――――

「欲しい」

私の中に。きて、ほしい。

返答は、息さえ凍るほどの温度だった。

「――――くれてやる。好きに、すればいい」

私は何をしているのだろう。
火村と私の間に、私のかけらを取り戻そうとした筈の試みは、火村に棄てられた火村の躯の取得に成り代わった。
先ほどの言いぐさからすれば、火村は私に今後もこの熱をくれるかもしれない。だけど、それはもう火村ではない。

終わりだ。

いっそ棄てろと願って、二人もろともに棄てられた。

こんなにも蔑まれながらそれでも去らない私の熱は、火葬炉の業火だ。

なら、目から滴り落ちるものは末期の水かと、妙な符丁に私は口端をゆがめた。

そして、大きく一つ息をついて、私はその天を突く欲望に跨った。
勘を忘れた入り口が肉を巻き込んでひきつる。私は浅い呼吸を繰り返し、腰を少しずつ動かして腸をなだめつつ火村を迎え入れた。
やっと全てが私の中に収まった時、私はその圧迫と―――ずっと求めてきたものが手に入った歓喜と、ずっと胸の中に暖めていたものが失われる絶望に、絶頂を迎えた。

 

「――――――――――火村」
「…」
「火村」
「――なんだ」
「火村、ごめん」
涙が火村の腹に落ちる。さきほど飛び散った飛沫にそれがまじり、火村の服は酷い状態になっている。
それを謝ったと思ったか、火村は「別に構わない」と小さく言い捨てて、横を向きティッシュボックスに手を伸ばした。
違う、いや、それもそれで本当に申し訳ないけど。

 

「君を、好きで、ごめん」

 

 

 

「なんだと?」

しばらく黙っていた火村は、急に体を起こした。
「どういうことだ」
どういうことも何も。そのままだ。
私達が愛を囁くことさえヘテロにはハラスメントと受け止められるのに、私がしたことは強姦に近い。
心だけでなく躯で愛したいと思うことを、とめられない、だから、ごめん。
そんなことを論理的に説明するゆとりは既に無く、私はただ涙を落とした。
「お前、心と躯は別なんだろうが。そう、言ったよな、さっきも。確認もした」
「言う、た。けど」
だから、それが、嫌で。
「それで躯を選んだってことは、お前は俺をもう要らないって言ったんだろう?」
「え、いや」
「俺、を、この十数センチの物体に代替させたんだろうが。違うのか?」
この、という言葉にあわせて私は深く突き上げられ、思わずうめく。
「ちが!あ、うぅん、だ、だって!」
「だってなんだ」
「心も躯もくれ、なんて言えへんやんか!」
「なぜ」
「なんでって…!君、ヘテロやん!こんな無理矢理されな勃たんくせに!」
しばらく口をあけて私を見ていた火村は、顔を背け、大きなため息をついた。
「確認する。永沼たちに躯を簡単に与えていたのは、そういうのが好きだったからじゃないんだな?」
「そういうのって…?」
「好きな奴、じゃないオトコと寝ること。一人の男に縛られないこと」
「当たり前や」
「当たり前じゃないだろう、そういうのも一つの性的指向として立派に成立する」
「でも、俺は違う、…ほんとは。」
「ほんとは?」

なんだか、唆されている。なんだか、崖の端に向けて背中を押されるような感じだ。
その下に波濤があっても飛べと言わんばかりに。

でも。

 

「君、と、だけ、したかった…んや」

 

崖の、その下に。

火村がいた。

 

私はいきなり抱きすくめられ、息を困難にさせられた。

「お前、ふざけんなよ……」

抱きついたときと同じくらいの勢いで私を引きはがし、火村は精液まみれのシャツを脱ぎ捨てた。
「性的指向はパーティションじゃなくグラデーションなんだって俺に言ったのはお前だろうが。女が抱ける俺がお前を好きで何がおかしい」
「は…?」
「は、じゃねえ。お前に好かれたい気持ちとお前を抱きたい気持ちとに引き裂かれて、一方を封印するしかないと思いこまされたこの数年を返せ」
「え」
「え、じゃねえ、って言ってんだろ」
いつの間にか体勢を入れ替えられて、私は火村に覆い被されている。
「覚悟しろよ。お前に倣って躯だけで遊んでみて余計に苛立った分もあるし、天衣無縫に俺を嫉妬させた分もあるから、正直、どれくらいやれば満足するのか分からない」
私は大きく震えた。私を全身で欲しがっている火村がここにいる。

 

「私」は欠片も残さず火村と重なった。

 

人間は形の決まったジグゾーのピースではなく、その時々で形を変えるビーズクッションのようなものだったのだと、私は思った。
私と火村の凹凸がはまるのではなく、私の内部に火村が育ち、火村の外部を私が包む。私達は二つながら完全に一つだった。

 

 

「火村が満足するまで」は、三十過ぎの運動不足の男を寝込ませるに十分な量だった。私は関節がばらばらに外れたかと思うほどの腰の痛みに二日うめいたが、鍛えている筈の火村も「流石に腰がだるい」と笑った。「豊富な性体験」が全く役に立たない、まさに骨抜きになってしまった私を尻目に、火村が激しく動いたからだ。私はただただ感じさせられ、上り詰めさせられた。あんな回数があり得るのかと今でも信じられないほど吐精した。そのままでは流石に眠れないほどいろんな液体を吸ったシーツの代わりに火村がタオルケットをしいてくれて、私達は抱き合ったまま横になった。
「この前貴島君が、『好きな人から受けるセクハラもある』と主張してゼミ内で意見が分かれたんだが、彼女に聞かせてやりたいほどだったな」
「ん?」
「おかしくなるくらいくらい――防御機制が働いて見たくないものを見ていないと思いこめるくらいにはお前にメロメロだったが、絶対にお前とは寝たくなかったんだから、あの言葉は正しくセクハラだ」
正しさを主張されても、あのとき私が受けた痛みは癒えない。しかし、私と同等かそれ以上の痛みを持って言われた言葉だったことは、理解できる。
「永沼達がお前を甘やかしたんだな。怒りで性欲がふっとぶほど簡単に強請りやがって」
「簡単だったわけやない。それに、仲間のことあんまり悪う言わんで。俺がお願いしてしてもらってたんやし。永沼なんか、他に本命おる純愛君やのに、ずっと慰めてくれたんやから」
火村は深々とため息をついた。
「…まあ、いいさ。そういうお願いは、もうさせるつもりはないんだが、それを彼らも認めてくれるなら」
「うん」
私は火村の目を見た。
「うん、もう、さびしくない」
もう、の言葉に込めた将来の約束を火村は汲み取ったらしく軽く口づけられた。

 

 

静謐な安寧の庭が「ある」訳じゃない。

 

私と火村が、日々の中で砂を盛り、水を撒いて庭を造るのだ。
時には花が咲き、時には枯れることもあるかもしれない。
それでもまた種を植え、葉を剪定して、庭をつくる。

 

それは無いと言えばないものだし、架空といえば架空だけれども、同時に確かな実体として私達を支えていくのだ。

 

 

(了)

 
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