幼なじみがどスケベサキュバス♂になったらしい 


 1


 カスパルが行方不明になった。
 リンハルトがその報を受けたのは、午前の軍議をさぼって(最初からさぼる気だったわけではなく、寝過ごした結果としてさぼることになったのである)自室でまどろんでいたときのことだった。
 フェルディナントの話によれば、カスパルも軍議には顔を出さなかったそうだ。時間を厳守するカスパルが遅刻するのは珍しいが、そのときは遅刻だと思って誰も気にしなかったらしい。
 異常事態が発覚したのは昼過ぎになってからのことだ。
 私用で自室に戻ったヒューベルトがついでにカスパルの部屋を訪れたところ、声をかけても返事がなかった。しかし部屋の扉は施錠されておらず、不審に思って室内に足を踏み入れると、そこには荒らされた形跡があり窓が開いていたという。
 この状況から推察するに、カスパルは何者かに拉致されたのではないだろうか?
 ……というのが、リンハルトが聞かされた話だ。
「カスパルが誰にも告げず軍務を放り出してどこかに行くとは考えにくい。リンハルトなら何かを聞かされているのではないかと思ったのだが……」
「残念だけど、僕も何も聞かされてないよ。でも、今日はバルタザールと手合わせするって張り切ってたから、カスパル自身の意思で失踪した可能性は低いんじゃないかな」
 リンハルトは昨日のカスパルとのやりとりを思い出しながら答えた。
 カスパルはバルタザールとの手合わせに執心している。その楽しみを自ら投げ出すような真似をするとは考えにくい。これはヒューベルトやフェルディナントら、主立った将校たちにも共有されている見解だった。
 とはいえ、軍の要人たちが自ら探索に向かうわけにもいかず、カスパルの捜索が大々的に行われることはなかった。一部の者たちにその情報を共有し、新たな情報があった場合は知らせるように伝達するくらいのものだ。
 リンハルトはもどかしい気持ちをかかえながらも、重役でもその嫡子でもないカスパルの捜索に時間と人員を割けないという事情がわからないわけではなく、忸怩たる気持ちで報告を待ち続けた。
 そして数週間が経ったある日、唐突にカスパルは帰ってきた。カスパルの捜索とは別途で遺跡の探索を行っていた部隊が、遺跡の奥で倒れていたカスパルを発見したというのである。
 カスパルは栄養失調で痩せ細っていたが、怪我はなく命に別状もなかった。ただ――なぜか悪魔の尻尾のようなものが尾骶骨のあたりから生えていたのである。
「カスパル、これ、どうしたの?」
 カスパルの見舞いで医務室を訪れたリンハルトは、カスパルの尻で揺れる尻尾を指差す。
 衣服を貫通したそれは神経が通っているのか、カスパルの動きに合わせてゆらゆらと揺れている。幸いなことにカスパルは普段から外套を羽織っているので、違和感なく隠すのは難しくないだろう。
「いや、それがわかんねえんだよ。知らねえやつらに変なところに連れて行かれて、妙な薬を飲まされて……そんで、目が覚めたら生えてた」
「尻尾以外に異常はない?」
「異常か……そういや、腹に変な模様が浮かんでるし、なんかすげえ腹が減るんだよな。救助されたあと飯もたくさん食わせてもらったんだけどよ、ぜんぜん腹が膨れねえんだ」
 カスパルは自身の腹を擦りながら空腹を訴えた。捲り上げた服の隙間から見える腹には、何らかの紋様が浮かび上がっている。
「……もしかしたら」
 カスパルの状態からとある推測をするに至ったリンハルトは、カスパルの頬に軽く口付けをした。突然のことにカスパルは目を瞬かせ、リンハルトの顔をじっと見つめる。
「急になんだよ?」
「いまので空腹感が減ったりはしてない?」
「うーん……わからねえ」
 カスパルは首を傾げながらもう一度腹を撫でた。
「このくらいじゃ駄目か……」
「何が駄目なんだ?」
「もしかしたら、君のそれは淫魔(どスケベサキュバス♂)化なのかなと思って」
「どすけ……なんだそれ?」
 訝しむカスパルにリンハルトは至極真面目な態度で答える。
