■R18,おばかさんなヒムアリです。






ひとでなしの誓い










野暮用で立ち寄った京都駅。駅ビルに入っている本屋を目指し、通路を歩いている途中のことだった。
目線の先、本屋と反対方向に進む人ごみの中に、アリスが同い年くらいの女性と寄り添うように歩いているのを見つけた。
行き交う人の流れは激しく、あちらはおれに気付いていないようだった。



ヘラヘラとしていたら驚かせてやろうかと思った。けれど二人は張りつめた、しかし濃やかな思いやりが見て取れる様子で、ガラス細工を手渡しあうように言葉を交わしていた。
押し流されるままに、おれたちはすれ違ってゆく。それはそのまま、おれたちの関係を暗示しているようで。
ちょうどアリスからぱったり連絡が無い時期だった。
だから「これはいよいよ…」と思ったのだ。



たったそれだけのことだが、おれは人が聞いたら(聞かせないけど)眉を顰めるような悪い考えに浸った。
いま何をしてるのか考えないようにしたが、それすら苦しかった。
アリスのことを毎日考えてしまうから、いままで目をそらしてきた、あやふやなものが形を成してゆく。
そして胸の奥からこみ上げてくる得体の知れない炎が、常識とか経験を舐めるように燃やしていった。
結論。
アリスなしではいられない。





おれは翌週のど平日、投降する敗残兵の気分でアリスに連絡を取った。
早く状況を確認して、独り思い悩む苦しみから一刻も早く逃れたかったからだ。
ところが、恋人などいなかったと言う。
余裕しゃくしゃくで「ただの幼なじみ」と説明された。



受話器の向こうでグフグフたててる含み笑いが腹立たしい。おれはケータイを持つ手が安堵で震え出したので、とっさにもう片方の手で機械をおさえなければならなかったというのに。

『うは、これやから独りもんの勘繰りは困る。すぐ恋人か?って騒ぐ敏感さは女子中学生並みやね』
「おまえだって、しょっちゅうひとのこと、女子大生を誑かしてるオッサン呼ばわりしてるじゃねぇか」
『今日のきみみたいに本気モードでゆうてへんもん』
「……おれは相手のことを心配したんだよ」

反論しつつも明らかに自分は不利だ。もう何を言っても説得力が出ない。いや、あれがアリスの女じゃないのならば、その事実だけでおれは満足できる。
おれはホッとすると同時に、電話の向こう側にいる相手を抱きしめたい衝動にかられていた。
それなのに

『今日は久々に飲まん? うちに来れるやったら、うまい酒とうまい肴用意しまっせ〜』

なんてお気楽なことをぬかしている。
ここまで耐え忍んでいたせいで、おれの理性の糸は存外高いテンションではられてしまっている。ふとした拍子にどうなってしまうかわからないぞと、心の中で吠えた。
欲望は、

「そうだな、久しぶりにやるか」

と理性に許可なく勝手なことを口走っている。自分で統制が効かないってどういうことだ火村英生。
今夜起こりうる、二つの凶事が脳裏に浮かんだ。
このままの流れで酒を飲んで、アリスを無理矢理どうにかしてしまうか。
それとも、我慢に我慢を重ね、その結果ストレスでごっそりハゲるか。
どちらも御免である。
それだけは確かだったので、「今日は外で飲まないか?」と誘いをかけた。
結局アリスに会わずにはいられない。そんな青臭い情熱なんて捨ててしまいたいのだが、アリスがいればこそなので多分一生無理だろう。






ひさしぶりに見たアリスは、毎冬着ている革のショートコートの中で、体が少し泳いでいるような気がした。また痩せたのだろうか。
その下には、透けるような白い肌に良く似合う薄いピンクのニットカーディガンにブラックジーンズと、カッコいいドクロ柄の入ったグレーっぽいシャツを着込んでいる。


顔はどちらかというとのほほんとした印象を与えるのに、趣味はほんのりハードロック。それがさりげなく似合っている。おれは密かにアリスのセンスを評価しているが、調子に乗るから褒めはしない。


さておき、アリスに満面の笑顔で「ええ店、穴場、見つけたんや!」と連れて行かれた店は、ど平日のせいか客がほとんどいないカウンターバーだった。
しかも、ライトは手元を照らす柔らかなスポットだけで、隣の客の顔も見えないほどに照明が絞られている。
アリスも服装ほどには青くないんだなと少し笑う。


