■ギャグです。事件風味の肩すかし仕上げです。あらかじめごりょうしょうください……。ひむありでさえないかもしれません。お蔵入り寸前。
スパイダージョー
火村と気の抜けた甘いやり取りをマンションでかわしてから二週間ほど経った。
向こうもそうらしいがこちらも忙しく、日がな机の前に座っている。
今日も昼から根詰めていた私は、休憩を兼ねて6時のニュースをチェックするために書斎から離れた。
大阪府内の殺人事件を報じる画面に釘付けになっていたところで家電話が鳴った。こんな時間に仕事絡みでかかってくる予定はない。
すると心当たりは、約1名。
予感はずばり的中した。
私は、『臨床犯罪学者』火村の電話を受けて、車で現場に直行することとあいなった。
テレビで報じていた大阪の事件ではなく、京都郊外のそれだという。
場所は高台の住宅地で、あたりに商店はなく七時を過ぎるとそこら一帯は真の闇に沈んでいた。野次馬は多い。
事件が起こった邸宅の入り口に留められた警察車両のヘッドライトが、現場の物々しい空気をざっくりと切り取っている。
火村は見当たらないが怖じることはない。アプローチにできた人垣に歩み寄ると、顔見知りの捜査員が私をみつけてくれた。
案内されるままに家の中へと上がりこむ。
殺人現場はこの家のリビングだった。
シルクロード趣味な内装に、何故かクリスタルのシャンデリアがぶら下がっている。
いかにも金満主義丸出しの明かりの下に、お決まりの黒い手袋を嵌めた火村がいた。軽く目で合図しあう。
捜査員達の鋭い声を聞きながら、火村のとなりに立ってざっと概要を話してもらった。
殺されたのはこの家の主、城紀家(じょう のりいえ)。名前から某音楽プロデューサーを連想するが、なんの縁もゆかりもない。
この被害者の経歴に興味を引かれた。故人はずっとマジシャンとして生計を立てていたらしい。
ステージネームはスパイダー・ジョー。超人的跳躍や壁のぼりをしそうな名前である。
「マジシャンも推理作家も似たようなもんだろ。その職業ならではの思考回路とかさ。ピンとこねぇ?」
「どちらかというと実演販売員の方が彼らに近いわ。彼らは俺の想像がつかんほど、手先が器用なんやからな」
「不器用自慢か」
「俺らはここでしか勝負せえへんもん」
トントンと冷えた指先でこめかみを叩くと、そのオツムに期待しようと肘を当ててきた。
くっ……完全に遊ばれている……私が毎度迷推理を放っているのは誰のためだと思っているのか。
現場を見た後は、火村や柳井警部のあとにくっついて事情聴取に加わった。車での移動はなし。
なぜなら、リビングの隣の応接間に第一発見者が待機しているからだ。ヒュゥ、2時間ドラマみたい。
直接110番に通報してからずっとここにいるという第一発見者は、トレーナーだけの寒々しい格好でいた。小枝のような指先で自分の肩を抱き、緋色の長椅子で縮こまっている。
いかついスーツ姿の男達の中に、ひとりぼっちのウサギが紛れ込んでいるようだ。
私たちの入室を上目遣いで確認する仕草はどこか幼ない。
聞けばまだ18歳だという。18にしては随分化粧っ気がない、洒落っ気もない。
隣の男はこんな時も私の視線に敏感だ。
「なにジトジト眺めてるんだ?」
「べつにそんなことは」
「気がついた点があれば言ってくれ。そうでないならガン見は控えな?」
「君な……誤解や」
コソコソと小競り合う。こんな場所で、発見者をそんな眼で見るかいな。私の想い人は意外に嫉妬深い。
汗をかく私をよそに、捜査員は聴取した内容を説明した。
「……えーこの、宮下心さんは被害者の弟子で、15の頃からこの家の裏にある部屋に下宿してるそうです。
事件当時、大きな物音がした気がするが、宮下さんは特に気に留めなかった。
それが大体午後の4時前でしたね? はい。
それから2時間後、いつもの習慣で夕食の手伝いをするためにこの家に入った。
そうしたところ、リビングで倒れていた被害者とその妻、初子を発見した。
妻は脳震盪を起こして倒れており、病院に運び込まれています」
つまり彼女が実質の第一発見者らしい。
それにしても、弟子とは思わなかった。目がきょときょとし、騙すより騙されそうな雰囲気の子なのに。
いや、師匠の惨たらしい死に様を見れば、誰だって気弱になろう。反省。
さて、隣は何を思う人ぞ。
ちらと見上げると、手袋を嵌めたままの指で火村は自分の唇をなぞっていた。
これは十年以上前から変わらない。沈思黙考に耽るときの彼の癖だ。
私は聞きたいことが脳内にワッと溢れかえるが、出しゃばりすぎてはいけない。フィールドワークについてくる目的は、探偵役をするためではないのだ。
そして半時ばかり質疑応答を交わした我々は再びリビングに戻った。
「奥さんの回復を待つしかないか」
ぼそりと火村が言う。