「精を貪る悪魔のことだよ。いまの君の状態が、文献で読んだそれに近いなと思って」
 リンハルトの説明にカスパルは首を傾げるばかりだ。話を振ったリンハルトすら猥談の類だと思っていたのだから、そのような反応をするのも無理はない。
「淫魔は人間のように動植物を食べ物とするのではなく、人間の精を食べ物とするんだよね。だから、性的な行為をすれば君のお腹も膨れるかと思ったんだけど……頬に口付けするくらいじゃダメみたいだ」
「性的な行為って言うと、あとはどういうのがそれになるんだ?」
「それはまあ、交合とかだね」
「……お、おう、そうか」
 しれっと答えるリンハルトに対して、カスパルは若干気まずそうに言い淀む。
 この反応からして、交合が何かは理解しているらしい。カスパルのことなので「なんだそれ?」などという返答がくる可能性を考慮していたが、どうやらリンハルトの杞憂だったようだ。
「腹を膨らます方法じゃなくて、この状態そのものを治す方法はねえのか? オレ、この体でうまくやっていける自信ねえよ」
「調べればあるのかもしれないけど、いまの僕が知る範囲ではないね」
 カスパルの問いかけにリンハルトが答えた途端、目の前に晒されていたお腹がぐう、と切なげに空腹を訴えた。
「ずいぶん空腹のようだね」
「そりゃあ、交合なんてしてねえからな」
 カスパルは眉根を寄せてリンハルトを見上げる。旅の最中や戦闘中など、空腹を余儀なくされることはこれまでもあっただろうが、食べても解決しないとなると余計に飢餓感が募るのだろう。
「そうだね……もしかしたら、性器の挿入を伴う交合だけでなく、代替行為でも飢餓感は凌げるかもしれない。ほら、口を使った性行為だって性行為は性行為でしょ。そこまでは無理にしても舌を使った口付けとか……」
「口付けか……それならまあ、オレにもできそうだな」
「やってみる? 口付けくらいなら僕でも相手になれるよ」
「いいのか? オレ、こういうの慣れてねえからリンハルトに任せてえんだけど」
 リンハルトが「いいよ」と頷くと、カスパルは早速とばかりに目を閉じた。きちんと目を瞑るカスパルを意外に思いながらも、リンハルトは身を屈めてカスパルの顔に唇を寄せる。
 カスパルの肩に手を置いて合図をしてから、少しかさついた唇をやんわりと食む。カスパルはぴくりと身動ぎをしたのちに薄目を開けて様子を窺ってきたが、すぐにまた目を閉じてリンハルトに身を任せてきた。
「ぅ……は……あ……」
 舌を唇の隙間から潜り込ませ、カスパルの舌を探り当てて絡め取る。息が苦しいのかカスパルは鼻にかかった吐息を漏らしたが、それでもリンハルトの服の裾を掴んで懸命に応えようとしてきた。
「ふ……ぅ……ん……っ……」
 カスパルは飢えを満たすために必死なのか、まるで赤子のようにリンハルトの舌に吸い付いてくる。その仕種に胸のあたりが熱くなるような感覚を覚えながら、リンハルトはカスパルの口腔を余すことなく愛撫した。
「ん……ふぁ……んぅ……」
 息継ぎの合間に零れる吐息が艶を帯び、カスパルはすがるようにリンハルトの服の裾を強く握る。それを宥めるように背中を擦ってやると、体が弛緩したのかカスパルは膝を崩して床にへたり込んだ。
「……どう? 飢餓感は楽になったかな?」
 リンハルトはカスパルを覗き込みながら問いかける。
 カスパルはどこか夢うつつのような様子で惚けていた。頰は上気し、瞳はとろんとしていてすぐにでも眠ってしまいそうだ。人は食欲が満たされると眠くなるものだが、いまのカスパルはその状態なのかもしれない。
「あんま実感はねえけど……ただ……」
「ただ?」
「なんか、すげえ気持ちよかった」
 恍惚とした様子で呟いたカスパルはリンハルトの服の裾をもう一度握り、頰を擦り寄せて体を密着させてきた。
「なあ、もっとしていいか……?」
 ――熱い吐息に、火傷してしまいそうだ。
 そう思いつつもリンハルトは頷いて再度カスパルに口付けた。
「ん……ぁ……ふ……」
