■似而非SFです。平行世界ものですが、設定は現代、英都大周辺を舞台にしてます。宇宙船でません、特殊能力もなしです。
■オリキャラがふたりに絡みます。痛くない範囲ぎりぎりで。いや安全マージン多めか?(弱腰!)
■ハピエンだけはお約束します。力の及ぶ限り。







願うすべて







1.


なぜか大漁旗やブイがぶら下がる大衆居酒屋の一角。
熱のこもった会話を繰り広げる一団の真ん中寄りに、アリスは座らされていた。
関西圏にある大学の、推理小説研究会に所属する卒業生を中心として企画された『お別れコンパ』は、敷居や床の間に尻を乗せねばならないほど集まりが良かった。

それぞれ就職で四方八方に居を移ることになるから、今しばらくの別れを惜しんでのことだ。
「また飲もう」という言葉が、心の内とは裏腹に社交辞令と化してしまう日も現実に迫る。
どんなに交通手段が発達し、通信が自在になろうとも、目の前で進行する仕事や生活に添って生きてゆく以上、時間と体力は限られている。
そして人生を逆戻りすることはできない。

緊密にクロスオーバーしていた関係が、所属場所を変えることで緩んでしまうのは当然の流れだから恐れることはない。
ここに集まった人間の関係は、何年経ってもコアの部分で何も変わらないだろうと、楽観的に別れを受け止めていた。
しかし、考えてしまう。

「じゃあ、綾瀬は院に行きながら書くのか?」
「まぁ、当面そうなるよ。ここまで来たら、さすがに投げ出せないし」
「研究投げても本格投げるなよ? おれがデビューする日のために先陣切ってくれ」
「『新』本格やぞ、田村。青洋社社員とあろうもんが、ジャンル間違おうたらアカンよなあ?」

生粋の山口県人である嶋の、気が抜けた関西弁が妙におかしいが、それも今夜ばかりは耳に響かなかった。
なぜなのか自覚したくもないが、-------つまり焦っているのだ。
大学1年の時に『こいつできる』と、認めあった相手に先を越されてしまったために。

話題の中心にいる綾瀬真尋は、先ほどから卑下もなく驕りもなく、流れに身を任せるように泰然とこれからのことをポツポツ口にしていた。
彼はこの春、K大学文学部から院に籍を移し研究を始めると同時に、推理作家としての活動をスタートするという。
アリスが大学4年間を通じて狙っていた新人賞を突破して、正門から憧れ続けたかの地に踏み出してゆく彼のことを思うと、胸が騒ぎ出しやたらと喉が渇いてくる。

いつだって彼は議論を飽きさせなかった。
舌を巻くほど頭が良いのだ。自分の身近にもうひとり恐ろしく頭の回る男がいるが、綾瀬は彼と違い、清潔感があって人好きのする雰囲気をまとっている。
綾瀬が評価されると、自分のことのようにうれしく思う。
世に出るべくして出たのだ。この手の本格を渇望しているファンには、非常に歓迎されることだろう。

しかし、悔しい。
実力は拮抗していたという自負が、やはり心の中にあるからだ。
その新人賞には、純粋なロジックによる謎解きメインの本格を同じく応募していた。親交のある先輩作家は評価してくれていたが、アリスの作品が活字になることはなかった。

なぜだろう、という思いが胸にくすぶる。
なにが合格ラインから外れていたのか。
ロジック? 文才? 時代性なのか? 
あと1歩のラインをどこで引かれたのか。その答えは、いまは見えてこない。
この言葉にできない未消化な感情を飲み干すように、アリスは次々と酒杯を空けた。










ミントキャンディのように鋭く突き抜ける冷たさが、いく筋か風に溶け込んでいる。
けれど、晴天。降り注ぐ日差しはやわらかい。
桜並木が重たげに幾百もの花を揺らして、得難い日々の終わりを見つめていた。

アリスの両親は美しいと評判の桜並木を背景に、息子の写真を撮りまくって早々に帰った。
卒業祝い兼就職祝いは、先週アリスお気に入りの寿司屋ですませているからだ。
今日の夜は、ゼミ生が集まって最後のコンパをする。
それまであと5時間、さてどうしようか。着飾った同輩でごった返す中庭を歩いていると、ぽかりと後頭部にかるい打撃音を受けた。
ゴムボールより柔な感触なのに、くらりとしてこめかみを押さえる。

「あうぅ…」
「アリス? おいおい大げさだな」

背後から証書ケースで不意打ちを食らわせたのは、司法試験突破をやってのけた法学部の秀才に、首席卒業の座を譲った社会学部の俊才だった。
いいや奇才だろう、と言い張るのはアリスひとりだけ。本人は、正統派のガリ勉だろうとうそぶく。

