パラレルHAギャグです。キャラに夢を持っていたい方は読まない方がいいです。

きび様からの賜わり物★





花園の秘密




『お父さんとお母さんは、ちょっと出かけてきます。お夕飯は好きにして』




そんな書き置き一つ残して、両親は昨日の昼に出たきり帰ってこない。
もう戻ってこないのだな、と思ったのはなんとなく、カンである。
付き合いのある親戚もない火村英生は、これで正真正銘の天涯孤独になったのだが、ほおってくれない人たちもいて。
「おぃい、火村ぁ。おるがぁ、わかっちゅうがぞ! 借りた金返すがは世界の常識やろぉがああ」
「おんしゃあ5千万も借りちょって、利息のひとつもよう払わんがかよぉお」
柄の悪い坂本竜馬みたいな言葉遣いの借金取り二人が、頼りない玄関の扉をだかだか叩いている。月曜の午後5時だ。仕事とはいえご苦労なことである。



両親のギャンブル癖、浪費癖は凄まじい。
物心付いたときから、貸金、借金取り、ブラックリストという単語となれ親しんできた。
だが今回はいよいよまずい。



債務者がトンズラした上、息子である自分はまだ17の身空。社会的にも経済的にも無力。せいぜい消費者生活センターだか、多重債務者110番みたいなところに駆け込むしかない。だが玄関に立ちふさがる人斬りイゾウめいた二人を振り切って相談所に駆け込んだとしても、「破産の申立て」には手続きをする費用として30万程度もの財産や不動産等が必要なのだ。



冗談じゃない。
ひと月バイトしたって稼げるもんか。
いまの学費でさえ自分で捻出しているというのに、これ以上勉強する時間を減らすことなど我慢ならない。
扉の前ではまだ借金取りがうるさい。
通報など100年も昔に諦めた火村少年は、コンバースを履いた足を窓枠にかけて、すぐ下のブロック塀へと飛び移った。今日こそあの計画を実行に移すべき時なのだ。
制服も何もかもほおり出し、新聞の『人事・募集欄』だけをカッターシャツの胸ポケットに入れて3駅分隣の町にある、「さる名家」を目指した。
その記事にはこうあった。
《家事その他雑用の仕事。経験、学歴問わず。住み込み可能で心身健康な30歳までの男性。雇用主/有栖川正(勤務地:天王寺区)連絡先06-xxxx-xxxx》









こちらが拍子抜けするほど、あっさり「試用期間つきですが、採用させていただきます」の一言を貰ったのは屋敷の門を潜って1時間後のことだった。
実感がわかない。
試験は数3と英検1級程度知識を要するものだったがおそらく全問正解だし、小論文の『失業問題と税金』もそこそこ書けたから、落ちると思ってはなかった。
しかし現実味がわかない。きっとこの装飾過多な金と白と大理石の部屋のせいだ。
そして、目の前に座る黒尽くめの面接官のせいだ。
「……学校に行きながら、は難しいですね。24時間とは申しませんが、日中はこの屋敷内の雑務をお任せしたく思いますので」
執事長の片桐という、顔だけ見れば柔和な雰囲気の男が言った。
「そのかわり、開いた時間は自由に使っていただいて結構です。有栖川グループが運営する英都高校なら通信制の過程もありますので、履修を希望なさるのでしたら手配は可能です」
お人好しという形容詞を具象化したらこんな感じなんだろう、といった人物だ。それはいいが、格好がおかしい。
執事長というけれど、古式ゆかしいバトラースタイルではなく、なぜかマザーテレサみたいな法衣をまとっている。
修道女の服装だなんて、えらく珍妙な格好だなと思ったところで我に返った。


英都だと。


関西私学の雄で、バカ高い学費でも有名なあの名門の高校(まぁ通信過程だが)に道を付けてくれるだと?
「学費が払えません」
試験にはパスするでしょうけど、という一言は飲み込んだ。
職を与えてくれ、勉強もさせてくれるという相手に、敢て不遜な態度を取る必要はない。
自慢ではないが今まで俺は奨学金と名の付くものならあらゆる形態でもぎ取ってきた。育○会はもちろん、コンクールで賞金を稼いだ経験なら両手で足りないほど。
知力に関しては問題ないと僭越ながら存じ申し上げるがいかんせん金がない。
金がないし、親もないからこうして面接を受けにきているのに。
そんなに給料がいいのだろうかと尋ねると、微笑んで首をふった。期待してはいなかったがやっぱり落胆する。なんだよ、気を持たせやがって。だが執事長が否定したのはそこではなかった。
「大した額ではありませんから、教育費はこちらでもちます。それに本採用となれば、当家に相応しい使用人に育ててるのが主人の義務、というのが旦那様のポリシーです。能力が適えばそのまま大学にも」
ヒュー、と行儀が悪いのを承知で口笛を吹いた。生みの親より断然育ての主人じゃねぇ!?