バーボンを3杯飲む頃にはカウンターが満席だった。それでも余程お上品な客層なのか一様に内緒話をするような抑揚があり。
チェロばかりのカルテットのようにとても慎ましく、深く酩酊を誘う響きだった。

「秘密結社のたまり場みたいでええやろ? 煩い子ガキもおらへんし……」

わざとなのか。
耳元で囁かれる、ひそやかなアリスの声。
クラリと来る。
チェイサーなしで煽った酒が勢いよく血をたぎらせる。
せっかく「外で飲む」ことを提案し、衆人環視の力を借りる事にしたのというのに。
店内でのわいせつ行為は我慢するしかない。だから、おれは自動的にストレスハゲコースにぶち込まれてしまった。


唯々諾々と状況に流されるのは好かない。
おれはぐいっとバーボンを呷ると、バーテンにおかわりを注文した。
ミモレットチーズを唇に挟んだアリスの耳元に、わざと掠れ気味に出した声を吹き込んだ。

「アリス、どういうつもりだよ。こんなとこに連れてきて」
「っ……!って、え?」

アリスは小さ声をあげ、おれの呼気から逃れるように上半身を反らせた。
女に有効な手がここまで男にも決まるものなのか。見事にオレンジ色の欠片を唇から零している。目を白黒させてるアリスは面白い、少し溜飲が下がる。

「あきらかに、道ならぬ恋か口説きモードのカップルだらけじゃねぇか」
「アホ」

仰け反ってしまって面白くなかったのだろう。素早く立ち直りカウンターに肘をどっかとついたアリスは、鼻息をつきたしなめるように、「見えもせんのに変なこと言うな」とまたおれの耳元で囁く。


だから、それが、だめだっていうのに。
意識せずともそこ意地悪いと定評のある、口角だけ上げる笑みになる。少しアリスのこめかみがひきつったようだが逃がしはしない。
おれもアリスの耳元で、同じようにした。

「おれには聞こえるんだ。真横で、動きのあやしい商社マンがいる。彼の隣には女性なんかいないのにな?」

視界が極度にきかないとはいえ、真横ぐらいはわかる。いるのは、シルエットからしてスーツ姿のふたり連れ。さすがに鈍いアリスもわかっただろう、息を飲む音が聞こえた。

「お、おれ、そういうんは知らんかったんや」

そう言ってバーボンをかっくらうアリスは、まるでホンダの作ったAIロボットみたいだ。チュインチュイン音がしそうである。からかうな、と目で牽制する仕草に胸をくすぐられる。
ふたりともグラスが空になったので、自分のも一緒に追加を注文した。
ウエイターは、おれたちの無粋な会話も隣のいかがわしい二人組もどこ吹く風だ。プロフェッショナルらしくスムーズに、とろっと飴色にゆらぐ液体を供す。

「別におまえがそういう趣味でもおれは一向に気にしないからさ、なんて」
「からかうなや。お店にも失礼やで」
「いやおまえの発言がどちらさまにも失礼だろ」
「ぬかせ、おまえが」
「ムキになるなよ、ほら、食い損ねただろ? チーズ」

心地よくアルコールが回ってきたおれは、チーズの皿からミモレットを選びピックで突き刺すと、アリスの眼前に差し出してみた。
嫌がるかと思ったが、アリスも酔っているのだろう。金のピックに突き刺さってるそれを、甘えるように唇で抜き去った。
その唇を塞ぎたい、という凶暴な欲望が瞬間最大風速でもっておれの理性を吹っ飛ばした。だがここは衆人環視の場。欲望は押さえ込まれ、ストレスハゲポイントに加算されてしまう、チャリーン。頭髪を守りたいおれは、遂に、欲求の数パーセントを解放すべくもがくようにアリスの腰に手を回そうとした。
指先が触れる一歩手前で、アリスが酔漢とは思えぬしなやかな動きで立ち上がったので、それも不発に終わった。

