keep the faith

 

 

 

 
今年の誕生日に、去年知り合った火村と最大級の接近を見た。

ぼくの知らないうちに、欲しかった新刊を鞄に放り込んでたな。
家に帰って驚いた、買った覚えのない本が転がり出てきて。
無意識のうちに万引き?とか無駄に狼狽して。

論理的帰結として、こんなことをできるのは火村しかいないという可能性に至ったあの時、ぼくは動揺した。
交わし続けた友情めいたやり取りに、なにかの証を見た気がして。

友情に真や偽を試すことない。
友情めいたもののなかにある思いやりをいとおしみたい。
そんなふうに自由であることが流儀なのに。
火村との関係が特別な何かであって欲しい、そう思っている自分に気付かされた。

 
トリッキーな手口でプレゼントを渡された夜、すぐに自白を迫る電話をかけた。
「ひーむーらー。何の用件かわかっとるな?」
『何だ、物騒じゃねえか』
「真壁聖一の新刊なんて、あざとい真似しよって。びっくりした」
『気に入ったか?』
「気に入らんわけあらへん! 最初の1ページで心臓わしづかみにされたわ。大事に読む」
『……そうかい』
「ありがとう」
『そんなに気に入ったなら、よかったよ。……もう、読んだんじゃないかと思ってたから』

おや、と思った。
なにか探ってる?

「きっちりツボついてるわ。正直君がこういう行事ごとに関心があるとは驚いた」
『関心はないよーーーただ今日、本屋に行ったらでかでかと平積みされて、やたら目についた本だっただけ。ついでに昨日、お前が誕生日だのと騒いでいたこと思い出したから、買ってみただけ。大げさに喜んでもらうだけの筋書きはねぇよ』

いつもよりすこし息継ぎの多いしゃべり方に違和感を持った。
ひょっとしてちょっと照れてる?
おいおい、フルメタルのポーカーフェイスがどうにかなって板金五万コースいってもおたか。それとも電装系か。速やかにオートバックスに行きや。

「や、だってほら、いきなり本が出てきたらビビるやん。誰かの間違えて持ってきたのか、と」
『ああ、そういう勘違いも無きにしもあらずだな。あまりーーー』
「あまり?」
『深く考えてなかった』
「さよか……」

駄目だ。
なにこの会話。
なんかしらんが顔から火が出そうだ。

アホいう雰囲気になれん、オチもない。火村のせいや。
勘弁しろー、照れるのはうつるんやぞー。
堂々人生な火村君はどこいったん?
もっといつもの調子で畳み掛けるように「感謝するでえ、火村君だいすきー」ぐらい言って、気味悪がらせてやるはずだったのに。

反則だ、そんなストレートな返しは。
バースデープレゼントなんて渡し慣れてないのかもしれない。
この思いつきも我ながら痛いが、今日のおかしな火村と話していたら、そんな気がしてきた。

真壁の新刊は、先週生協の書籍売り場で予告を見た。
一緒にいた火村は心理学の本を立ち読みしていたはずだ。
だから心の中で「読みたいなぁ」と、うずうずしてたことは知られてないはずで。

……なんで知ってるんだろう。

友人など、この大学で作ったこともないと真顔でいう男がだ。
自分の知らないところで、自分のことを理解している。
理解されてる。
なによりも行動で示された。

気付くと気管でわだかまっていた痺れが四肢に解き放たれて、指先がジン、とした。
受話器に押し当てた耳たぶが、やったら熱い。
電話で良かった。でなければこのあと立ち直って軽口を叩けなかった。












ーーーーーーーーーなんてこっぱずかしい。



清い。純すぎ。

思い出すんじゃなかった、こんなところで。
アリスは大きなガラスがはめ込まれた窓辺で仁王立ちになって、大きく息をついた。

眼前に広がるは大阪中心部の日没。
航空障害灯の赤い点滅が高層ビルを彩り、ガラスに映る落ち着きのない三十男の顔さえ、月待ちの憂い顔に塗り替える。
東京なら、赤く燃え上がる尖塔がハマりそうだ。

