4.
右の腰骨を鷲掴みにされて、本棚に縫いとめるような深いキスをした。
何度も角度を変えて。まるで映画に出て来るラブシーンみたいだ。
「は……」
継ぐ息に喘ぎが混じって。
自分を保ってられないほど、甘い疼きが背骨ごと蕩かす。
ともすれば腰が落ちそうで、縋るように背中に掻きついてしまった。
「ぁ……ふ」
また砂糖菓子みたいに、もろく崩れそうな声が漏れる。コントロールなんて利かない。
角度をつけた口づけを続けながら、濃紺のネルシャツのボタンを全て外され、落とされる。
それとともに、日常という名の結び目が解けてゆく。ロングスリーブのシャツを脱ぎ捨て、火村のセーターも取っ払う。
友人関係? そんなんもう、くそくらえや。
好きだと、告白してしまった、されてしまった。
あれだけお互いに妬いて妬いて、プラトニックで済むはずも無い。
抱きあいたい理由はそれで十分だ。
「ん、ぅ……ひむ……」
ゆるく腕を巻き付け、素肌に火村を迎え入れる。
待ちこがれていた重みに肌がざわめき、ごくりと喉が鳴る。体に触れたい。もっとダイレクトな感触が欲しい。
目を閉じたまま手探りで火村のジーンズを落とすと同時に、体を引き寄せられかき抱かれる。ぎゅっと拘束される感じは悪くなく、そのまま乱雑に敷かれた布団に誘い込む。
シーツの上で組んず解れつ、息があがるほど深く求めあって。
軽く弾んでいた互いのものは、あっという間にガチガチになっていた。
アリスの尻をかるく撫で、その手を前に滑らせた火村は2本を纏めて摺りたてはじめた。
こぼれた雫がぬるつき、例えようのない高揚感に頬がほてる。
「うわぁ、めちゃ………えろい」
「感心してんじゃねぇよ。余裕だな」
「そう簡単に、骨抜きにされてたまるか……ん」
「そんな意地、捨てろ」
右の脚を火村の腰に絡み付かせ、獣のように蠢かせると火村が切なく息をつくのを耳のすぐ側で感じた。
頭が沸騰していてこれが本当に現実なのかわからなくなる。
火村の首筋に腕を伸ばし、この快感が本物なのか確かめたくて聞いてみた。
「なぁ、君こんなんで、ええの?」
「そんなわけねぇだろ」
否定形をとった答えに一瞬胸が詰まった。
やっぱり男やしな………と思ったら、思いもしない力で耳を噛まれた。
がりっと軟骨に届くくらいの強さでしごかれ、痛さにすこし涙腺が緩む。
「もう、なにすんねん!」
抗議の視線を向けると、ジンジン熱を持ったそこを癒すようにしゃぶられる。
その真逆の感覚に翻弄という言葉が脳裏ではじけた。たまらない。歯茎まで疼いている気がする。
「末端が弱いね」
「ぁ、そこ………や」
「やめるか? それとも、こっちもか?」
逆の耳穴に唇が寄る。さっきので噛まれる感触を味わったから、あのゾクゾクがまた、と考える。神経がざわつく。
「いやや」
答えをぼかして拒絶してみる。
一瞬目が合った火村はとても楽しげだった。こいつ絶対サディスト。
「そんな顔されて、誰がやめるかって」
囁き声にさえ甘い戦慄が走る。
頭の中で現実と想像が絡み合ったせいか、やたら耳で感じていた。
散らそうとしても散らせない。火村に側頭部を押さえられて、まるで無防備なこともアリスを緊張させた。
歯が、歯が。
「ぁあ……ッ…あっあん!」
挟み込む前歯のタッチは花びらを噛むように柔らかいのに、火花を散らして背筋を流れ落ちる快感に腰をくねらせる。
尾てい骨にまで火が飛んで、下半身を突き抜けていった。
遠くの部屋には酔漢しか居らず、隣室が空っぽな事が幸いだ。
声が、あまりにも、いやらしい。
「……だめや、やばいって、おれ……」
「だめってなんだよそれ。やばくなってくれよ、おれら何やるんだ?」
低く笑いながらの問いかけ。
アリスが、すぐにイクのを耐えに耐え激しく息を付いていると、追う手を緩めた火村が立ち上がり、どこに仕舞っていたか知れないローションを手に取った。
「アリスの奥までいきたい。このまま眠るなんて無理----セックスしようぜ」
その息は熱く、ストレートに欲情を伝えてアリスの胸を焦がした。うっとり夢見心地というより、本能に火がつく感じ。
唾液をいっぱいに含んだ口が、立ち上がった膨らみに吸い付いた。
欲しかった所をぬるんとした柔らかい舌でこねられ、反対側も指で潰される。
「ひぃッ……あっ、ああ!」
「芯持って、こんな、クソ……ヤラシイんだよ。どういうことだ」
やらしいんはお前じゃ!
