■17000hit草野伊織様リクエスト『火村が(天然で無邪気な)アリスを苦労して苦労して苦労して落とす!』話
■学生時代ヒムアリです。アリス視点。出会いが原作と異なります、ご了承くださいませ。
■オリキャラ登場します。
■時代はミレニアム以降に設定しております…パラレルですの…。
シュガーレイズド
1.
バイトの分際でエラそうや。
それが火村に抱いた第一印象だった。
京都河原町。
市内一の繁華街として栄え、古き良き名店から学生向けの現代的なショップが建ち並んでいる。
人が集まる場所に飲み屋あり。僕は先月から、とあるビルの2階にあるダイニングバーでアルバイトを始めた。
サークルに顔を出した後の、ちょうどいい時間に仕事を入れられるからだ。
大学生活も2年目になれば必修もやや減るし、遠距離通学にも慣れてくる。友人関係も広がり遊びにお金がいるので、皆バイトに向かった。僕もご多分に漏れず、といったところである。
この仕事場は家庭的な雰囲気で、人に恵まれてるなぁと思う。
……謎の多いアルバイター、火村を除いての話だが。
「火村君は個人プレーヤーなんや」
美味そうに煙草を燻らせながら、古参の厨房スタッフである鈴木さんが言うのを聞いて僕はビックリした。しょっちゅう火村に注文つけられているから、絶対ムカついてると思ってたのに。
それが顔に出てたのか、
「そら、『このこわっぱ!』思うけんど使える男やしなぁ。恐ろしく物覚えがええから、おってくれたら助かる」
と、古参に余裕の笑みを向けられた。
ここは厨房とフロアの間にある配膳室。
僕は閉店後帰りもせず、宴会客が大量に残していったフライ盛り合わせを摘みながら、雑談の輪に加わっていた。
いつも開かれるものではない。
客が早くから引けたときなどは閉店後も余裕があるので、店長が率先して「飲もう」と言ってくれた時だけだ。飲むのはビールではなく煎茶だが。
火村はこうした雑談には一切加わらない。
だから、3ヶ月顔を合わせていても彼のことは殆ど知らない。
店長から聞くまで、僕と同じ英都大学2回生ということすらわからなかった。
「鈴木さんの言う通りやなぁ。彼は独自のこだわりを持ってるから、ちょっとうるさいかもしれへんけど。
ま、若いうちはええやろ」
「でも店長、あいつ協調性無いですよ。仲間意識もない。あるのは思い上がりだけッス」
店長の本所さんまで火村をかばうので、フロアの中田君は面白くないらしい。色素を抜いた彼の髪は、干し草のように明るくひよこのようにほわほわだ。それを揺らしまだ抗議している。
「----ですよ? 自分でやれっつーことを、すぐ投げてくるし」と湯のみをがっと煽ってまだ吠えた。カテキンのリラックス効果も今の彼には無益らしい。
中田君の不満については、僕も共感できる。
おそらく、意思疎通なく指図されるのが気に入らないのだ。
火村が見せている態度は、他人に理解されることを求めていない。人となりが読めない。
そのくせ有能となれば、自尊心のある人間にしてみれば脅威に感じられる。火村が動けば動くほど癇に障って、攻撃したくなるのだろう。いずれも些細なことだが。
総じて忠実な仕事ぶりには恐れ入るが、素直に賞賛を口にするのはためらわれる男。
つまり、ちょっと浮いているのだ。
根っから厭な男じゃないかもしれない、と10%の良心を胸に僕も愚痴をいう。態度の見せ方は問題だと、常々不満に思っていた。
たまにお盆で引っ叩きたくなる瞬間もある。しないけど。
内面に少々バイオレンスな妄想を抱いている僕なのだが、外から見れば意外なようで。
「だろ!」とエビのタルタルを頬張りながら、中田君が嬉しげに身を乗り出してきた。乗せるつもりはなかった。むしろ僕が尻馬に乗っている。
負け犬の遠吠え大会になりそうな僕らを本所さんが往なした。
「うん、若いうちはやり合ってもええんやない? 皿洗い勝負とか歓迎や」
「店長〜、また『若いうちは』ですか。まだ34やないですか〜」
「気分は君らのお父さんやから。三本の矢の話をしたいくらいやぞ」
「そら30代にしては渋い趣味や、本所くん。俺50代やけど、そんな辛気くさい話せぇへん」
鈴木さんが豪快に笑う。
確かに年寄りじみた話が大好きな本所さんだが、「お父さん」というより、気配りに長けた親戚のお兄さんのように思える。つい傍に寄って、話に耳を傾けたくなるのだ。
イライラテンションだった中田君の眉間からも皺が取れている。