たった一冊の本でどぎまぎしていた21のふたりだったら、裸足で逃げ出しそうな状況でもある。
しかしこれしきのシチュエーションで三十路は逃げ出さない。
もっと切羽詰まった状況はほかにいくらでもある。
二股をかけている相手と寝てる時、包丁持ったもう一方の相手が、この部屋のドアの前に立っているとか。
いや、自分はそんな目にあうはずないけれど。二股なんて器用なことできないし、ってそんな理由じゃなくて。

目下、自分のことばかりで手いっぱいという放縦な心を捕らえてしまう存在は、ただ一人しかいない。
このたった一人が、とてつもなく重い。
はっきりいって時々手にあまる。

やつを心的不感症だと罵った女子諸君の見解は誤解である。
ベッドの中で、アリスを追いつめる。泣かせる。めちゃくちゃになったところを受け止める。
全部体でされてることだけど、「なぁ」とか片言で意味を汲む感受性は体の領域を超えていると思わないか?

そして、自ら進んで首を洗って待っているという自分も、相当に重い。
火村は分かっただろうか。
鞄に忍ばせたものの意味を。

「大人のいたずらは手間と金をかけるもの」とは思わない。
我々にとって最上の楽しみは存外コスト安で叶えられる。
差し出された謎と、解きほぐすための綺麗なラインと、答えが分かったときの落差を楽しむために頭を絞るのだから、べつにタダでも可能なんだけど。

電話も、来客も、隣室の住人も、向かいのマンションのベランダで明滅する煙草の火からも遠いところに行きたいと思ったから、私の誕生日に君をこの楼閣に招待する。
愛車は田舎臭いオンボロだが、都市的なものを嫌っているわけではない。
むしろ惹かれる。
今足下で感じている近未来的、最上の、先端の、と言われる建築物さえ緩やかに廃墟へと向かっていることを思えば、不可思議な逆説にワクワクするではないか。
そんなよしなしごとを一番星の中に見つけていると、プレゼントは何もいらないと書き添えてなかったことを思い出して、しまった、と天井をあおいだ。







「出張?」
「出張」

キャメルをくゆらせて実に歯切れ悪く、母校のセンセイは鸚鵡返しをした。

「ああそうか。気をつけてな、北海道てまだまだ寒いらしいし」

札幌生まれ、あちこち育ちの火村なら先刻承知だろう。アリスが生まれ育った西日本は真冬でも記録的な積雪などとは縁遠く、気候の穏やかな土地なので、未だ桜から遠い土地の平均気温など実感がわかない。

「朝イチで行って翌日帰る日程だが、詰めたら最終便で帰って来れる」
「無理しな。ほかの先生の代打で行くんやったら、ホテルの部屋はもう用意されとるんやろ? 暇があったら俺にウニとイクラの瓶詰め買ってきてや。ウニ・イクラ丼食いたい」
「おまえね、現地の人間がいくらで食ってるか知ったらバカバカしくて買う気失せるぞ? それでも買ってこいと?」
「ひむら、そのシャレはおもろない」
「俺がいつシャレを言った」
「まぁええわ。とりあえず気にせんと行ってこい。店はキャンセル入れとけ」

そう言って軽くゲンコで肩をノックすると、何か隠したいものを白状するように「悪い。そうする」とつぶやき、頬杖をついた。




三十路も過ぎた男同士がヌーベルシノワの店をーー個室にーー予約して、足を向ける。
ちょっと懐に余裕がある独身者の道楽というのが、最近一般的になってきた世間の認識。
もし二人がビジネススーツに身を固めているならば会合か、ごく親密な取引相手との接待に見えよう。
男の恋人だからってなんてことはない。カモフラージュなしで連れ立ってどこへでも行ける。