宮下さんの聴取からは、手がかりになるような事柄が見つからなかった。
手帳を睨みながら柳井警部は唸り、火村は黙って唇をなぞっている。
こんな時こそ私にくだらないことでもなんでもふってくれればいいのに、視線は凶器の乗っていた台やら(骨董品のツボでガツンとやったらしい)、食べかけの焼き鳥がのった皿を見ているだけだ。
その皿は鑑識さんの手によってビニルでくるまれた。
タレでテカる焼き鳥に付着したなにかを調べるのだろうか。殺人現場で焼き鳥を食らう容疑者。酷い想像だ。
火村は視線を床に落とした。私もそれにならう。
目に入るのは高価そうな中国暖通の上に、人形を象ったテープと血痕を示す札。
血が匂い立つようなそれだが、マジシャンって儲かるんだななどと場違いな想像をした。
私は今日はずいぶん集中力に欠けている。駄目だ駄目だ。頭を振って思考を絞る。
「火村、この家は家人のいる間は常時施錠などしておらず、どこからでも入る隙があり、なおかつ金目のもので満載や。強盗の線が一番強いとおもうが?」
「おまえはそう思うか。おれはひとつ引っかかってることがあるんだ」
「なんや。あっ、いつもみたいに考えがまとまってからとかナシやぞ」
「気の急いたヤツだな」
と、そこで玄関がにわかに騒がしくなった。
顔を見合わせた私たちは、音を立てて駆けつける。
「どうしたんですか?」
輪の中心にいた柳井警部に訊ねると「ダイイングメッセージですよ」と、ポラロイドがかざされた。
故人がキツくキツく左手の中に握りしめ離さなかったメッセージだそうで、先ほどようやく取り出せたという。
写っているのは--------
「ハートの6や」
「バカ、9だ」
あぁ。
よく見ればハートの数が6にしては多すぎる。
私は赤面するしかない。火村は「しっかりしろよおい」と肘で私を小突いた。
それから当然のように警部の手から写真を受け取ると、妙な節をつけてなにかを口ずさみはじめた。
「ハート、ハート、ハート。おい推理作家、トランプの記号の意味だが頭に入ってるか?」
「当然。有名な映画の主題歌でも歌われとるやん。スペードは剣、クラブはこん棒、ダイヤはカネ。あ、でもハートはちゃうな。歌にあったような”魂”じゃなくて聖杯というのが最も有名な俗説や」
「聖杯? 現代はハートと言えば心臓だろ。トランプに限っては意味が違うのか?」
会話しながら狭い玄関からリビングへと逆戻りする。
「トランプが今の形になるまで色々ごちゃごちゃした諸説がある。
有名なのは、4つのマークが中世ヨーロッパの階級に対応している、という説。
スペードは騎士、クラブは農民、ダイヤは商人、ハートは僧侶」
ほかに、無駄は承知でトランプに関する諸説を披露した。トランプの起源は東方にあるという説、ヨーロッパのあちこちで流行するとともに、マークやJQKの人物像などが定まってきたことなど。
だが
「それがどうした」
である。
「トランプは被害者の商売道具だから、マジシャンだからこその隠喩とか考えられるんじゃないかな」
「さっき言うたこと以上の蘊蓄はないやろう。隠喩、というかショウをする時に符号を決めてるかもしれへんな。でもそればっかりは本人と相方に聞かんと」
「弟子に聞くか」
リビングを通り抜け応接間に踏む込む。
宮下嬢に聞いたが、ハートの9には心当たりはないそうだ。
鑑識係に遠慮しながらリビングに再び戻る。
「がっかりするなよ。はぁ、ハートハートハート……」
人にはそう言うが、自分もがっかりしている准教授はまた妙な歌を始めた。
「さっきから冴えんやっちゃな」
「失敬な。情報を整理してるところだ。9が絡む、トランプ……バカラをやってたわけじゃなさそうだな」
「もっと単純に、ハートというマークに着目したら? ハートと言われてまず連想するのは心やて君がいうたやん。ハートを名に持つ宮下嬢とか……」
「9の意味は何処に行くんだよ」
「さっきからこっちばっか喋ってんなぁ。もう。9の意味はな、9だけにナイン」(無いん)
無言で後頭部をはたかれた。
だが、9を他の言語に置き換えると言う発想だけはあっていたようで。
それがわかったのは、司法解剖の結果が出た翌日のことだった。
*
午後の光が差し込む病室。
淡い色調でまとめられた室内に、われわれ四人は似つかわしくなかった。
ベッドを取り囲む柳井警部とその部下、私とその友人を前に、被害者の妻は顔を伏せたままだった。
コチコチと目覚まし時計の針音がうるさい。
火村は言った。
「犯人はあなたですね?」
妻は黙秘した。だが、庭から血の付いたストッキングが出てきたので彼女は観念した。
中国人女性との長年の不倫関係を苦にしていたという。相手もプロのマジシャンなので、「仕事」を口実に妻の疑惑を退け続けていたらしい。
私は病室に来る前のことを思いだす。