 カスパルは夢中でリンハルトの舌に自分のそれを絡ませる。まるで咀嚼するようにリンハルトの舌を味わいながら、無意識のうちに腰を揺らして股間をリンハルトに押し当てていた。
 カスパルの無意識の行動があまりにも刺激的で、リンハルトの下腹部がずんと重くなる。布越しに伝わる熱さに誘われるようにリンハルトも自分のそれを擦り付けると、カスパルの腰がびくりと跳ねた。
「は……ぁ……なんか、へんなかんじだ……」
 カスパルは恥じらうように顔を伏せたが、無意識に腰を揺らしてしまうようで段々と声に熱がこもり始める。発情期の獣のように腰を振るカスパルの姿はあまりにも卑猥で、リンハルトの情欲を激しく掻き立てた。
「なあ、リンハルト……」
 カスパルは腰をくねらせながら上着の裾をたくし上げ、リンハルトの手を掴んで自らの股間に導く。カスパルのそこは既に充分な熱を持っており、下衣越しにも屹立していることが確認できた。
「なんか、ここが熱くて仕方ねえんだ……リンハルトなら、どうすればいいか知ってるんだろ?」
「それは……うん。まあ、知ってるけど……」
 リンハルトが頷くと、カスパルは期待に満ちた眼差しでリンハルトを見つめる。
 リンハルトは一瞬だけ甘美な誘惑に負けそうになったが、それを振り切るようにかぶりを振った。
 このままカスパルを抱いてもカスパルは拒まないだろうが――それはなんとなく卑怯に思えた。カスパルから誘ってきたという状態を言い訳にして、自分の欲望を正当化してしまうような気がしたのだ。
「いいかい、よく聞いて」
 リンハルトはカスパルの体をそっと引き剥がすと、覚悟を決めてカスパルの瞳をじっと見つめた。
 突然真剣な声色で話しかけたせいか、カスパルは戸惑いながらもこくんと頷く。
 先程まで蕩けていたカスパルの瞳は理性的な色を宿し始めている。そのおかげで、リンハルトも落ち着いて話を続けることができた。
「君はいま、淫魔化しているせいで食欲が性欲に変換されてるんだ。でも、それは君本来の意思ではない。だから、性欲の赴くまま他人と体を繋げるべきではないと僕は思う」
「でもよ、体がなんかおかしいし、腹が減って仕方ねえし……どうしたらいいんだよ?」
 カスパルは困り果てたように眉根を寄せる。そんなカスパルを安心させるようにリンハルトは言葉を続けた。
「口付けの相手くらいはするから……だから、解呪の方法が見つかるまではそれで我慢してくれないかな」
 カスパルはしばらく考え込むように目を伏せていたが、やがて納得したのかこくりと頷いた。
「……わかった。リンハルトがそう言うんなら、そうするのがいいんだよな」
「うん、僕を信じてほしいな」
 リンハルトが微笑むとカスパルも安心したように小さく笑った。

 その日からカスパルは定期的にリンハルトの口付けを求めるようになった。朝、昼、晩――それこそ、食事をするのと同じ感覚で、リンハルトの口付けを求め続ける。
 カスパルいわく、口付けでは満腹にはならないが、飢餓感はごまかせるらしい。リンハルトもカスパルとの口付けは嫌ではないし、それで彼が満たされるならと拒むこともしなかった。
「んっ……」
 昼食後、二人はリンハルトの自室まで移動してカスパルの『食事』をする。
「ふぁ……ん、んぅ……」
 リンハルトがカスパルに求められるままに唇を開くと、カスパルは恍惚とした表情で口腔を貪った。舌と舌を擦り合わせ、歯列をなぞり、上顎をくすぐるように刺激してくる。
 淫魔化している影響なのか、それとも元々の技能なのかはわからないが――意外なことに、カスパルとの口付けは気持ちがよかった。
 舌先だけで頭が真っ白になるような快感を与えられ、リンハルトも段々と理性が蕩けていくような感覚を覚える。これが淫魔の魔力だというのなら、確かにやっかいな悪魔と言えた。
「ん……んむっ……!」
 息苦しくなり、リンハルトはカスパルの肩を叩いたが、カスパルはまったく離れようとしない。それどころかさらに口付けを深くして、ついには呼吸もままならない状態になってしまった。
「んぅ……ん……!」