しかし何でもできるわけじゃないとは思っていた。
肩を抱きたいと思ってても往来では衝動を飲み込むし、飛行機で隣り合っても友人同士にしか見えない距離を保っている。肩が触れあうほど接近した座席でだ。
気取られるようなことをしたくはない。視線で探られるのはもっとごめんだ。
そう感じているのはアリスだけかもしれないと、火村が予約を入れるやりとりを背中で聞きつつ再認識することとなる。

その店は誕生日を迎えた客に対して、老酒もしくはスペシャルデザートのサービスがあるという。
タウン誌でそれを知って「ええなぁ」と確かにアリスが言ったのだが、さすがに恥ずかしくて自己申告は出来ない。
あくまでも「ええなぁ。けどよういわんわ」くらいに思っていた。

だから一瞬の躊躇いもなく「26日に誕生日を迎える者がいます」と言うのを聞いて、店に行くのをどうすればやめられるものか5秒ほど真剣にその手段を考えてしまった。
この羞恥心が、恋人というレッテルに自分で自分が惑わされているだけなのかどうか見極めることなどできはせず。
客観的に見れば、単純に甘ったるいばかりの煩悶に捕われていたところ、火村の急な出張が入ってレストラン行きは頓挫した。




「あー忙しい。くそ……借りさえ無ければとっとと病欠にしちまいたいね。あんな勉強会」

出張直前まで引き継ぎや、自分の仕事で手いっぱいの火村は夕陽丘に車を飛ばすこともできず、火村はままならない日常を電話でこぼした。
資料にようやくチェックをし終えたところらしい。いつものように目の付け根を揉みほぐしているだろうか。語尾に疲労感がただよう。

「へぇ。勉強熱心だった学部生時代の君が聞いたらビックリするわ、その台詞」

アリスは雑文の仕事を終えて、コーヒーを入れ直している間にコールをしたので、火村より声は明るい。

「あのころはそれしかなかったからな。とにかく早く多く吸収したくてガツガツしてた」
「いまだってそうやろ。君の猪突猛進な仕事ぶりは」
「そうさ。だから26日は必ず待ってろよな。どうせ起きてんだろ、伊丹から直行する」
「天晴れやね。しかしそこまでこだわるかなぁ、んん?」

睡眠時間削って高速を飛ばされるのはあまり歓迎できないことだが、やるといったらやるのだ。こいつは。そしてここに来たらすることはひとつ。
ここ一年でそれも定着してきたせいで、どうも体から思い出してしまっていけない。

「おまえに誑かされたせいだ。覚悟しとけ」

なにげなく使っている言い回しなのに、この一文字の造りを改めて見つめると、それが酷く艶めいていることに気付き、言に淫す本性がどきりと息を止めた。
言に狂う、だなんて。臨床犯罪学者もなかなか色っぽい選択をする。

「明日、何時に伊丹なん?」

彼のひとことで、26日の夜に向けてすべての歯車が動き出したと言っても過言ではない。






某教授の目を盗んで、伊丹空港のロビーからほんの十分間だけ恋人を捕まえる。

「どういう趣向だ? アリス」
「ん、今日帰って来れへんかったら可哀想やから」
「う、そ、つけ。そんなタマか」
「こら。おまえやめぇって……」

監視カメラの目を潜って二人で押し入ったトイレの個室。抱き合うしかないほどの狭さで、お互いの渇きを癒していた。
思うように逢えない、という現実がひどく情をあおるスパイスになっているらしく、パブリックな空間であることを忘れくちづけに没頭した。
惜しむように唇が離れ、ようよう、といった風情で腕がほどける。

この潤んだ時間を手にするまで、アリスは様々な煩悶を繰り返したが、味を覚えたら覚えたで始末に負えないものだ。それは火村も同様で、体を学者モードに切り替えるべくアリスを先に外へ追いやった。
預かった手荷物を脇の荷物置きにやって、蛇口に手をかざす。手を素早く洗って、胸ポケットから引っぱりだしたキーホルダーを、火村の荷物の最下層に突っ込んだ。
マンションの鍵も、車の鍵も、実家の鍵さえもついているそれ。
合鍵を既に持っている火村に、これを預ける意味を気付いてもらえるだろうか?