「やめて。軽い気持ちでもやめて火村。おれ二日酔いやねん」
「珍しい、このザルが。昨日飲み過ぎたのか?」
「ああ。日本酒がきいたみたいや」
「夜は行くんだろ、飲み会。俺も今日はさすがに引っ張って行かれるから、うちを当てにするなよ?」

隣に並んだ友人が身に付けているのは黒に近いグレーのスーツに、ひねりのない白いシャツと光沢のあるネイビーのネクタイ。
ラズベリーピンクのシャツや派手なシルエットのスーツの中では、火村の選択は至って地味だが、連れ立って歩いているとわかる。目立っている。
「いっしょに写って!」と声をかけられる回数の多いことといったらどうだ。
それをザクザク断ってゆく手際の良さに感心する。
カメラを向けられるのが嫌い、なんて理由はひねりがなさ過ぎでがっかりだが。

「今夜は朝まで飲む、っていう誓いを立ててんねん。真夜中、立て付けの悪い戸を開ける真似は、したくてもできん」
「お前相手に朝まで飲むなんて、よっぽど二日酔いが恐くないんだな。誰だ? 酒に飲まれたい無謀な人間は」
「喜瀬と藤巻と白川と青葉と坂本と長崎と小松とえーと」
「わかった。いつもの連中だな」

火村は式の名残を惜しむこともなく、混雑をかいくぐり裏門方面へと歩を進める。
見渡せば、友との別れを惜しんでおしゃべりに興じる同輩が其処ここにいるというのに。

「おーい、有栖川、火村」

スーツの群れの中から、めかしこんだ男が手を振っている。たったひとつ単位が足りなかったために、1留決定した青葉だ。
ふたりの方へ駆け寄ってくる。その勢いで三つ編みにされている長い後ろ髪が尻尾みたいにはねた。
ショートへアの襟足に後付けしたみたいで、いつ見ても妙な髪型だ。

「おまえ、留年やないんか?」
「そうだよ。しかし、卒業式とは学位授与のみにあらず。それぞれの道を行く友を見送る儀式なんだぜ。知ってた?」
「とりあえず見送る立場っちゅうことはわかっとるんやな。知らんかった」
「有栖川……おまえの可愛い毒舌が好きだった。元気でな」
「おまえのアホみたいな突破力はええ味出しとった。最後の最後であかんかったけど、まぁがんばれや」

彼はたった4単位もぎ取れなかったために、1年を棒に振ることが決定していた。
この事態を悲劇的と考えない底抜け男は、日本人離れした仕草でアリスをぎゅうと抱きしめる。やたら背が高いので、ちょうど肩に口元が埋まってしまい息苦しい。
ぶは、と顎を上げ、アリスも芝居めかして抱擁を返す。

「俺に別れのハグは不要だからな。また4月からここに来る」

こういうノリがいつまでたっても好きじゃないらしい火村が、青葉のしっぽを引っ張りながら先制して断りを入れる。
そんなに引くと痛いんじゃなかろうかとアリスは思う。青葉ものけぞってるではないか。

「いててっ。火村のサド! いいカメラを借りられたから、せっかく記念撮影して差し上げようかと引き止めたのに、ひでぇな」
「妙な尊敬語を使うなっての。あいにくカメラは嫌いなんだ」
「じゃあ有栖川だけでも、被写体になってよ」

急に矛先を向けられる。被写体だなんてモデルみたいで気恥ずかしい。

「ええ? 俺が?」
「もーこれがヤバいくらい上等のレンズでさ、撮りたくてしょうがないんだ。写真は手で焼いて送る。そこいらの写真屋なんか目じゃないハイクオリティ、保証しまっせ?」

と、やたら熱心にアリスを口説くので、アリスの方も「まぁ照れくさいが卒業記念だし、著者近影の練習と思ってカメラ慣れするのに丁度いいかな」と他人が聞いたら呆れそうな野望に動かされ、指定された桜の木の下に立つ。
すると「気が変わった」と火村がやってきて、アリスの隣に身を置いた。

「舌の根も乾かぬうちにどういうこっちゃ」
「アリスとのツーショットなら、後々妙なサイドビジネスに使われたりしないと思って」
「……あのー微妙に失礼なんですけど?」

ピンだとブロマイドになるってか。それを自分で言うところに呆れる。
まあいい。記念写真らしいものが、この男にも1枚くらいあってもいいだろう。
アリスは、後々火村だけをトリミングできないようにずいずいと接近してやった。
髪をひっぱられた青葉も気を悪くするどころかポーズまで要求して、なんだかんだで7回くらいシャッターを切っていた。

