真夜中に金星をつかまえる
クリスマスを過ぎるとテストとレポートがぐんと減少し、やがて最後の一本を終えて短い冬期休暇に入る。
そんな終わり方がいつものパターンだ。
休みに入ると私は寝ても覚めてもキィを叩く。私にとっての聖地・イギリスを訪ねるため貯金をしているが、一向に貯まらない。バイトを入れると書く時間が減るので、軽いジレンマにもだえる。
ジレンマは尻に火をつけ、机の端に置いたコーヒーがぬるくなるのにも気付かず没頭してしまう。
そんなリズムで四日間過ごした。
火村はというと、またしてもバイトと下宿と図書館の三か所を巡回している。
犯罪社会学の研究も、はかばかしい進歩をしているに違いない。
このようにマイペースにおいては一流の我々であった。
が、久しぶりに彼と話をしたかった。
本の話と、雑学と。
火村との議論がもたらす刺激は、私にとってこのうえない点火剤になる。この何十日か忘れていたのに、思い出したらまるで堪え性がきかない。
さりげなく約束を取り付けたが、泊まりは初めてだということに、君は気が回ってるか?
なにげなく許してくれたことを私がどんな風に思ってるか。
あの気難しげな眉間が、私をからかう時と爆笑する時だけ緩く開くのを、誰も知らない。
それを知った時と同じような、得意げな気持ちは『金星の定点観測』に似ていると不意に思った。
中学生だったある年の冬、金星の動きを観察した。
天文がなんとなくかっこいいみたいな、子供特有の流行りがあって、だいたい私はそういうものに背を向けていたが、観察する気になったのは「大昔の人は『明けの明星』なんかゆうて、ホンマに肉眼で見えたんか?」という大阪の子らしい懐疑からだった。太陽が昇ってから出てくる星なのだ、見えようはずがない。
明けの明星はとりあえず諦め、日没後なんとか確認できるだろう宵の明星を確認することにした。
夕食後ジャンパーを引っ掛けてベランダに居座りを決め込んだ息子を見て母は、「お尻が冷える」とお尻とか言われたくない思春期の少年の腰に自分のストールを巻いてくれた。地味な、記録を取っても味気ない観測だが、はじめは見つけることさえ容易ではなかった。
なにせ星を見なれていないので、どこを向いてももそれらしく光っているように見える。
なめてかかっていた少年は思わぬ躓きに屈するをよしとせず、翌日その季節の星の配置図を手にした。
その一個を見つけれんかったら、周りを消し込んでいったらええんや。
目で確認しては、一等星の位置を藍色の空に探し斜線を引く。
美しい星星を退けたあと残るのは、ひときわ輝く金星があるのだと信じて。
まったく要領を得ないが、最後にイチゴを残してショートケーキを食べ進めるのに似て悪くなかった。
いつしかその作業に没頭し、五日目にしてかすかに輪郭を示す星が浮かび上がった。
めっちゃ遠いなぁ、と思った。
観測の案内書では、日の入り直後にピカーッと西の空に光る星がそうだと言っていたが、すこしその姿は細くて、小さな小さな三日月が浮かんでいるようにも見える。
夜が深くなれば、もう見えなくなる星。
じゃあね、と部活動を終えた後、手を振るあの子と重なって急に切なくなった。
明日また会えるけれど、あと1時間一緒にいたい相手。でもまだ、一緒にいて欲しいと告げてない、一方的な片思い。
片思いだけど、金星は私から遠いけれど明日よりは近い、と消えてなくなるまで見つめ続けた。
刷りガラスの嵌まった古い木戸が音をたてて開き、少し痩せたけれどそれでも整った顔がアリスを迎える。
「寒いだろ、入れよ」
朝を待たなくてもよくなった僕は、会いたい時に会いに行き、告げたい言葉を告げてみようと思う。
夜に引き離される子供じゃなく、朝に縛られる大人じゃないから。
幾多の砂金を掻き分けて捉えるたった一つに手を伸ばす。
WRITING/2007 ブログより再録
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