「正直これだけじゃ済まねぇよ」

下半身が大人しくなったのだろう。個室から出てきた火村は、神戸牛食べ放題の機会を目の前で理不尽に取り上げられたようだと嘆き(たとえが即物的すぎじゃないか?)、私の差し出す荷物を受け取って通路でそのまま別れた。
このままなにも知らない火村はキーケースを北へと運ぶのだ。見つけたときの驚き様を見られないのがことのほか残念だ。

欺くという行為は、ある意味エロスだ。
今にも火村が駆け寄ってきて、キーホルダーをかざしてみせるかもしれない。
そんな想像をして背中をぞくぞくさせた。
最後の出口を抜けて、ロータリーの真上に広がる空を見た時の開放感は、名探偵からまんまと逃げおおせた怪人の心境ではないだろうか。
甘く噛まれた唇に触れる。

「おれも、キスだけじゃたらんよ?」

だから、はやくおいで。








『畜生。もう動くなよ!』


「このメール、知らん人が見たらどんな脅され方やねんて度肝抜かれるで君」
けたけたと笑いながら携帯電話を閉じる。

今頃火村はベンツを走らせながら唸っているだろう。
千歳空港の最終便の時間。そして伊丹から夕陽丘まで、車を使った場合の所要時間を考えると、時間的にはとっくに部屋についているはず。
そしてあのメールの文章。
これらを総合して予測するに、走行中、警察の目を盗んで運転中に打ったメールと見た。
コールする時間も惜しんでいるのか?
それとも着信は無視されるだろうと、ゲームのルールを理解したのか?

昼過ぎに電話が3回も着信が入っていた。
キーホルダーを見つけたに違いないので、アリスは無視をした。
午後はぱたりと着信が途切れたところを見ると、何か罠があると気付いたようだ。
メールにもじっと我慢して返事をせずにいたから、火村は事故かと危ぶんでいるかもしれない。

焦りと疲労にまみれた体で辿り着いた部屋はからっぽ。
火村の定位置、ソファに置かれているのはキャメルの匂いが染み付いた毛布ではなく、一枚のカードキー。

お疲れの助教授をあんまり振り回すのも酷と思われるので、わざわざ実家から借り出したスペアキーを使ってチェックイン後それを置きに帰った。
キーホルダーを火村の鞄に丸ごと投げ込まなくてもよかった。ただカードキーを残して、家を空けていても同じ結果を迎えただろう。

なぜそうしなかったのか。
家の鍵、車の鍵、親元の鍵を引っ掛けたキーホルダーは、いまのところアリスの手のひらに収まってくれている主要な財を示すアイコンみたいなものである。

ここにあとひとつ、繋げたい鍵があるといったら、君は困るだろうか。
求められることで確認してきた愛らしきものも、距離に邪魔されてくすぶる恋らしきものも、十分アリスの心を楽しませ満たしてくれているけれど、そろそろ吐き出しておきたい欲がある。


いまは叶わなくてもいい。
でも黙ってもいられない。


火村が鞄に本を忍ばせる、その行為に見いだした友情の証なんか目じゃないくらい、今の自分は貪欲だ。

「おまえは、おれのもの」
窓の外、浮遊感ただよう光の運河に向かって手をのべる。ガラス越しに触れる幾多の光源のひとつに彼がいる。

さあ、にわか怪人の小賢しい手管など、名探偵の手のひらで鮮やかに引っくり返して。
スペアのきかない鍵がほしい。

18階の夜景が、ひっそりとウインクを返してくれた気がした。




 


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