 リンハルトは慌てて両手でカスパルの顔を掴み、無理矢理に唇を引き剥がした。二人の間には唾液の糸が繋がり、段々と細くなったそれはやがてぷつりと切れる。
「ぷはっ、は……はぁ……」
 リンハルトは肩で息をしながらカスパルを見つめた。だが、カスパルは物足りなさそうに唇を尖らせるばかりだ。
「なんだよリンハルト、もう少しくらいいいだろ?」
「だめ。このままだと僕が窒息死しちゃうよ」
 カスパルは納得のいかない様子で首を傾げるが、リンハルトは構わず話を続けた。
「とにかく、今回はここまで。これ以上続けると僕も変な気分になっちゃうし……」
「変な気分?」
 不思議そうに問い返すカスパルに、リンハルトは頰を赤らめて視線を逸らす。完全に余計なことを言ってしまった。性的な興奮によって思考力が低下していたのかもしれない。
「……君がそれを理解できるようになるまでは、口付けだけしかしないからね」
 リンハルトは首を傾げるカスパルの肩を押して部屋から追い出すと、雑念を振り払うために読みかけの本を開いた。







 それから更に数日が経過しても、カスパルの症状は一向に改善する兆しを見せなかった。相変わらずカスパルは空腹を訴え続け、リンハルトはそれを口付けで慰め続けている。
「……カスパル?」
 リンハルトが口付けの余韻に浸っていると、ふと腕の中にいるカスパルの体から力が抜けるのがわかった。カスパルはリンハルトの腕の中でくたりと脱力し、荒い呼吸を繰り返している。
「どうしたの? 大丈夫かい?」
 心配になって声をかけると、カスパルは緩慢な動作で顔を上げた。その顔は真っ赤に紅潮しており、瞳もどこか虚ろな印象を受ける。明らかに様子がおかしい。それに気付いてリンハルトは狼狽えた。
「具合が悪いのかい? 医務室まで連れていくよ」
「……いい。大丈夫だ」
 カスパルは首を横に振るが、どう見ても大丈夫なようには見えない。しかしカスパルは頑なに大丈夫だと言い張って、その場から動こうとしなかった。
「本当に大丈夫なのかい?」
「ああ、なんとか……なあ、それよりもう一回してくれよ」
 リンハルトは迷いながらも再度カスパルの唇に口付ける。カスパルの体は小刻みに震え、肌のいたるところが熱を持っていた。
「もしかして、君……発情しているの?」
 リンハルトが尋ねると、カスパルは恥ずかしそうに目を伏せる。
 淫魔としての本能と、カスパルの意思がせめぎあっているのだろう。苦しげに息を吐くカスパルを見下ろしながらリンハルトは考える。
 このまま口付けを続けたとしてもカスパルの食欲は満たされないどころか、半端な給餌によって余計に飢餓感が増すかもしれない。だとすれば、カスパルが満たされるためには――。
 リンハルトはごくりと唾を吞み込むと、意を決してカスパルの服に手をかけた。
「リンハルト……?」
 戸惑うような声を上げるカスパルには構わず、彼の胸元をくつろげて素肌を晒す。その瞬間、甘い香りが立ち上ったような気がしてリンハルトは思わず息を飲んだ。
 それは淫魔が放つ魔力のようなものなのだろう。脳髄が甘く痺れるような感覚がして、リンハルトは無意識のうちにごくりと喉を鳴らしていた。
 鍛え上げられたカスパルの胸元は、日に焼けた肌と相俟って健康的な色香を放っている。淫魔となった影響なのか、中心にある二つの突起は既に膨らんでおり、熟れた果実のようにその存在を主張していた。
 リンハルトは誘われるようにカスパルの胸へと顔を近付ける。汗ばんだ肌に鼻を押し付けて匂いを嗅ぐと、むわりとした熱気と共に甘ったるい香りが鼻腔を満たした。
 その芳香を直接味わいたいという衝動に駆られ、リンハルトはカスパルの胸に顔を寄せる。そして膨らんだ突起を口に含もうとして――そこでやっと我に返った。
「……いや、やらない。やらないからね」
 リンハルトは自制心を総動員してカスパルから離れると、大きく深呼吸して気持ちを落ち着けた。
 このままでは理性が保てなくなりそうだと思い、リンハルトはカスパルから距離を取る。それでもなお香る甘い香りに頭がくらくらした。
「……なあ、リンハルト」