「酔っぱらってもうたなぁ。河岸変えよ?」
「あ、ああ」

このおれも酒の席ではアリスに勝てない。
外にでて首をすくめる今年の冬は暖冬と言えど、寒いものは寒い。
目の前がかすむ。
促されるままに、おれは歩き出した。








自分のくしゃみで目が覚めた。
気付くと、薄暗いもやの中、くすんだオフホワイト色の天井が見えた。
見慣れた室内であることが濁った目にも見て取れる。ぐわんぐわん揺れる頭を起こし、あたりを見渡す。


ここはアリスのマンションのリビングルームと認識する。明かりは落とされている。ブーンと微かに鳴るエアコンの音と、遠くで聞こえるあれは……水音か。
少し離れたキッチンの、流し上にある小さな蛍光灯だけが、非常口のライトのようについている。
おかげでうっすら視界はきくのだ。


おれはラグの上でだらしなく四肢を伸ばしていた。バターのようにとろけそうだ、ラグと手足が一体化する錯覚に陥る。
しばらして、頭の向こう側でなにやら物音が聞こえた。
てしてしてし。質量のあるものが移動する振動。
見なくてもわかる、頭のてっぺんはバスルームに向いており、あちらにいるのはおれの他にひとりしかいない。
頑張って目をあけて待っていると、アリスがひょいと覗き込んできた。

「うわ目ぇ開いとる、こわ」

と勝手なことを言っている。

「起きてる」
「魚の真似してるんかと思った」

横とかおれの足もとに回り込む気はないらしく、倒れ込んだおれの顔を逆から覗くかたちになっている。

「ふん。おい、お酒のばけもの。酔いはもうさめた、とかぬかすなよ」
「ぬかす。つか憎まれ口たたけるならもう大丈夫やな。べろべろのおまえはそりゃもう重いし熱いし大変やったんやぞ」

濡れ髪のアリスからぽたりと雫が落ちる。それが唇を濡らした。甘いと感じる。

「寒い冬にちょうどいいだろ。ちなみにおれはいま猛烈に寒い」

暖房が効いた部屋だから寒くはなかったけど。
その手をとり、体を踏まれる覚悟で思い切り引いた。
うわっと声を上げ、バスタオルを腰に引っ掛けただけの白い体はおれの隣に鎮座するソファに逃げた。

「あぶな! 悪戯もたいがいにせえ、顔踏んづけるぞ」
「へぇ、流石。転けてもくれない」
「こかそうとするな! 酔ってるきみには近づかん、べー」

ソファの上でしどけなく横座りをし、少しゆるんだバスタオルを直そうとしている。おれは何も考えず、重い頭など無視して起き上がるとそれをむしりとった。
現れる象牙の肌に、どれほど溜まってるのか知りたくもないが、頭につまった欲求がスルンと体に落ちてきた気がした。

「おいおい、おれはもう酔いも醒めたし平和に寝たいんやけど……」

何が起こっているのかわからない、そんな表情のアリスを見るのは稀だ。
じりじりと、身を竦ませておれから離れようとするアリスにいたっては初だ。
まずいな。嫌な方向に頭がクリアだ。承諾を得ないまま、おれだけ吹っ切れてしたいことをしようとしている。
ああでも、左手は確実にアリスの足首を掴んでるし。

「奇遇だな、おれも酔ってないから」

本当は少し酔ってるけど、五感も意識も正常に近い。


ふと、困っているのか思いつめたようなアリスの表情に、京都駅での情景がよみがえる。
アリスはあんな女でさえ側に寄ってくるのを許す。
その関係が恋でなくても、恋になりそうな距離を許す。

『彼しか側に置きたくない、彼なしではいられない』

そう思うのは自分ばかりかとおもうと、アリスに触れるこの手に力がこもった。
アリスが目を見開いて硬直している隙に、いまだ首にひっかかていた礼節の証であるタイを、おれは右手で解いた。





不思議なことにアリスはおれのすることに従順だった。
血を見るかもしれないと覚悟していたので嬉しい誤算だ。
ソファから引きずり下ろしラグにできるだけゆっくり、だが容赦なく押し倒して。
ネクタイで左足首をローテーブルに縛り付ける必要もなかったかもしれない。
だが、眉をひそめつつも無抵抗だったアリスの目は、すこし潤んでいた。

「火村」

呼ぶ声は少し掠れていた。少しも非難や軽蔑や絶望がふくまれていない声だった。
おれはひょっとしてタチの悪いいたずらに嵌められてるのではないだろうか。
持ち前の用心深さがそんな警告ポップアップで視界を遮ったが、エラーなし、オールグリーンだ。