その夜は、ほこほこした気分で帰ることができた。
翌日、スケジュールに挟んであるシフト表を見て、軽く溜め息がでた。
今週土曜のランチタイムは、火村と一緒だ。
*
そして土曜。
ランチタイムに入るのは初めてだったので、僕は始終右往左往した。
客の回転の速さに焦ってばかりだったが、スーパーアルバイター火村の言われるままに動いていたら、事もなく3時を迎える事ができた。
悔しい。
お客さんは気持ちよく食事を楽しんでいったのに、僕はいいようのない敗北感を感じていた。
火村批判をしたくせにこの態じゃ、本当に負け犬だ。たかがバイト、されどバイト。
バックルームのソファでがっくり首を垂れていると、火村が入ってきた。
その手には丼の乗ったトレイがある。
「賄い。こっちはお前の」
ローテーブルに置かれた二つの丼のうち、ひとつをずずいっと差し出された。朱塗りの椀もついてきた。
親子丼と豆腐のみそ汁だ。
学食で飽きるほど食べた献立だが、きゅう、と胃は空腹を訴えていたので思わず顔がほころぶ。
いじけた気持ちは取り敢えず脇に置いて、いそいそと箸を割った。
そこでようやく礼がまだということに気付き「おおきに」と小さく口にした。
向かい合って座る火村はかるく手を合わせ、早速箸をつけ始めている。
遅れて「いただきます」と、習慣に従って口にすると「どうぞ」と返された。
なんで君が言うかな。
わずかに眉根を寄せる。すると「口に合うかわかんねぇけど」と、返され、この賄いは火村が作ったのだと理解した。
黄金色の半熟卵が、鶏肉と薄くスライスされたタマネギに絡んで美味そうだ。
どれどれと口にすると、辛すぎず甘すぎず絶妙な味付けに唸った。クセになる味で、箸を運ぶ手が止まらない。
はた、と火村を見れば、彼はちょっと眉を寄せ上目遣いでこちらを見ていた。不機嫌からではない。
「う、むむ」
ようやく欠食児童のようにがっついていた事に気付き、ゆるゆると丼を下ろす。
なにせ会話をしない男なので、僕も沈黙を守り豆腐のみそ汁に手を伸ばす。
これもまた「えらい美味い……」。
今度は口に出てしまった。スルーされるかなと思ったら、「そっか」と、手の中の丼に残った米を集めながら火村はこたえてくれた。
その顔には、フロアで見るピリピリした雰囲気が失せて、僕と変わりない、同世代の青年らしさが滲んでいる。
(あ、もしかして、喜んでるんか…?)
もっと何か話をしてみたかったが、さっさと食事を終えた火村は「食い終わったら流しで洗っとけば良いから」とだけ言いおいて、食器とともに出て行ってしまった。
以来、僕は火村を観察することにした。
向こうが見せないのなら、こちらから見にいけばいい。
僅かに幼さの残る顔を見たら、有能でエラそうなだけのヤツじゃない気がしてきたのだ。
彼の作る飯がうまいから、ではない、と思う。多分。
とりあえず翌週とそのまた次の土曜のランチタイムに火村の名を見つけたので、同じ時間に僕も入ることにした。
火村と組みたくない中田君には有り難がられた。
固定メニューで回っているランチはメニューが少ないのが助かるし、火村と喋ってみたい僕には都合がいい。
利害の一致というところか。
だが、ランチタイムは侮り難い。忙しさに足がガクガクになる。
3時までの4時間、夜の倍の速度でテーブルが回るのだ。部活動などで鍛えた過去の僕は慣れないこともあってヘロヘロになってしまう。
バックルームで足を揉んでいたら、また火村が賄いを持ってきてくれた。
「ゆうてくれたら運ぶで」と言うと、「ついでだし」と味気ない返答。
彼にこんな親切を受けるとむず痒くなると共に、小さな探し物を見つけたような喜びがあった。
献立は、韓国風炒め物と大根のみそ汁。みそ汁は賄いに必須らしい。また火村と差し向かいでいただく。
「そういや、どうして君が賄いを作ってんの?」
「この時間なら厨房貸してもらえるんだ」
「腕が鳴る?」
「いや。最近厨房スタッフが減ったから。賄いなら俺でもできるだろうと思って」
火村に言われて考えが至った。
そういえば村上さんが抜けて以来、厨房はいつもきりきりまいしている。
加えて、賄いを世話してくれている鈴木さんは、最近脚が痛いと零していた。
とすると、率先して賄いを引き受ける火村の意図はなんだろう。
夜の営業が始まるまで休んでもらうためにしている、とか。
いやいや、好きな献立を作りたいだけかもしれない。
手伝うとか、深い意味はないのかもしれないな。