 自分自身と戦っているリンハルトなど露知らず、カスパルはとぼけたような声色で話しかける。
「なに?」
 リンハルトは努めて冷静に返事をした。
「気づいてたか? オレ、とっくに尻尾なんてないんだぜ」
「……えっ?」
 瞠目するリンハルトをよそに、カスパルは外套の裾を捲ってみせる。誘導されるまリンハルトが視線を向けると、確かに尻から伸びていたはずの尻尾がなくなっていた。
「ってことは、つまり……」
「オレ、別に淫魔化のせいで興奮してたわけじゃねえぞ」
 はっきりと告げるカスパルに、リンハルトは口をぱくぱくと開閉させて呆然とする。
「でも、なんだか君から甘い香りがしたよ」
「それは……わからねえ。単にお前がそう感じただけなんじゃねえのか?」
 カスパルは首を傾げているが、リンハルトは納得がいかなかった。
「たぶん、時間の経過で治ったんじゃねえのかな。代謝って言うんだっけ?」
 カスパルは裾を元に戻しながら見解を述べる。淫魔化の原因が薬品であるのなら、カスパルの言う通り代謝によって体外に排出された可能性は考えられた。
「なら、どうして僕に頼っていたんだい? もう口付けをする必要はないはずだよね」
「それは……その……お前と口付けしたかったっていうか……」
 カスパルは恥ずかしそうに頭を搔きながらリンハルトの問いに答える。
「なんか、お前と口付けしてるとすげえ気持ちよくなるんだよ。腹だけじゃなくて胸もいっぱいになるし……あと、頭がふわふわするっていうか……」
「……君は淫魔化の衝動とは無関係に僕を求めてくれてたってことかい?」
「……そう、だな」
 カスパルは耳まで真っ赤にして俯いた。その様子を見て、リンハルトは自分の胸の奥にも熱い感情がこみ上げてくるのを感じる。
「……ねえ、カスパル」
「なんだ?」
 リンハルトは逸る心を抑えながら、ゆっくりと口を開いた。
「その……君が嫌じゃなければなんだけど」
 心臓の音がうるさいくらいに鳴っているのがわかる。体中が熱を持ち、呼吸さえもままならないような錯覚を覚えた。それでも、ここで踏み込まなければきっと後悔することになると本能が告げている。
「もう一度、口付けさせてくれないかな。食事としてじゃなく、愛し合うために」
「お……おう」
 カスパルは戸惑いながらもリンハルトに向かって両手を広げる。リンハルトは誘われるまま、カスパルの背に手を回して抱き寄せた。
「んっ……」
 唇が重なると、待ち焦がれていたとばかりにカスパルの舌が口内に侵入してくる。それに応えるようにリンハルトも自分の舌を差し出し、絡め取るように擦り合わせた。
「はぁ……んむっ……」
 カスパルはリンハルトの首に腕を回して体を密着させ、自ら積極的に舌を動かしてくる。その様子に驚きながらも、リンハルトは求められるままに彼の口腔を貪った。
 カスパルの唾液は蜂蜜のように甘く感じられた。それはきっと彼が淫魔化していたからではなく、カスパルだからなのだろう。リンハルトはもうそこに言い訳を探さなかった。
「ぷぁっ……なあ、リンハルト……オレ、『変な気分』なんだけど……」
 カスパルは切なげに眉根を寄せてリンハルトに擦り寄ってくる。太腿に当たる固い感触は、おそらく彼の男性自身だろう。
 リンハルトはごくりと喉を鳴らすと、カスパルの腰に手を回しながら自分の体を押し付けた。
「うん……僕も同じだよ」
 互いの屹立した陰茎が布越しに触れ合う感触に、二人揃って熱い吐息を漏らす。そのまま腰を動かして擦り合わせれば、痺れるような快感が全身を駆け巡った。
「ふっ、はっ、あ……これっ……」
「んっ……気持ち、いいね」
 互いに息を荒げながら夢中で腰を振り続ける。
 カスパルの誘いが淫魔化による衝動でないとわかったいま、リンハルトがそれを拒む理由も存在しなかった。
 リンハルトはそっとカスパルを寝台に押し倒すと、彼の下肢に手を伸ばして下穿きごと衣服を引き下ろす。そして自分の衣服も脱ぎ捨て、互いに一糸纏わぬ姿になって肌を重ね合わせた。
「リンハルトの体、いつもより熱いな……」