「なんなんや、っ、そ、そのいいぐさ」
「お前の天然は、計算じゃないのがこわいよ。魅かれっぱなしになる----ふらふらだ」
吸われて、舌でこね回されると、周囲の皮膚も熱を持ち腫れてゆくのがわかる。
連動するように、後ろの襞をなぞっていた指が、滑らかなタッチで少しずつ中まで入ってきた。
少しの違和感をキスでしのぐと、そこが柔らかく伸びてゆくのが分かる。
中でも快感を拾い始めて、急かすような収縮をしてしまうのがすごく恥ずかしい。自分の体なのに何もままならない。
蜜がどんどん下腹に流れ込み、内奥がぐ、っと重くなったような錯覚を起こす。
絶え間なく届く快美感に頭の芯が緩む。
「ひむ、ら、……っ」
「さっきから指が震えっぱなしだぜ……いいのか? 感じる?」
「アホか……。いい、なんて聞いて嬉しいか?」
そうして、また食われそうなキスをされる。じゅくじゅくと唾液が溢れてゆく。
「アリス、お前だから聞きたいんだよ」
軽く舌を齧られると、強く震えてしまう。
「やっぱり、どこもかしこも弱い」
「ふぁ!」
「ほら、こいよーーーむちゃくちゃになれ」
後ろがもうぐずぐずに溶かされて、皮膚感覚が常態じゃなくなっていた。
どこに触れられても感じる。
「あん、あぁ………おい……っ」
喉を鳴らした火村が、ぐちゅぐちゅになったそこに先端を押し当てた。
弾力はあれど固いものにこじ開けられ、背中が弓なりに反る。ローションを少しずつ流し込んでも、その口をつぐみ反射的に火村を排除しようとする。
強張るそこからアリスの意識をはがすように、火村は優しく髪を撫でてキスを施す。
アリスはあまりにも意外な火村の所作に心奪われて、気付いたら全部飲み込んでいた。
「はぁっ……はぁっ」
圧迫感に震えが止まらない。
英都校歌を絶唱する酔漢の声も遠く聞こえる。
「落ちてこいよ、アリス」
「あぅン……これっ、いじょ……どこまで」
墜落しろというのか。
苦しくて息もつけない。それでも確実に口の中は濡れて、甘い実を貪るような感覚が生まれる。
酸素を求めれば声が溢れ、喘ぎ、それも止めようがない。
ただ繋がっていたいだけだ。
その思いを遂げたいなら、素直になるしかない。
こんなことを胸に抱えて身のうちに男を受け入れている自分は、間違いなく恋している。
「やっ、ぁ……あぁっ…そんなっ----そこ……」
……俺、なんでこんなに好きなんや。
なんて熱くて、なんて危険なやつにハマってしもうたんやろ。
「お前、その目ヤバいよ。あの日もジェットコースター降りて、そのまんまヤリたかった」
「エロ、ガキ……!」
「そうやって、あんまり誘惑するな。大事に扱えるかどうか、自信----ないぞ」
中をかき回すストロークが早くなって、未知の感覚がますます差し迫ってきた。
激しさに狂いそうだ。見慣れた天井がぐるぐる回る錯覚を起こす。
ぶわっと鳥肌が立って背中がざわつくあの感覚。スピードという名の凶暴な力に重力がねじ伏せられるのに似ていて。
自分も知らない奥の方まで突かれて焦げ付きそうに熱い。
目の前の火村は眉根を寄せて苦しそうだ。
拙く、はしたない自分の後ろは、加減も知らず締め付けっぱなしになっている。
「ええの? なぁっ、ええんか?」
痛くはないかと聞いたつもりが、口にすればなんだか猥雑なだけの言葉が飛び出た。
火村が背中を丸め切なげに呻き、答えのかわりに敏感な所をひと突きしてきた。アリスは取り繕う事も出来ず仰け反る。
「----いい……全部、いい」
「ひぅっ、あっ、あっ、ああ…ん」
突かれる内壁は熱く、舌もとろっとろに崩れ落ちた。
言葉なんか言葉なんか意味ない。
この思いは言い尽くせない。
「アリス、アリスーーー」
「あ! あ! も、いく……ぅ」
そう思った瞬間、めいっぱい溜まっていたぎちぎちの蜜層がはぜた。
*
火村は、『六甲アンリミテッドランド』で手錠を掛けるゲームをした時から、シルバーの時計が無い事が気になっていたという。
麻雀大会をした日より数えて7日後に遊園地に行ったわけだが、その間は火村の前で時計を見る動きを必要とせず、彼もあるべきものが無いことに気付かなかったという。
なぜなら、その数日は立ち話ばかりでジャケットを脱ぐ事が無く、しかもいつも時計が見える外の喫煙コーナーでの立ち話だったからだ。
