History

1905年(明治38年)日本山岳会が設立される。この時代までは、立山は信仰登山者が芦峅寺の宿坊に泊まって、前夜仲語と呼ばれる案内人に登山道についての注意を聞き仲語の案内で登山をする信仰登山だった。この明治38年くらいから遊びの山がさかんになってきた。


1907年(明治40年)柴崎芳太郎、宇治長次郎の測量隊が剱岳に初登頂する。


1914年(大正3年)佐伯文蔵が生誕する。


1924年(大正13年)佐伯源治郎が(源治郎尾根初登攀者)が剱澤小屋を建てて終戦まで経営、管理していた。


1931年(昭和6年)文蔵17歳でガイドの正式免許を受け立山ガイドとなる。


当時のガイドの免許書


1942年(昭和17年)長男で2代目の友邦が生誕する。


1949年(昭和24年)このころから文蔵が剱澤小屋の経営、管理をするようになった。


小屋の受付、左から栄治、富男、文蔵



     小屋を経営しながら小屋のお客さんを連れてガイドもしていた。


池ノ谷をガイド登攀する文蔵



芦峅の家でピッケルを持つ文蔵。



1950年(昭和25年)ガイド登攀で日本医大山岳部と積雪期の東大谷中尾根(文蔵尾根)の初登攀。


左から文蔵、富男、亀一、日本医大リーダーの夏吉。



1963年(昭和38年)雪崩で小屋が壊され流される。このころから2代目友邦が小屋に入る。


当時建築中の小屋


剱澤小屋の看板を掛ける文蔵と友邦。



1965年(昭和40年)文蔵、国立公園保護の功績が認められ、厚生大臣賞を受賞。


1966年(昭和41年)文蔵、山岳遭難救助の功績が認められ、内閣総理大臣賞を受賞。


1969年(昭和44年)富山ヒマラヤ登山隊でネパールのダウラギリ山群のグルジャヒマール(7195m未踏峰)に
友邦とラクパ・テンジンが初登頂。


グルジャヒマールの頂上



1971年(昭和46年)文蔵、山岳遭難の功績が認められ、黄綬褒章を受章。


1973年(昭和48年)長男で3代目の新平が生誕する。


1981年(昭和56年)2008年まで営業の剱澤小屋に移転する。


1988年(平成元年)小屋が雪圧で壊滅的に壊される。


雪圧で壊され傾いた小屋




1991年(平成3年)初代文蔵が6月10日に死去。


1993年(平成5年)友邦、山岳遭難救助の功績が認められ、警察庁長官賞を受賞。


1996年(平成8年)3代目新平が小屋に入る。


2001年(平成13年)友邦、国立公園保護の功績が認められ、環境大臣賞を受賞。


2003年(平成15年)友邦、山岳遭難救助の功績が認められ、内閣総理大臣賞を受賞。


2006年(平成18年)剱岳一帯では各山小屋が雪圧の被害を受ける。剣山荘は1年間建て替えのため営業ができない状態。真砂沢ロッジも修復工事のため1ヵ月程度営業が遅れ、剱澤小屋も小屋が壊され7月にようやく復旧し何とか営業ができた年でした。


2008年(平成20年)2006年の雪害で小屋を移転し建て替えました。


建て替え工事




2009年(平成21年)5月1日から新しい小屋での営業再開。


Future

初代の文蔵が剱岳、剱澤小屋にかけた想いとは登山者の安全だと思う。遭難者をいかに出さないようにするかを考え、遭難者がでたときは必死で救助してきた。
現在の登山は60年前とは違い室堂まで交通機関で来れ、登山道もすごく整備されとても登山しやすくなった。
登山用具も、軽くて雨に濡れにくくて乾きやすい。とても機能性がたかくなった。
それでもやはり遭難というのは絶えない。今も60年前も、山に対して誤った考えや浮ついた考えで接するとしっぺ返しが来る(遭難する)事になる。「自然を甘くみてはいけない。」2代目の友邦がしょっちゅう言う言葉だ。
それは100回を超える遭難救助の現場でいかに遭難というものが悲惨なものかを痛切に経験したからだろう。
山に対しての態度、心構えを今でも受付で登山客に呼びかける。
遭難者をいかに出さないようにするかそれが文蔵、友邦のスピリットだ。
僕も小屋に入って13年、文蔵、友邦のスピリットをなんとか受け継いでいきたい。

                                                            3代目新平