*御手洗さんいます。パラレル設定。





epilogue


















「キヨシ、君にはGPS、電子ロック付きの鎖を付けておきたいね」
「電子ロック? 絹のリボンをかけてくれるようなもんだね、ドクター。すぐに解けちまう」
「いつ飛び出したか知るにはちょうどいいんだよ。いやむしろ認証系のチップをねじ込んでやろうか?」
「君はドミトリーの寮長みたいだね! 何時に何処へ出かけるのか、いちいち登録しなさいってね」

『君』呼ばわりされているドクターは、見た目はミタライよりずっと年嵩だったが、実年齢はずっと若い。

超光速航行の実験と、身体の再構築を繰り返しているミタライは機関の名だたるドクター達の中でも、異色の存在だった。
遺伝子操作による人工生殖を政府からもすすめられているが、「死後にしてくれ」と言ったきり、50年前から頑として首を縦に振らない。

スカンジナビア上空で旅客機もろとも消失した恋人を、二百年前から探し続けているせいだ、と尤もらしく噂されている。
この噂には、首を縦にも横にも振らなかった。

「ドクター・ハインリヒ?」

ナースが長すぎる面会を嗜めるように、モニタを使ってミタライの親友を呼んだ。
ミタライは、厳密には集中治療中なのである。

「わかってるよ、君の仕事の邪魔はしないさ。ナイヤ。じゃ、これで失礼するよ。キヨシ、金輪際、」
「いちどきに、二つも『ホール』を作らない、だね? あんまり口酸っぱいのも、じいさんみたいだぜ」
「だれ、の、せい、だ? そうそう、医療班が観察したところ、一か月冷凍漬けにされてた若い方のアリス君は、滞りなく『あっちの世界』で生活できてるそうだよ。辻褄が合ってよかったな」

ハインリヒのしかめ面を残して、静かに自動ドアは閉まった。
受けたミタライも、苦いものを飲まされたような顔だった。















いま自分が生きている、と思っている世界。
それは、二択、四択(いやもっと大きな数かもしれない)で示される分岐点で「こちら」と幾億回選び、駒を進め続けた結果に過ぎないかもしれない。

5月7日、親族法に出るか、出ないか。
二択に答え損ねたせいで、運命が大きく分かれてしまうことを知った。

あの世界で乱歩賞に応募したこと。

それから、ミタライという男のもとを訪ねたことも、大きな分かれ道だったに違いない。
戻ってこなければ、ここで人を待つこともなかっただろう。

ひとりは十四年来付き合いのある男、もうひとりはミタライが『よろしく』と言っていた人。

この人は、奇しくも同業の先輩だった。
この世界のミタライにも会ってみたかったけれど、彼は数年前この町を出たきりらしい。

「………アリス。その顔直せ」
「来て早々にえらい言い様やな。ここの飲み代、君につけたってもええんやぞ」
「冗談。優雅な作家先生のおごりでなくて、誰が」

こんなお高いバーに来るか、という言葉は飲み込んだらしい。
しかし、ぐっと体を近付けてこんなことは言うのだ。

「自分の世界に没入してますって顔は、うかうか人様に見せるなって言っただろ」
「新幹線が止まっても、作家の発想力は止められるもんやない。そのとき俺がどんな顔しとっても構うな」

こんな失礼なことをしゃあしゃあと言う同じ口で、昨日はあんなことをしとったくせに。三十路を超えて、ますます役者ぶりに拍車がかかってきた。       
さっきまで考えてたのは、他ならぬ君のことだというのに。
火村が私に向ける眼差しは、14年経っても本質のところが変わらない。
冗談も、本気も、嘘さえひっくるめて。

「走りたい時に止まってたりもするけどな」
「余計なお世話や」
「石岡さんは?」
「ん。もうすぐ来るんやないかな。さっきメール来たから」

見えない電波を追うように、大きく切り取られた窓へ視線を移す。
みなとみらいから遥か彼方の岸辺を望む夜景は、都会の宝石箱だ。
宵闇がガラスを鏡に変えて、この上なく豪奢な一枚の絵のなかに二人は浮かんでいた。
それなりに、この贅沢が様になっているんじゃないだろうか。

12年の歳月が流れ、彼は母校の教員になり、私は作家として中堅どころと呼ばれつつあった。

ひとつひとつ、描いた未来に近付いている。
あの『タイムスリップ』としか言い様がない一月とちょっとの夢物語は、感情面では色が抜けながらも、出来事の輪郭が消えてなくなるということはなかった。

20歳の時間に戻って、当然のように求めたのは作家への道。

そして気付かされた。友人の存在がどれだけのものだったか。

どんな場面においても、自分が一番何を求めているのかなんて、知り尽くしている人間なんているだろうか。
自分が特別愚かなのではなく、誰だって、本当の所を分かっちゃいないはずだ。
どこかで選択を間違いながら駒を進めている。
傷付いて、迷って、ときどき報われないことがあっても時間は前にしか進まないから。

だからこそ、ひとを見つめていたい。
住む世界に光を見たい、気分の塞ぐような事だけに囚われたくない。

そして自分の中の暖かい気持ちが自然に湧く時、分岐点を進んで行ったら、ほかの願いも叶えられてゆくらしいよと先輩作家が言っていた。
彼は、とても敏感な人で、とても優しく、臆病そうにしているが本当は真に勇気のある人だ。
ある日、日本を出ていった同居人との繋がりを持ち続けられる、強い人でもある。
どんなに時間がかかっても、本当に欲するものがあれば手に入れる努力を重ねられるはずで。
だから、年若い友人に手を引っ張られながら、NOVA通いを続けている。

なんだって遅すぎるということはない。
でも、一秒でも早く成果を得たいなら………やはり前に進むしかないのだ。

「またその顔……」
「火村その目はなんや、正気を保ってくれ。そうそう、短気な君にぴったりの魔法の呪文があるぞ。これを唱えれば、俺が脳内でいくらトリップしても気にならなくなる」
「お前の正気を疑いたいね」
「まあ聞け」





不思議の言葉が誰にも聞こえないように、彼の耳元を手のひらで囲み唱える。

『平行世界に居るどの火村より、ここにおる君が好きや』

案の定、彼は複雑な顔をした。





『あの世界』で出会った火村の幸せまで私は祈ったりしない。

幾億の分岐点を通過し続けた先の先、『この世界』を生きている私たちが一番幸せでありますように。











ここまでお読み頂きありがとうございます。深謝。

ほんとに長らくお待たせいたしました。5月7日記念日に寄せて。

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