長岡のメインストリートといえば大手通り。その名の由来は長岡城の大手門というから、歴史的にみても正真正銘の
メインストリートなのだ。平成9年にはアーケードの建て替えや地下駐車場などが整備され、より明るく開放的な雰囲
気に。5月から10月まで月1回、歩行者天国「長岡ふれあい大広場」が開かれ、フリーマーケットや一店逸品コーナー
ストリートライブなど楽しいイベントが盛りだくさんあるそうだ。
長岡城跡・二の丸跡
大手通り雪よけ路がつくられています まいまいひめかたつむりの上に、笛つちょっと不思議な
この彫刻は広井吉之昭和33年に設置。街のシンボルと
して昔から愛されている。
こどもたちのモニュメント 大手通り6像ありました。 米百俵之碑・国漢学校跡
舞台は幕末維新、戊辰戦争に敗れ困窮を極めていた長岡藩に、支藩三根山藩から見舞米百俵が届いた。米の配分を迫る藩士
たちを前に、ときの大惨事・小林虎三郎は「食べてしまえばあっという間のこの米だが、売った金で学校を建て、子供たちを教育し
ていけば、いずれ一万表、いや百万表の価値に仕立て上げてくれるだろう。その日暮らしでは長岡の街は立ち直れない。新しい
日本は生れないぞ」などと諭した。やがて藩士たちも虎三郎の言う ”教育が街を復興させ、豊かな社会をつくる ”ことを覚り納得
した翌年、その資金により新校舎となった「国漢学校」が開校。藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもにも入学が許された。
この故事は「人づくりこそ街づくり」という価値観を生み、その後の長岡の発展に大きく寄与することとなった。
互尊文庫 山本五十六の生家(表)
大正7年、野本互尊翁が私費を投じて設立した図書館
山本五十六の生家(裏) 山本五十六胸像