「うん、僕もどきどきしてるみたいだ」
 汗ばんだ肌は吸い付くように密着し、触れ合った場所から溶け合ってしまうのではないかと錯覚するほどだ。
 リンハルトはカスパルの首筋に顔を埋めて強く抱き締める。その拍子に胸の尖り同士が擦れ合い、新たな刺激を生み出して二人同時に体を震わせた。
 そのまま胸同士を押し付け合い、硬度を増したお互いの屹立を擦り合う。先走りでぬるついたそれは滑りが良く、擦れるたびにくちゅくちゅと卑猥な音を立てた。
「はぁっ……あぁ、リンハルトっ……これ、気持ちいい……」
 カスパルはうっとりとした表情を浮かべながら腰を揺らめかせる。その動きに合わせるようにして、リンハルトもまた自身の陰茎を押し付けた。
「ふっ、んっ……」
 カスパルは頬を上気させ、額に汗を滲ませながら快楽に浸っている。普段の彼からは想像もつかないほど淫らで艶やかな姿に、リンハルトは目眩に似た感覚を覚えた。
「カスパル、好きだよ」
 リンハルトは汗ばんだカスパルの額に口付けて彼の股間へと手を伸ばす。そして互いの陰茎をまとめて握り込み、擦り合わせるようにして上下に扱き始めた。
「んぁっ……! あ、あっ……」
 敏感な部分同士が触れ合う感覚に、カスパルは体を跳ねさせて身悶える。二人分の先走りで濡れそぼったそこは、手を動かす度にぐちぐちと淫猥な水音を立てた。
「はっ、あぅ……んっ、あぁ……」
 カスパルはリンハルトの手の動きに合わせるようにして腰を揺らし、自らも快楽を得ようとする。しかし初めての刺激に上手く体を制御できないのか、その動きはぎこちなかった。
 それでもカスパルは懸命に快楽を追い求めようとしているのだろう。その姿が愛おしくて、リンハルトは彼の胸元に顔を近づけて小さな尖りを口に含んだ。
「ひゃっ、あぅ……んんっ……」
 カスパルは甘い声を上げながら身悶えるが、リンハルトを引き剥がそうとはしない。それどころかより深く密着しようと身を寄せてきたため、リンハルトはもう片方の突起を指先で摘んでくにくにと捏ね回した。
「ふぁっ、あっ……リンハルト、そこぉ……」
 カスパルは蕩けた表情を浮かべてリンハルトの頭を抱え込む。カスパルの胸に顔を押し付けられる形になったリンハルトは、要望に応えるように乳首を舌で転がし続けた。
「気持ちいい?」
「んっ……気持ち、いい……」
 カスパルは素直に答えながら、甘えるようにリンハルトの首筋に頭を擦り付けてくる。その拙い動作が言いようもなく愛おしく、リンハルトは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「僕も……すごく気持ちいいよ。ずっとこうしてたいくらいだ」
「オレも……っ、なんか、おかしくなりそうだ……」
 カスパルは切羽詰まった声で訴えると、リンハルトの腰に脚を回してぎゅっと抱きついてくる。その拍子に互いの屹立が強く押し付けられ、電流のような快感が背筋を走り抜けた。
「ひっ! あぅ……これ、やべえかも……」
 強すぎる刺激に驚いたのか、カスパルは怯えたような声を上げる。だがそれは決して不快なものではなく、むしろ未知の快感に対する期待が含まれているように思えた。
「気持ちいい? なら、もっと強くしようか」
 リンハルトはカスパルの太腿を抱え込むようにして互いの屹立を密着させ、そのまま抽挿するようにして腰を動かした。
「ひゃあぁぁっ!?」
 突然与えられた強烈な刺激にカスパルは目を見開いて悲鳴を上げる。だがその声はすぐに甘く蕩けたものに変わり、ほどなくして自ら腰を振り始めた。
「はっ、あぅ……これぇ……」
 ぐちゅぐちゅと粘度の高い水音が響き渡る中、カスパルは陶酔しきった顔で快楽を貪っている。
 リンハルトもまた、カスパルの屹立が裏筋を擦り上げる感覚に夢中になっていた。二人分の性器を掌で包み込んだまま腰を動かし、それぞれの亀頭をぐりぐりと押し付け合う。
「ふぁっ、あぁっ……リンハルト、オレ……もう……」
「うん、僕も……」