青葉の写真を受け取るのは、早くて5月頭。
その頃には、このスーツもくたびれているかもしれない。
写真と同じ表情の自分にはもう巡り会わないのだな、と思うと少し感慨深くもなる。

4月がくれば何が変わるのか。
いや、実際のところ何も変わらないと思う。
新しいことは好きだ、まだ見ぬ世界を知りたい、なんだって吸収したい。
自分はどこに行っても自分だ。
しかし、周囲が変化することに、時々煩わしさを感じたりする
それもまた、自分が何ひとつ変わらない故にか。

晴れやかな一群が桜と共に、美しい季節の始まりへ踏み出してゆく。
彼ら彼女らのすべてが、等しく希望ある未来を約束されたわけではないが、卒業という形骸化した儀式にもそれなりの呪力がまだあるようで、一様に笑顔を輝かせている。
アリスはふと、隣を行く男に尋ねた。

「火村、おまえちっとはカメラに向こうて笑うたか?」

おまえにとって卒業とは、なんて聞く気にもなれないけれど、校舎全体を包むやわらかな気配をどう受け止めているのだろうか。
アリスは正直なところ、浮かれ気分にはなりきれなかった。
もし、時間が逆戻りするならやり直したい。
在学中からプロ活動をはじめたかった。
可能性が潰えてからは「夢見がちだった」と飲み込んだ何もかもが喉元までせりあがる。
目に映るものがあまりにも綺麗すぎるから。
火村はネクタイをだらしなく緩めながら、

「ひみつだ」

と、現像されればすぐバレるようなことを黙秘した。





                                                                                                                                                                                                                                         
夜は教授を巻き込んで、あきれるほど飲んで騒いだ。ソメイヨシノの狂気が伝染したのだろうか。
それまで趣味の話などしたことのない相手と、洋楽ロックの濃い話でいきなり意気投合したりして。
これが最初で最後だからこそ、後々忘れられない思い出になるのか。
二次会を終え、夜明けの立ち食いうどんを誓い合った猛者達が次ぎなる店を求めて、肩を組んで歩く。
アリスもその端にいた。
誰が先導なのか全く判然としないが、とにかく案内されるままに着いてゆく。

「おれちょっと、シッコ」

と言ってアリスの肩にまわしていた腕を外し、公衆トイレに駆け込んでいったのは、坂本か。
視界が狭くなっていて、後ろ姿をすぐ見失う。
二日酔いが直ったと思って、油断して飲んだら祟られた。
さっきの店で目が回って、おもわず火村を頼ろうとしたが、「本日不在」を思い出し公衆電話から手を離した。
終電なんかとっくに行ってしまっているし。
ならもう行き着くところまで行ってしまえー、という心境だ。

ふらつく頭をようよう支えて、アリスは坂本を待っていたが、なかなか出てこない。
酔っ払いの集団は先へとずんずん進んでいる。
街灯の乏しい通りだ。アリスは見失ってはまずいなと思い、とりあえず行き先だけでも聞いておこうと2歩3歩ヨタヨタと小走りになったところで、突然体が宙に浮いた。

飛んだわけではない。転倒でもない。
道のど真ん中に、ぽっかり口を開けていた大穴の真上に躍りこんだ、というのが正しい。
アリスは足下が全くなくなった瞬間、一気に目が覚めたのだが時既に遅しだ。
叫ぶことさえ出来ずに、吸い込まれるように落下していくのを感じた。

(うそだろう……!?)

すぐに地面に激突しないことを肌で悟って絶望した。穴は深い。

(死んでしまう。)


こんなことなら、こんなことなら、こんなことなら!!
なにを犠牲にしてでも、夢を追いかけたかった!


走馬灯なんか駆け巡らない、ただただ後悔の念が脳裏を駆け巡る。

落ちてゆく。

まだ、穴の途中。

突然ふっと重力がなくなった。
夢とうつつの境も分からないまま、桜色の幻が渦巻いてアリスの意識を襲った。
ああ、気を失っているんだ。
と頭の何処かで呟きながら、それすらも闇に塗りつぶされてゆく。

遠く、玲瓏な鈴の音だけが、つめたい黒一色の中でかろやかに響いた。















リ…………リリ……リリリリリ……リリリリリリリ


微かなベル音が意識のドアをノックしていたと思っていたら、先に聴覚が目覚めて、耳をつんざく音を拾い上げてしまった。
まだ言うことを聞かない腕を振り上げ目覚ましを止める。というか叩く。
そのまま寝ようとしたら、ノックオンと同時にドアが軽い音をたてて開かれ、母親が部屋の外から何事か行アリスに呼びかけている。

「有栖、有栖。今日早いんやろ、いつまで寝てん。ちゃっちゃと起きや」
「う〜」

早い?
回らない寝ぼけた頭で、今日の予定を引っ張り出そうとする。
昨日卒業式やったから、今日はなんも無いはずやけど……?