「アリス」

顔を近づけると生なましいアリスの肌の匂いが薫る。呼ばれるままに、唇を合わせた。

「アリス、すげー、うまそう」
「ほんまに? ひむら……」
「おれがこんなことするのは意外って顔だな? 気付いてくれてもいいのにな、おまえ、鈍いからさ」

やってらんねぇんだよ、もう。
素肌の上、無防備に晒された胸の薄紅に柔らかく爪を立てる。

「あ!」
「感じるのか?もう」

からかうように含み笑いを漏らすと、アリスは負けん気をみなぎらせた瞳で

「もうちっとクールかと思うてたけど、とんだスケベでがっかりや」

と憎まれ口を叩いた。
こんなふうに脚を開いて、おれに組みしかれてるおまえはなんだよ、というのはやめておいた。
それより唇を味わいたい。
やわらかくなったバターを舌で押すように、ぷっくりふくれた唇の割れ目を愛撫する。アリスは睫毛に涙を含ませてうっすらと目を開けていたが、角度をつけて唇を深く合わせると、気を失うように瞳を閉じた。
舌を差し込み、おたがいの頬の内側が気持ちよさで痺れてくるまで愛撫する。


アリスは従順なだけではなかった。
すこし意地悪をして、アリスの舌には触れないキスをしかけた。我慢できずに追いかけてくるアリスが可愛くてたまらない。逃げ続けると「根性悪いで」と、じれったそうに睨みつけられて体の中心が刺激される。こいつは、本気で、クスリかなにか飲んでるんじゃないだろうか。

「そろそろ、たっちゃってんじゃねえ?」
「ひむら、だまれや……」

焦らした舌先を絡める。こんどはしっかりと、歯茎までなめとると、アリスは腰を小刻みに揺らしはじめた。開いた脚の間におれが入り込んでいるので、ゆれるアリス自身はおれのスラックスにシミをつけてしまっていた。

「は……ふ、ぅン……」

じれったい刺激に喘ぐ声に、いままで知らなかった仕草に、おれの欲望はあがらうすべもなく硬くなってゆく。

「悪い、きみの服にシミが」
「いいよ、もっとアリスの匂いがつけばいいのに」

本気でそう思って擦りつこうとしたら、ばっとワイシャツをはだけられ、スラックスの前立てを全開にされた。
いつの間にかすらりと抜かれたベルトが、アリスの白い肌を横切って、それがやけに扇情的だった。

「早う脱いで……」

こんな誘い方して、おそろしいやつ。







彼の望み通り、なめらかな襞も鋭く立ち上がったものもすべて口で愛撫した。
高い声で鳴くたびに、左足にひきずられたローテーブルが小さく移動する。
すっかり意識から消し去っていたが、ローテーブルの上には水の入ったグラスがあり、いつ倒れるとも知らぬ危うさで乗っている。
それをキッチンなんかに持っていく暇はない。
ましてや飲み干す暇もない。


熱い。効かせたエアコンのせいじゃない。
濡れた音が派手に響いて、行為の激しさを突きつけてくる。
ぐっしょりと汗をかいて、繋いだ腰をねじ込むように揺らす。二回白濁を吐いてなお硬度を保つ自分に薄ら笑いする。


柔らかい襞に、その奥で蠢く肉に突き込むたびに、無理矢理果たしているはずのセックスがよくなっているのだ。
滑り落ちる汗と吐き出した欲望を吸ったラグはどうしようもないほどじっとりとしていた。
その上でアリスは身をくねらせ、ぬめる下腹部をおれに合わせて揺らめかせていた。
なんて生々しい匂いをさせてるんだこの男は。青臭い中に、花のような香気が立ち上る。
のけぞる白い喉が艶かしい。

「あ!ぁっ……んっ、ひむら……っ」

いかせて、とちいさく叫ぶ。聞いたことのない声は、感じきっているそれで。また中のものが膨らむ。
幾度も押し殺した思いが、枷を解かれてはじけちる。


足首の拘束を忘れて激しく責めたら、バランスを失ったグラスが倒れた。
ぬるくもない水がザーッっとこぼれおちアリスの内股を濡らしたとき、アリスは短く声を上げてイっていた。
痙攣するように腰が跳ねる。
あわせて中も絞り込まれ、おれまで不覚を取った。






