「九条の会・わかやま」 482号 発行(2023年5月28日付)

 482号が5月28日付で発行されました。1面は、今 平和を守りきるために 防衛ジャーナリスト・半田滋氏、「Happy Birthday 憲法」再開期待、九条噺、2面は、自衛隊明記・9条2項削除の改憲論 飯島滋明氏(名古屋学院大学教授)、言葉 「積極的平和主義」と「消極的平和主義」、お知らせ  です
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[本文から]

今、平和を守りきるために
防衛ジャーナリスト・半田滋氏




 5月20日に和歌山市の県立図書館メディアアートホールで、防衛ジャーナリスト半田滋氏が「敵基地攻撃と日米一体化、防衛費倍増は国民負担に」と題し、次のような講演をされました。
 岸田首相はこれまで自民党政権が出来なかった安全保障政策の大転換を開始した。安保3文書改定で、①敵基地攻撃能力保有を決め、先制攻撃が可能、自衛隊と米軍の一体化、②防衛力の抜本的強化のため、防衛費を5年でNATO並みの対GDP比2%、43兆円にと明記した。まさに180度の大転換だ。
 これまで敵基地攻撃能力は、安保3文書改定でも、攻撃できる対象、相手の「着手」について議論がまとまらなかった。
 安倍元首相は退任直前に「イージスアショアに代わる弾道ミサイル迎撃能力を」「迎撃だけでは不足、抑止力強化のため敵基地攻撃能力保有の政策を」と要求した。これが岸田首相の大転換のきっかけだ。それ以前も、18年「防衛大綱」「中期防」に「スタンド・オフ防衛能力の保有」、20年菅政権「12式地対艦誘導弾の長射程化」閣議決定等、敵基地攻撃は自民党の悲願だ。
 安保3文書改定で、「日米の基本的な役割分担は今後も変更はないが、我が国が反撃能力を保有することに伴い、弾道ミサイル等の対処と同様に、日米が共同して対処していくこととする」とした。日本が矛(攻撃)も盾(防衛)も持ち、日米共同対処に変わった。情報収集能力は米国にあるから米国の指示通りになる。例えば統合防空ミサイル防衛では、日米のシステム連結により、米国の指示通りに自衛隊が米国製のトマホークで敵基地攻撃する等。また、15年の安保法制に伴う「武力行使の3要件」の下で、米軍への攻撃を日本が存立危機事態と判断すれば相手国の基地を攻撃する先制攻撃になる。
 防衛力の抜本的強化の財源として、23年度は当初予算から「防衛費の相当な増額」を盛り込んだが、疑問の支出が多い。①憲法違反の攻撃型兵器がある。射程1千㎞を超える国産ミサイル、トマホーク、護衛艦「いずも」の空母化等、②米国の対外有償軍事援助(FMS)が防衛費を圧迫し増加している。旧式グロバルホーク、オスプレイ、洋上イージスなどは使えない。防衛財源は増税や国債に頼ることになる。巨額の国債発行が戦争拡大につながった反省を捨て、23年度防衛予算案で自衛隊の艦艇や施設建設に建設国債を充てるのは許せない。
 台湾有事の戦場は日本と台湾で、米国や中国ではない。対米支援するのは自滅を選ぶこと。平和は軍事力ではなく、武器を使わない命がけの外交で実現しなければならない。
 大量のスライドで分かりやすく説かれ、「命がけの外交」が印象的でした。(柏原)

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「Happy Birthday 憲法」再開期待

「Happy Birthday 憲法」は、14年5月以来毎年「憲法記念日」に開催されてきました。残念ながら20年から新型コロナウイルス感染症の拡大のため、中止となりました。是非早い再開を期待し、14年の会紙246号の記事をご紹介します。
246号→  http://9jowl.mikosi.com/kikansi4/kikansi246.htm



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【九条噺】

 若い頃レコードで親しんだロシア民謡をまた聴いてみたくなった。当時買ったレコードもプレーヤーも既に無い▼幸いデジタル化時代のおかげでインターネット動画から幾つか集まった。赤軍合唱団による「ヴォルガの舟歌」「カリンカ」「ステンカラージン」「カチューシャ」「黒い瞳」等は懐かしさ一杯だ。特にベリャーエフの「カリンカ」が良い。懐かしい声とともに映像も見られて感動した▼ところで、日本で言うロシア民謡は古来の民謡は少なく、ソ連時代以後の歌が多いと指摘される。例えば、好んで聴いた「前線にも春が来た」またの題「鶯(うぐいす)」は1944年公開の創作曲だ。この「鶯」は正確には、夜鳴き鶯(ナイチンゲール)を指す。作詞作曲は出来ていたが、戦時のため独ソ戦が落ち着いてから発表された▼歌詞は「春を告げる鶯よ、兵士が望郷で寝つけなくなるから、夜通し鳴かずに、眠らせてやれ」と始まり、兵士が妻や畑を思うこと、戦争が終わって帰れる希望等を織り込んでいる。曲調は静かな喜びがあふれ、流れる感じである▼半世紀前の昭和時代には、ダークダックスやうたごえ喫茶等を通じてロシア民謡が流行していたが、近年は興味を持つ人が少なくなった。国家の魅力が衰えた影響があろう▼素晴らしい芸術文化の国が何故、隣国を侵略し罪の無い民間人を殺傷できるのか理解し難い。デジタル化は生活向上に貢献する一方で兵器の高度化がある。戦争終結と平和のためのデジタル化を願う。(柏)