桜のイメージが過る。

ハッとして、目を覚ます。
昨夜自分はどこかの穴にコケたはずだが、そこから先の記憶がない。
したたか酔っていたが、記憶は飛んでいない。なのに、夜明けのうどんを食べた記憶もない。
そもそもどうやって京都から家まで帰ってきて、パジャマまで着て寝たのか、全然憶えてないのだ。

目を開いて手のひらを見る、二の腕を触る。異常なし。
ベッドの上に起き上がって、体のどこにも痣がないことを確認して首をひねった。
深い穴だと思ったが、実は浅かったのか?
もしくは単純に寝落ちか?

ベッドから足を下ろして、ふと、違和感に気付く。
実家の自分の部屋は、来週の引っ越しを控えてそこいら段ボールだらけだったはずなのに、物が全部梱包前の状態に戻されている。
あれれ? と、もう一度首を傾げた。
どうなってるんだ。誰がなんだって、こんなことを。
階下に行って、リビングでお茶している母に尋ねる。

「お母さん、なんで俺の荷物解いてんの?」
「はぁ? 何の話。有栖の荷物なんてさわってへんよ」
「だって荷造りしとったのに、ぜんぶパァになっとるで」
「知らんって、そんなん。それよりええの? ここ7時半に出ぇへんと、お昼前の授業に間に合わんやろ。はよご飯たべ」

なんだって? 新社会人に向かって授業とは、何を母は勘違いしているのだろう。
ため息をついてテレビに視線を泳がせると、ちょっと前まで某局の朝の顔だったおねえさんが座って、明るく言った。

「5月7日、きょうの取って出しニュースはこちら!」
「うそーっ!」
「ヒッ! なんやの有栖っ。そない驚くほどのニュースかいな?」
「ご、ごめん、ちゃうねん。おどかしてごめん」

5がつ7か。ごがつなのか。

耳を疑ってテレビ画面を凝視すると、そこに映るカレンダーは確かにMAYとあった。

バカな。

母は息子の奇態を不審そうに眺めながら、お茶をすすっている。
今見ているのはライブ映像であり、当然ビデオデッキも稼働していない。
アリスは血の気が引く音というものを、久しぶりに聞いた。
直近の記憶だと、たしか火村が……ってそういう回想している場合ではなく。
なにも口に出せずに、逃げるように自室へと戻る。

そうして恐る恐る見た部屋のカレンダーは、とっくに捨てたはずのものが下がっているではないか。
ぞぞーっとしてへたり込む。
心霊体験を笑い飛ばし、SF本格推理オカルトエトセトラで育ったアリスといえど、世界が狂ったとしか思えない現象に頭を抱えた。

通学鞄や机の引き出しを軒並み浚う。
自分の持ち物から、今が大学2年の春ということが立証されていくにつれ、昨日の卒業式の記憶がまるで夢だったように思えてしまう。
ああこれが人の防衛規制というものだろうか。自分を守るためなら何だって忘れていこうとする。

(案外パニックできないものだな。)

とはいえ、この日は事実確認だけでグッタリして、勇気を振り絞って大学に足を運ぶ気にはなれなかった。





この夜、辻褄のあわない会話を展開したアリスを面白がって、母が父に朝のことを話していた。
父は、最初は笑っていたが、だんだん思うところがでてきたのか「有栖。なにがあってもおまえを認めるから、なんでも話せよ?約束やで」と、やんわり真綿で囲われるような言葉を引き出してしまった。

いや、さすがに「お宅の息子さんは、『未来』からやってきた22歳の有栖川有栖かもしれませんよ」なんて言ったら、即監視付きの病室をあてがわれてしまう。

街にも出て、うろうろとこの世界がどうなってるのか確認したので、すっかり体が疲れてしまった。
元来神経は図太い方だ。睡眠欲の促すままベッドに潜り込んだアリスは、唐突に、あの尖った横顔を思い出してハッとする。

そういえば今日は、火村と初めて出会った日だった。
書きかけの推理小説を読ませてやって、学食でカレーをおごってもらったアリスは、それ以後会えばなんとなく話すようになっていった。
毎日顔を合わせるまで、たいして時間がかからなかった気もする。

本当だったら、今日出会うはずだった2回生の火村と自分は、また友人関係を結べるのだろうか。

卒業までアリスが歩んだレールから外れて、『この世界』の時間が滑り出してしまっているのだ。
アリスが卒業まで過ごした日々は、この世界で再現されるのだろうか?
ああ、すでにひとつ駄目にしてしまったな、と思ったところでまぶたが落ちた。




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