けれど僕は、この浮いた男のことをほんのり好きになってしまった。
「モヤシくわえて何をにやにやしてるんだ」
おっと、すぐ顔に出るのが我ながら困りものだ。
「これむっちゃ美味いな。料理人になれるんちゃう」
隠す感情でもないかもしれないが、対象をすり替えておこう。メシが美味いのは事実だし。
「褒めすぎだろう。それに俺は研究職志望なんだ」
「意外や。専攻は?」
「犯罪社会学」
「ぴったりや」
「どういう意味だ」
面構えが、と言ってやりたかったが、この関係はまだウォームアップ中だから抑えておく事にした。
今日は珍しく会話が弾む。
炒め物がチャプチェという名前だということ、下宿で自炊をしていること、無類の猫好きだということ。
猫の話をしていると纏う空気まで変わる。本当に可愛くてしょうがないらしい。こっちが気恥ずかしくなるほどだ。笑うと目が和らぎ、感じがぐっと良くなる。
そのたび、胸の辺りがぐっと締め付けられた。
ええやん。こいつええやつやん。
火村が、ごぞごぞとローテーブルの上を片付け始めるのを手伝いながら、無愛想で目つきの悪い男を前に、ある種の興奮が心を満たすのを認める。
いつもシニカルに閉じられた唇から、柔らかな言葉が出てくるなんて思いもしなかったのだ。
スウィッチが入ると止まらない犬のオモチャのように、心臓がわめく。
僕は、また先に出て行こうとしていた背中を引き止める。
「な、火村君。今度ウチに遊びにいってもええ?」
「……なにしに?」
「お茶とか。雑談も休憩時間だけやったらバタバタするし」
火村が軽く動揺している。「あ、迷惑やったら言うてな」と慌てて付け加えた。
「迷惑じゃねぇけど……いつだよ」
「ええのん?」
こんな会話を聞いたら中田君は「げっ」と引きそうだが、僕はワクワクしてきた。
*
押し掛けた彼の下宿には通い猫がいた。
名前はまだなかった。借りたレコードの名をとって、コーダと呼ぶ事にした。
お前の方が新参なんだぜ、と火村は苦笑していた。……僕は人間なんだけど。
いつしか2人の名前がシフトに並ぶ日が増え、それとともに交わす言葉も話題も増えていった。
火村の長所を考える必要もなくなった。
僕の前で、閉ざされていた彼という庭が、少しづつ開かれていったから。
注意深く覗き込み、彼の中へ、荒らさないように入り込む。
彼の隣は思いのほか居心地がよかった。
*
混雑した学食前で2人の男が取引をしているのを見つけ、僕は人の群れに姿を隠した。
「火村、こないだの払い」
「たしかに」
火村、と呼んだ方の男が手のひらに収まる小さな紙片を渡すのがハッキリ見えた。
食券を手にした学生の列に並んだ火村は、彼らにならってお盆を一枚とりセルフカウンタを進んでゆく。僕も見失わない距離から後を追う。
「はいどうぞ」と配膳カウンタの向こうからおばちゃんが出したのは、なんとステーキ定食だった。
僕はワカメうどんだというのに!
心の叫びが伝わったのか、ステーキ定食、もとい火村がこちらを振り返った。目が合うと、スッと整った片眉が軽く持ち上げられる。
「なにヒトの後つけてんだよ」
「あ、バレてた?」
無闇に威圧しないで欲しい。クールビューティと名高い君がやると怖いから。
「ひとりか」
「うん。一緒に食お」
こんな顔の人間といると防御本能が働くのか、僕はやたら笑顔になる。そうすると強面が心持ち緩み、たいていの事に「是」と答えてくれるからだ。
向かい合って席につくと、早速僕はにっこりした。
「お肉いっこちょうだい。あこぎな事して食券を得たんやろ。な?」
「貸したノートに対する正当な報酬だ。横取りするお前の方がよっぽどあこぎだよ」
そう言いながら一切れくれる。甘い脂身がついた美味いところだ。
くだらない会話をしながら、火村は旺盛な食欲でステーキ定食をぺろっと平らげた。骨の尖りが見えそうな鎖骨、シャープな顎、意外にほっそりした首からは想像がつかないほど食う。
バイトでも一緒だが、時間が合えば大学内でも会っていた。
最近では出勤までの時間を火村の下宿でダラダラ過ごすし、週末に2人のシフトが重なったら、バイト後に安い居酒屋で飲んだりもする。
火村が作る美味いメシを食べさせてもらったことも何度かある。
あのギクシャクしていた期間が信じられない。火村君と呼んでいたのも笑い話だ。
小さく積み上げられた日々の中、彼についての細々したことを知った。
「今月テスト終わったら、どっか遊びに行きたい」
「俺とお前が抜けたら、中田と店長だけになるぞ」