金属製のバンドはアリスの手首には緩く、しょっちゅう袖口に埋もれていたから、フェイスが見えなくても不審に思わなかったらしい。
「つかどんだけヒトの事見てる」
「妬くなよ。アリスだけだ」
「……うどん食いながらそんなん囁かれてもな」
夕食をとるのもすっ飛ばしてセックスに溺れていた二人だが、日付が変わる頃にようやくヒトとしての理性を取り戻し、栄養の欠乏に気付いた。
こそこそとシャワーを使い行為の痕跡を消してから、自炊する事を放棄した火村と二人、深夜営業のうどん屋にてかやくうどんを啜っているところである。
「あの日の夜、京田辺で時計を見つけたんか」
「そう。いやらしくもベッドサイドに置いてたぞ」
「まさか一緒に寝たんか?」
「……やめてくれ。ありえねぇ」
遊園地の帰り、火村を京田辺の別邸に招いた青葉が、飲んでいる時にアリスの時計を見つけた火村に「寝た」と言ったらしい。
翌日の青葉と火村を思いだして、顔が燃えそうに熱くなった。
あの時から火村の中で、青葉と自分はそういう関係だと思われていたわけだ。
「ベッドねぇ。火村の事よっぽどからかいたかったんやな」
「青葉のやつ、今度会ったら泣かせてやろうぜ」
火村は拳をぼきぼき鳴らした。
いや君がやったら殺傷沙汰になるから。
「暴力反対や。頭脳戦で行け英都の星」
「当然。お前が無理矢理されてたんなら話は別だったけどな」
火村の声から、少し本気が滲んでいる。
拳を使う行動には問題有りだが、気持ち的に込み上げるものはある。
だがアリスにも譲れないことがあるのだ。アホ、と一言ぶつけてやった。
「その時は俺に殴らせろよ。お前の出番はあれへん」
「あの図体、お前のパンチじゃきかねぇぞ」
そんな憎まれ口を叩くので、火村の丼の肉をひとつかみしてやった。そういえば聞きそびれていた事があった。
「なぁ、火村。お前なんつって時計を奪ってきたんや?」
青葉から、アリスはセックスフレンドであるという話(嘘だが)を聞いた上で、どんな言葉を使って腕時計を手に入れたのか。
青葉の虚構の上とはいえ、その時は青葉とアリスの関係を隠喩しているそれを、第三者の火村が手にするのは、はっきり言って間男的な行動ではなかろうか。
と言うと、
「青葉は俺の気持ちなんかお見通しだったのさ。だから話は簡単だ。アリス、時計はベッドサイドにあった。どこにも仕舞われず、青葉の所有物でもなく、『忘れ物』としてそこにあった」
さぁどうだと、目の前で答えを伏せられた。
これしきのこと、分からないアリスではない。
「だからーーーお前はサクッと盗って来たんやな?」
「スティールではなくピックアップだ。かくして時計はお前の腕に返った。問題はなにもない」
聞きながら丼の底をさらっていると、嫌な事を思いついた。
「実は青葉とお前が仕組んだ遊び、というオチは無いか?」
「それこそ、ねぇよ」
火村にしては珍しく、水たまりにはまってしまった子供のように情けない表情をした。
*
帰り道は夜道に紛れて手を繋いだ。
手のひらをあわせる。それだけで優しさを伝えあえるような季節だ。
火村の右手に、自分の左手を絡めたら、『ムーンソルトエクストリーム』に乗った日の事を思いだした。
この手首にはオモチャの手錠のかわりに、シルバーの時計が嵌っている。
火村の手は今夜も少しかさついているが、あの時よりずっと温かい。
彼との間に沈黙が落ちても、横目で見たりしなくていい。
花々に彩られた道じゃなく、一寸先も見えないほど暗い道でもいい。
いまこの瞬間、ジェットコースターよりも速く心臓を締め付け、心と体を攫い、頬を火照らせる感情が走り出した。
でもあの時より、ずっと怖い。
『好き』という名の、脆い鎖の手錠で結ばれて、レールの無い道を行くのだから。
手のひらをあわせる。
優しさは伝わる。
それだけは信じられる。
体の奥底から湧いてくる無限のエネルギィが、見えないものを引き寄せる。
「----火村」
だから何度でも、「好きや」と果無くも確かな言葉を紡ぐことができる。
(了)
2007/12/26
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