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自衛隊明記・9条2項削除の改憲論
飯島滋明氏(名古屋学院大学教授)




(1)自衛隊明記の改憲論
 日本が攻撃されてもいないのに、自衛隊が世界中で先に外国を攻撃するのを可能にする法制です。安倍元総理は「自衛隊を憲法に明記しても現状を認めるだけ」と発言してきました。「現状を認める」ということは、世界中での武力行使を可能にする「安保法制」を憲法的に認めることになります。
 実際に戦場に行かされる一般自衛官の多くは日本防衛に関係ない、海外での戦争で命を落とすことに納得していません。特に私が感じたのは、海外での戦争で自分が死ねば、残された家族、妻や子どもたちがどうなるかを本気で心配していました。
 「命を懸けて国を守る自衛隊の皆さんに対して誠に申し訳ない」(玉木雄一郎議員発言)などと、もっともらしいことを言いますが、心から「自衛隊員のため」と思うのであれば、世界中での自衛隊の武力行使を可能にする「安保法制」や「自衛隊明記の憲法改正」には賛成できないはずです。
(2)9条2項削除の改憲論
 最近、国民民主党の玉木代表は、憲法9条2項削除の検討を主張しています。
 「9条改正を検討するのであれば、情緒論ではなく理論的帰着として、戦力不保持を定めた9条2項を削除するか、残す場合でも、少なくとも9条2項の範囲内ではなく、例外として戦力の保持を正面から認める書き方にしないと、違憲論は消えません。さらに、国防規定が必要というのであれば、自衛隊を戦力として位置づけなくていいのか、この本質的な議論を避けるべきではないと考えます」。9条2項削除論は、自民党の「たたき台素案」以上に危険です。
 ①どのような兵器でも保有可能になる危険性
 日本国憲法9条2項では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定められています。9条2項で「戦力」を持つことが禁じられているため、歴代政府も自衛隊は「戦力に至らない自衛のための必要最小限度の実力」 にすぎないとの立場を採らざるを得ませんでした。自衛隊の装備は「専守防衛」に限定され、たとえば「爆撃機」 「航空母艦」などの保有は憲法上できないとされてきました。しかし憲法9条2項が削除されれば「戦力」の保有が禁止されないため、爆撃機であれ空母であれ、どのような兵器を保有しても「憲法違反」でなくなります。
 ②「侵略戦争」でなければどのような戦争でも参加が可能になる危険性
 次に、9条2項が削除されれば、侵略戦争でなければどのような戦争にでも参加できる可能性が生じます。
 歴代政府は自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」とせざるをえなかった結果、自衛隊は「自衛のため」の軍事行為しかできないとの立場を採らざるを得ませんでした。
 ところが9条2項が削除され、「戦力」の保持が憲法的にも認められれば、自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」とする必要もなくなります。その結果、「侵略戦争」でなければどのような戦争にも参加できるとの解釈を可能にする危険性が生じます。
 国民民主党の玉木代表が主張するように9条2項が削除されれば、集団的自衛権だけでなく、アフガニスタン戦争やイラク戦争のような、アメリカの戦争にも参戦できる可能性が生じます。
(3)9条2項削除論の危険性
 9条2項を削除すれば、自衛隊がどのような兵器を保有しても憲法上、認められることになります。さらに「戦力」の保有が認められれば、自衛隊が参加できる戦争の範囲が拡大する可能性があります。
 9条2項が削除されれば、こうした戦争で武力行使をしても憲法違反とは言えなくなる危険性があります。(戦争をさせない1000人委員会HPより)

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言葉 「積極的平和主義」と「消極的平和主義」

 大江健三郎氏は14年に「消極的平和主義」について語られました。その内容をご紹介します。
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 安倍首相の「積極的平和主義」は、憲法9条への根本的な挑戦だ。彼は、米国の戦争に参加するという立場に日本を変えようとして、「積極的平和主義」という言葉を作り出した。日本が集団的自衛権を行使できるという立場をとれば、米国の軍事行動には加わらないというふりを失うことになる。
 日本のこれまでのスタンスは、憲法第9条に基づく「消極的平和主義」だ。日本は、平和を維持するために戦うとは決して言わなかった。日本は「軍備を持たない、戦争はしない」と世界に言い続けてきた。つまり、平和という場所に立ち止まるという態度だ。尊重されるべき「消極的な平和主義」だ。
 「積極的な平和主義」は「消極的な戦争主義」になる。米国と戦場で肩を組んで行けば、「消極的」か「積極的」かは関係なくなってしまう。自衛隊員が一人でも殺されれば、自衛隊員が一人でも殺すことになれば、「消極的戦争主義」というフィクションはたちまち消えてしまう。憲法9条を残したまま日本はすっかり別の国になってしまう。後戻りはできない。それは明日にも現状になる。

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【お知らせ】

 前(481)号で「緊急事態条項は不必要だ」をご紹介しましたが、その内容に対して次の趣旨のご意見が届きました。
「緊急事態条項不要の理由として、『非常時に国家の機能を維持するという「公共の福祉」のために人権が制約される場合がある』とあるが、『公共の福祉』とは人権相互間の調整原理、即ち人権が制限されるのは他の人権と衝突した場合であり、それが明確ではない」
 ご意見は種々あり得るでしょうが、本紙として掲載している意見・論考の内容すべてに同意・不同意を議論の上掲載しているものでないことをご了承ください。

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(2023年5月27日入力)
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