あの学費をたいしたことない、といって退けたこと。
そして、大学、の一言に興奮した。
火村少年は学問に飢えている。腹を空かせた狼並みに。



「まるで養子縁組並の手のかけようですね」
「そうですね……」
浮き立つ気分のままに言った世辞なのだが、相手は笑顔のまま目逸らしする。何故だろう。
担がれたのかな、と問いつめようとしたところで、ノックの音。入室を許可されたメイドが片桐に革表紙の書類ファイルを差し出す。
何気なく観察して、自分より若いかもしれない、と思った。骨格が少し細く、つるんとした顔立ちには幼さが残る。
「雇用の契約を結ぶ前に、いくつか申し上げることがございます。お聞きになったうえで、ご了承頂けるならサインを。ご納得頂けないのなら、お断りくださっても構いません、もちろん」
「わかりました」
「火村くんがお仕えするのは当家の嫡男、有栖様です。気難しい方ではございませんが、同い年とはいえ主従関係。そのあたりを弁えてください」
仕事だから当然だろう。そう思ってうなずいた。
「気難しくはないと、先ほど申し上げましたが、一つだけ絶対に守りとおしていただきたいことがございます」
「はぁ」
「この、森下くんが着ているこの一式まるっと、着用の上業務していただきます」
「まるっと?」
「ええ」
見間違いでなければ、彼(彼女と思っていた)が身に付けているのは黒いワンピース、白いブラウス、フリルのエプロン。
極めつけは頭部にちょこんと華を添える、可憐なホワイトブリム。
「冗談、で?」
「本気です。そして絶対条件です」
ヤマトタケルノミコトだって裸足で逃げ出すような女装をしろと、目の前でニコニコしている執事長はのたまった。
イングリッシュ・スピーチの大会でもつっかからなかった舌が、完全に凍った。



それでも。
生活が保障され、借金取りから逃れられ、高校も諦めなくていいのだ。
勉強が続けられる。長年心を捉え続けている犯罪学の道に辿り着けるかもしれない。
「サイン、します」
ペンを握った時、片桐の目の奥に鋭いものが過った気がした。
しかし深く考える余裕などなく。貧すれば鈍すを、地で行ってやろうじゃねぇか。
いずれ、豊かな収穫の日にいたるのならば。










メイドの起源は、ヴィクトリア朝時代(1837〜1901)のイギリスの上流階級(ジェントリ)が雇用した上流家事使用人文化と、それが中流階級に広まった中流家事使用人文化が混合されたものである。
という文化史だか服飾史だかの本で読んだ一文が、脳内で再生するがもう後戻りはできない。
あてがわれた使用人部屋(俺んちの倍の広さがある)で、支給された制服を身に付けた火村は片桐の先導により、主人である有栖川有栖の部屋に案内されていた。
同い年と言っていた。
もし仮に、クラスメイトの前にこの格好で出ろといわれたら、忍者並みの軽業で逃げるだろう。
たとえ3階の教室からでも、窓からダイブしてますとも。



「女性をメイドになさったほうが、よほど相応しいかと思うのですが」
だからつい、サインしたくせにそんな言葉が口をつく。
「女性は採用しません。あなたにその様な服装をさせるのも、いずれ分かります。ここでは自然のことだと」
やけにきっぱりと、片桐は言った。
使用人部屋から5分ほど歩いたのち(どんだけ広いんだ)、主の居室に至った。重厚な樫のドアをノックする。



「有栖様、今日付けで採用の火村くんをお連れしました」
どうぞー、と通りの良い声が呼ばわる。少し高め。
とはいえ、ちゃんと男の子然としたテノールだ。
火村少年は17歳の癖にすっかり成熟した声の持ち主だから、どんな少年の声も幼く聞こえるのはしょうがない。
彼は『野郎にメイドをさせるとはどんな主か』、と道々想像していた。



ネチネチとしたオタク少年か。
妄想過多な夢想者か。
女性恐怖症のコスチュームフェチか。
主が多少気味悪くても目をつぶろう。
全ては英都のために。



最初が肝心、堂々と挨拶をしてやろうと背筋を伸ばして大股で踏み込む。
ふっかふかの絨毯敷に、おもわず足下がふらついた。跳ね返らず、圧が吸収されるとは思わなかったからだ。
ざっと見るに60平米ほどある部屋の中央に、主は寝そべっていた。そこにだけ、さらに毛足の長いムートンのラグが敷かれている。
本で出来たタワーを3つほど作っている主の顔は、本で隠れて見えない。
作者は、有名だが未読のミステリー作家だ。
「有栖様、何度も申し上げたはずです。本は」
「椅子に座って読むこと。でも集中しはじめると窮屈なんや、あの椅子。堪忍な」
エラリー・クイーンをパタンと閉じて、身軽に起き上がった彼を見た時、自分の想像が全て鮮やかに裏切られたのを知った。
そしてある意味当たっている。主はとんでもない書痴のようだから。
「火村英生と申します。今日から身辺のお世話をさせていただきます」
「有栖川有栖や。よろしゅうに」
上品な配色と上質な仕立ての制服を身にまとった主は、瞬きの間に特権階級が先天的に備えているほとんどのものを火村に見せた。
かしづかれることに慣れた意識、労働を知らない手のひら、縦にばかり伸びた細い体、粗雑そうでいながら優雅な身のこなし、真っすぐ相手を見つめる瞳。



スレたこの胸の奥へと、一瞬にして到達する笑顔。
3つ駅を隔てたところに、こんな生き物がいたのか。
表情を動かさなかったのは意図的なことだった。
ため息を堪えていた。



象牙細工みたいだ。
それだけに、野郎にメイド服を着せる趣味が、いっそう異質な謎に思えてきた。とりあえず、寝転がったせいで歪んでいた主のネクタイを直すのが、俺の最初の仕事となった。









2007/5(ブログ初出)
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