ひどく敏感な体だ。
つられ、無我夢中でアリスを貪っている。歳を考えなさすぎだ。けれど執着はこれほどに強く、こんなもんじゃないってくらい深い。

「っ、んやぁっ」
「く……あ」

どうして、アリスは何も言わないんだろう。
体を好き勝手に蹂躙されて。いやそもそもこいつも誘っていたか。
だとすればいつ目覚めたんだこっち方面に?まさかもうすでに他の輩と…!!そんなばかな。おれの思い過ごしだろう。
ひとり脳内で嫉妬心のままに捲し立てた。それも行為が激しさを増す理由だった。


すこし律動を緩くした。
これ以上アリスを壊さないように、繋がったまま細い肩を抱きしめる。

「こんなふうにされて。おれだから許してるのか?」

愛しさと執着がみごとに比例する吝嗇な男だから、つい余計な口をたたいてしまう。

「だって、ゆうたやんか……してもええって」

聞き間違いだろうか、「してもええ」なんて。聞いてない。
脳内で言葉がリフレインする。
本当?と顔をそっと覗き込むと、快感に流されながら困ったような顔をしている、嘘じゃないんだな。
そうだよな。ずっとノーマルでやってきた男が、酔いもさめてるのに、こんなことをしないよな。
あらかじめ、誘ってたんだな、と、おれはアリスの従順さに納得がいった。
なんかしらんが、覚えてないのはまずいよな。


全く覚えのない言葉だ、なんて言、え、な、い。
引きつる顔を隠すため力いっぱい抱きしめて、汗にぬれた前髪にキスを落とす。

「アリス……アリス」

闇雲にキスを落とす。そのうちにスルリと、男にしては細い腕がおれの背中に回された。
ホッとすると同時に、思わぬところで聞かされた告白に陶然とする。
アリスがいない世界なんてもうありえないおれにとって、こんなに満たされるものはない。
背中に回された手が、どしどしと肩甲骨を叩く。腕の力を緩めると、アリスが深呼吸をした。生まれたての猫の子だってこんなにかわいいだろうか。

「おもっくそ締め付けやがって、苦しいやんか……この、アホ」
「ごめん、愛してる、アリス」

小さなキスを喉元から臍にまでちりばめると、失礼にも鳥肌を立てていた。おれがこんなことをするのは不気味らしい。
ちらりと、すんなりとした足首に巻き付いた黒い蛇のようなそれを見遣る。
平素、礼節ギリギリのところまで緩めて首からぶらさげてるおれのネクタイ。
これほどにキツく結わえたことなどない。アリスの、筋がきれいに見える細い足首にうっすら朱の輪ができている。

「赤いな、痛いか?」
「痛いわ、フツーに。傷害事件や」
「ここはひとつ示談で」
「うまい朝飯で納得してやる」

ふ、と先ほどまでの色香を霧散させたアリスがにやりと笑う。
いま時刻は午前三時すぎ。朝起きて作ることを考えると、おれの睡眠時間は実にタイトだが要求は喜んでのもう。


明日の朝起きたら、ふかふかのホットケーキを焼こう。添えるのは、もちろんメープルシロップ。
食事が済んだらラグを切り刻んでゴミ袋にまとめよう。そして、今度新しいラグを買いに行こうと誘う。お詫びにプレゼントをしたいといえば、しぶしぶでもついてくるだろう。
そうだな、いまあるものよりももっと暖かいシーツも買うぞ。


跡は綺麗に消えるだろう。記憶から抜け落ちた言葉のように。
アリスの告白をちゃんと覚えておきたかったけれど、かなわぬなら、告白よりも大事なものをこれから重ねていけばいい。


「ホットケーキは2段でいいか?」
「3段!」


アリスは胃が細いくせに、満面の笑みで無茶を言い放つ。止めはしない。おれの作ったものを欲しがっているのだから。
とりあえず、絶妙の火加減で焼いたホットケーキを、お望みどおり3つ重ねることからはじめようか。



「おれの告白覚えとるか?」なんて聞かれる可能性に怯えながら。









end



ものすごくバカでぐだぐだエロですみません……。
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