明治9年、にほん一の長さを誇る信濃川に最初に架けられた橋が長生橋。初代の橋は木造で、洪水により幾度と破損・流失
昭和12年に現在の鉄橋が完成した。 幾何学模様が印象的なトラス橋
信濃川周辺に近づくと見えてくる赤い屋根のタワーは、大正末期から昭和にかけて造られた旧配水塔。市民からは「水道タンク」
の名で親しまれている。当時は調整池溜められた信濃川の伏流水をこれにくみ上げ、36mという高さを利用して家庭に配水して
いたとか。現在は使用されていないが、大正期のモダンな建造物として登録文化財に指定・保存されている。
千秋が原ふるさとの森には、山本有三作の戯曲「米百俵」をもとに上演された松竹歌舞伎座公園の一場面がブロンズ像
で再現されている。左下の母子像、この精神を受け継ぐ新しい世代の象徴として付け加えられたもの。
平成3年にふるさと創生1億円事業のひとつとして建てられた。
長岡城築城と町づくりを進めた堀直竒が村上へ転封となった後、それを完工し長岡藩を創始したのが初代牧野忠成である。
その後牧野氏が12代にわたり藩主となった。蒼紫神社は、4代忠寿が前代忠辰と忠辰が崇拝した事代主命(えびすさま)
を長岡城内に祀ったのが始まりとされ、現在の社殿は9代忠精によって日光東照宮を模して天明元年〔1781〕建立。戦火
からも免れ、当時のままの荘厳な姿を今に伝えている。
蒼紫神社わきには、2代から11代までの藩主の墓碑17基が立つ。昭和58年に旧長岡藩牧野家の菩提寺である東京三田の
済海寺から移されたもので、遺骨と御霊は東神田町の栄涼寺に眠る。初代忠成の墓は栖吉町の普済寺の裏山にあるが、
これは「領地である古志・三島・蒲原が一望できる場所に」との遺言によるといわれている。
悠久山公園内の高台に、城をかたどった史料展示館がある。館内では主に、近世から近代にかけて全国的,世界的に活躍
した長岡出身の偉人たちの業績や人となりが紹介されているほか、かやぶき農家の復元展示、雪国ならではの民族資料の
展示などもあり、天守閣部分の4階からは長岡市街や新潟平野が一望できる。