昨夜は火村の下宿を仮寝の宿にした。そして今朝、警部からの電話で我々は目を覚ました。
司法解剖の結果、被害者の口の中から焼き鳥が出てきたそうだ。
「消化どころか咀嚼もされてへん? なんやそれは」
と朝食を用意する私を放置し、火村はさっさと身支度を始めた。
そして「仮説に自信がついた」と言い、朝飯もそこそこに家を飛び出したのだ。
これは車中の会話だ。
「なんでや。焼き鳥食ってる最中に殺されたんはわかるけど、それでどうして一緒に殴られてる妻の犯行やと?」
「おまえ昨日くっだらねぇこと言っただろ。『9だけにナイン』。9はフランス語でヌフ、イタリア語でノノ、ドイツ語でノイン、中国語でjiuって読むんだぜ。ピンときたろ?」
「ジェァウ……ジョァウ……? ってまさか」
「そのまさかさ。ずっと可能性を考えてきた。あの中国趣味な部屋見ただろ。年に数回は技術向上のためあちらに渡ってると弟子も昨日言ってた。中国語はそこらに溢れる英語より馴染み深い、と言えなくないか?」
そこで火村はパチンと指をならした。
「あぁ、ショウビズの本場アメリカやのうて、中国に学ぶんかいなと思ったアレな。ほな、彼女の後頭部の怪我は自作自演なんか。倒れるほど、切羽詰まってたらやってまうかもしれへんけど。おなじ姓の親戚の犯行ってのはありえへんのか?」
「それはない。マークが彼女だと主張している」
「ハートが?」
「焼き鳥が教えてくれたのさ」
私は、何を言い出すんだ、と目を剥いた。
「えっ」
「口の中からでてきたのは、鶏の心臓、ハツだったんだ」
「……なるほど」
ジョウ、ハツ
蒸発ではない。
『ジョウハツコ』が犯人とダイイングメッセージは告げていたのだ。
意識が混濁する一瞬の偶然が起こしたことで、マジシャンは二重にメッセージを掛けたつもりはないかもしれない。
「でもなぁ、最後の晩さんがあれとは、いややなぁ……どうせやったら好きな相手の心臓がええな」
「趣味悪いよお前」
わざと恍惚とした表情をつくると、火村の片頬がすこしひきつった。
「冗談や冗談。おれは炊きたてごはんに生卵と旨い醤油かけたんがええもん〜。覚えといてな」
「……忘れる」
「なんで!」
「忘れるったら忘れる。ちなみに、おれは何もいらないから」
おれは覚えておこう、と心の中で言った。
もし同時期にいってしまった場合、思い出せなくて苦しむよりいいから。死ぬに死ねないじゃないか。
閑話休題。
容疑者の病院から府警に移動した我々は諸事に巻かれ。
お馴染みの手続きから解放されて、開口一番火村が呻いた。
「やべえ……もう昼かよ。腹減ったな」
「探偵殿は朝飯もすっ飛ばしたからな。メシにしよ」
「取り敢えずここ出てすぐのところに定食屋があったよな」
府警の敷地を一歩出た途端、火村は足早に定食屋に向かった。よほど空腹なのか駆け込まん勢いだ。
私も小走りでついて行った。
そうして。
サバの塩焼き定食を食べる彼の前で、私は日替わりを食べた。
「日替わりがやっぱお得やなー」
「……お得だとしても、焼き鳥は食べたくねぇんだけど?」
「あ、さよか」
私が主菜の焼き鳥を口に運ぶのを複雑な顔で見送っている。
趣味が悪いと眉をひそめている。彼は意外と繊細だった。
だがアレには気付いていないらしい。いいことだ。
実は柳井警部のかざしたトランプの写真を見た時に、一瞬ひっくり返って見えたのだ。
9が6に。
こんなの、良くある見間違いだと笑い飛ばせる。
だって、今テレビで流れているテロップはちゃんと読めるし、朝刊を読むことができた。
夢は現実ではない。
でももし、-------------もし火村が何らかの形で私の目の前から去っていってしまったら、どうなるか------やめよう。
暗い考えを振り落とすように茶をあおった。
「あー、はよ帰って話を書かんとなぁ」
「忙しいことだな。締め切り前なら俺に付き合わなくても」
「心配ご無用。今日はたまたま書きたい気分なんや。白髪だらけになって、耳が遠くなった時、君のお荷物にならんように、今のウチから精々働きます」
もしものことなど考えるのはよそう。
火村は「こんなところじゃなにもできねえ」とぶつくさ言いながら、手にした箸の先をちょんと私のそれに触れさせた。
突然の無作法(よくあることだが)に目が点になる。
なんのつもり? と私の顔にあったのだろう「バカ」と拗ねた風に言って正面の男は米を口にかき込んだ。
間接キスのつもりだったのだろうか。
いくつになってもわからない、この男に備わる未知の行動に気が抜ける。
ウチに帰ったら、君としかできない呪いの解き方で、夢なんかぜんぶ嘘にしてしまえ。
end
事件ものに挑戦しようとして挫折しました。
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