 限界が近いことを悟ったリンハルトはカスパルの唇を塞ぎ舌を絡ませた。それと同時に手の動きも加速させ、粘膜同士を擦り付けるようにして激しく扱き上げる。
「んぅっ……!」
 カスパルは声にならない悲鳴を上げながらリンハルトの掌の中に白濁を放った。どくんどくんと脈打ちながら大量の精液が溢れ出し、互いの腹や胸の上に飛び散っていく。それとほぼ同時にリンハルトも果て、カスパルの腹の上に熱い飛沫を散らした。

 射精後の倦怠感に包まれながらも、二人は唇を合わせたまま余韻に浸っていた。その間も二人の身体は離れようとせず、互いに背や腰に腕を回したまま肌を重ね合わせている。
「ごめんね、気づかなくて」
「えっ?」
 リンハルトがぽつりと漏らした謝罪の言葉にカスパルは首を傾げた。
「君は君自身の意思で僕を頼ってくれてたのに、ずっと淫魔化の衝動だと思い込んでいて……申し訳ないというか、情けないというか……」
 リンハルトは気まずさから視線を逸らす。
 その様子にカスパルはきょとんとした表情を見せたあと、耐えきれないといったふうに笑い始めた。
「なんで笑うんだい?」
 予想外の反応に戸惑うリンハルトを見て、カスパルはさらに笑みを深くする。そして、そっと腕を伸ばしてリンハルトの頭を抱き寄せた。
「まあ、オレもそれを言い訳にしてお前に頼ってたんだからお互い様だろ。そうでもなきゃ、その……口付けしてくれなんて言い出せねえし」
 カスパルは照れ臭そうに視線を彷徨わせながら頰を搔く。その様子を微笑ましく思いながら、リンハルトはカスパルの額に何度目かの口付けを落とした。
「僕は君に頼ってもらえて嬉しかったよ。君が僕以外の人と口付けをしたり、それ以上のことをすることになっていたら……淫魔化のせいだとは理解できても寂しかったと思う」
「へへ、そっか」
 カスパルはどこかほっとしたような微笑みを浮かべ、リンハルトの首に腕を回してぎゅっと抱きついてきた。そのままどちらともなく唇を重ね合わせ、再び熱を持ち始めた体を重ね合わせる。
「なあ、リンハルト」
「ん?」
「……もう一回したいって言ったら怒るか?」
 カスパルは少し不安げにリンハルトの瞳を覗き込んでくる。その可愛らしいおねだりに抗う理由などあるはずもなく、リンハルトは微笑んでカスパルの頬に口付けた。
「僕も同じこと言おうと思ってたんだ」
 二人はくすくすと笑いながら互いの体に触れていく。
 そしてもう一度愛し合おうと、寝台の上で重なり合った。

「けっきょく、カスパルを拉致した連中は何者だったんだ?」
 後日、カスパルが回復したとの報を受けたフェルディナントは訝しげに眉を顰める。軍議が終わり、解散しようとそれぞれが席を立ち始めたときのことだった。
「『闇に蠢くもの』が関与している可能性もありますが、現状では特定できませんね」
 同席していたヒューベルトは淡々とした口調で答える。
「カスパルの体調は大丈夫なのか、リンハルト?」
「うん、すっかり元気だよ。あれから特に異常も起こっていないし」
 フェルディナントの問いにリンハルトが頷くと、整った級友の顔に安堵の色が広がった。
「何もないなら良いのだが……それならなぜカスパルは今日も軍議を欠席してるんだ? もし何かあるなら相談してほしいものだが……」
「いや……その……」
 リンハルトが言葉を濁すと、周囲にいた面々の空気がざわめく。皆の視線が集まる中で、リンハルトは頰を搔きながら口を開いた。
「まだ体力が回復してないというか……僕としてはもうちょっと休んでほしいから軍事は欠席するよう勧めたんだけど……まあ、カスパルには僕から伝達しておくから問題はないよ」
「……ふむ?」
 いつになく曖昧なリンハルトの物言いにフェルディナントは首を傾げる。
 リンハルトと隣室のペトラやベルナデッタは何かを察した様子だったが、ここで追及すると余計に厄介なことになると判断したのか、そのまま何も口にしなかった。



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