「せやな、もひとりバイト入ってくれればええのにな。じゃ、定休日狙って?」
「月曜だな。わかった」
結構律儀なことも、押さえてる情報だ。
*
結局約束した日は火村の事情で動かす事になり、シフトをなんとか調整して水曜日に休めるようにした。
「楽しんできいや」
本所さんは、誰とどこに行くとも聞かないが、火村と遊びに行くんだなと察知して笑顔でそれだけを言ってくれた。
見透かされたようで、面映くてしょうがない。
そして来たるべき水曜。
午後3時ちょうどにMOVIXの前で待ち合わせしたのだが、僕は2時50分になってもまだ大阪府内にいた。電車の事故でダイヤが遅れていたのだ。
線路の上で往生する車両の中、ケータイを開く人の姿がチラホラ見える。僕は、手のひらの黒い機械をモジモジと弄ぶばかりだ。
火村はケータイを持っていない。
車内の中、空いている一角に身を寄せて「乗客の方すみません」と心中で詫びつつ下宿にかけたら、外出しはったと、上品な京言葉の大家さんに応答された。
無闇に待たせてしまうな……なんてことだ。
ここからでは、あと40分はかかってしまう。不可抗力とはいえ、申し訳ない気分でいっぱいになった。まんじりともしない車両。クーラーはよく効いていたが、嫌な汗を感じた。
じりじりとした時間は20分近く続き、京都に到着したのは約束の時間から80分後だった。
改札をダッシュで駆け抜け、目的の建物まで脇腹を痛めながら走る。走る。走る。
運動不足が祟ってもう息が切れる。アスファルトを踏みしめる踵が痛い。
暑さに汗を流し、喉を鳴らしながら辿り着いたそこには、火村の姿はなかった。
「ステーキ定食2日分とかで許してくれるやろか……」
つい即物的な事が口をつく。反省の色に乏しいのは、事故のせいだと心の何処かで言い訳しているせいだ。いかん、いかん。
下宿にもう一度かけるか、そこらを探してみるか。
迷っていたら、ブブブブとデリカシーのないバイブレーションがお尻に伝わってきた。
もしやと発信源であるケータイをヒップポケットから掴み出す。
火村の下宿の番号だ。
ホッとするが怖い。やはり怒っているだろうか。思い切ってフラップを開く。
「もしもし……」
『あ、アリスか。どうしたんだ、30分待ってもこねぇから部屋に戻っちまった』
「火村すまん! 電車事故で遅れた!」
『事故った? お前は乗っていたのか、それとも後続か?』
仕事中のような険しい声になる。誤解をさせてしまったようだ。
「後続。一本前に出た電車が事故おこしたんや。やから無事やで」
『……。そうか、そりゃよかったな』
そして忙しなく『近くの紀伊国屋で待ってな。今から行くから』とだけ言って切れた。
僕は切れたケータイをのろのろと閉じ、再びヒップポケットに突っ込みながら火村の声を反芻する。
無事と言った時、かすかに、だが長いため息が受話器越しに届いた気がした。「さあ、今日は俺に付き合ってくれるよな?」
ようやく顔を合わせた火村は、いつも以上に怖めだった。
「体育館裏とか便所とかはやめて」と口だけで抵抗を示し、ずんずん先を行く背中を追う。
向かった先はケータイのショップだった。
30分ほどレストスペースで待たされた後「余所に流すなよ」と、契約を済ませた火村から番号を渡された。
「持たへん主義やないの?」
「外向きにはそのつもり。だからアリス、他言無用だ」
「店長にも教えへんの?」
「ったりまえだ」
オンオフのボーダーがまだ緩い僕は、大した意図もなく聞いたのだが、火村の反応は鋭い。
彼の都合本意の回線らしい。
えーとつまり。
「どういう時かけてええんや?」
ウッカリかけたらエラい不機嫌だったりしないだろうな、と。
すると、何故か目を逸らし明後日の方を向いたまま「今日みたいな時とかだよ」と、ぶっきらぼうに答えを返してきた。
さらに「大家さんとお前にしか教えない。どういう事かわかるよな?」と釘を刺してきた。
流出しようものなら、犯人が誰かすぐわかるんだぞ、か。
「きみは芸能人並みの扱いを求めるんやな」
念入りな忠告をからかって言うと、「苦渋の選択なんだ」と少し困ったような顔をした。
彼にとっては、本代を犠牲にして手にした精一杯の贅沢品なのだろう。外野はあれこれ言うまい。
控えめに、「教室変更、休講を見つけたらメールで報せあう」という提案だけしてみた。
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