■11000hitリク あいこ様。「森林コンビを登場させて!」設定お任せで。
■!!ご注意!!全編オリジナル要素が濃いシリーズになっております。リクエスト頂きましたコンビは『Recovery』に登場させたオリキャラです。
■オリキャラ視点 ■オリジナル設定火村ゼミ。『Recovery』と時代、設定異なります。 ■火村&アリス登場率30%(いやもうちょっと努力するです)ということご了承の上、お読み進めくださいますようお願い申し上げます。
primary balance / トリプルボトムライン
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「森君、さっき山村ゼミの子から内線かかってたわよ」
「なんのことか言うてました?」
「認証がどうとか言ってたわよ」
「えぇ? いまさらかい。ぅわかりました、ちょお出てきます」
椅子に座る間もなく出ていってしまった後輩を見送って、なかば呆れながらも苦笑を浮かべた。あの子はくるくるとよく動く。高速回転しているメリーゴーランドのようだ。
真夜中にも関わらずどの窓にも煌々と光が灯っている研究棟の各部屋では、ラップトップが数台ずつ稼働している。
遊園地のアトラクションさながらに、こちらに背を向けたSEが操作するウインドウの中は賑々しい。
玲はあくびをかみ殺して、プリントアウトされた論文を読み進めた。
*
数年前、国から号令がかけられたIT政策の波は学校教育の場にまでおよんだ。それは当然といえば当然あるべき現象だった。
ITは一部の専門家だけの技術ではなく、これからは電話をかけたり受けたりするような感覚で、市井の人々の間に行き渡るべきツールだからである。
大学は、将来日本を担う学生を育成する教育機関でもある。ネット環境を学生に解放することのメリットは大きい。
英都の賢明なる総務部は、前年から事態を見越して予算を採り、着々とパソコンの大規模な賃借契約やシステム構築の計画を立てていた。
しかし多くの関係者は、新たな転回についていきかねた。特に、50代以下の職員と研究者は見事に参っていた。
助手が教授宛のメールを処理するのはともかく、極めて重要な文書をデスクトップに放置したり、ネットワーク上に漂流させたりエトセトラ。
とまぁ情報管理がなってないと、総務部情報政策課長は嘆いていた。かくいう課長自身も業務の細部をよく分かっておらず、若い課員のみぞ味わう苦労だったが。
そんなわけで、複雑化したデータの整理と新技術導入を機に、もっと分かりやすいインタラクションデザインにしましょうということで、今回の大規模な入れ替え作業はスタートしたのである。
これにはコストもかかっている。
情報政策の大きな節目となるはずなのだが、現場はSE以外緊張感に欠けていた。事が専門的すぎてよくわからないからだ。
数学が苦手な生徒が教科書を読んで眠ってしまうように、施錠の関係で立ち会っている研究室の人間の多くは睡魔と戦っていた。
退屈だからというより、実際眠かったのだ。
なにせ作業は深夜に始まり、3日間毎夜行われた。
今夜はその最終日だ。
そんな中、イキイキしている人間がいた。社会学部火村ゼミの森樹(もり いつき)である。
総務部からの依頼で、研究室内のシステム担当を任ぜられている柳瀬玲とたった二人で作業の立ち会いをしていた。
本来ならば責任者たる助教授ないし代理の助手がこの場にいるはずなのだが、研究室の主はいつものごとくフィールドワークで不在。助手は彼女の誕生日ということで、「ま、二人いればじゅうぶんでしょ」と鍵を押し付けて帰っていった。
確かに、外部から来たSEが作業を行う傍らで、ひたすら「終了しました。確認をお願いします」の一言を待ち続けるだけなら院生で十分だった。なにか不具合があっても、院生の手に余ることなら研究者たちの手にも負えない。ということは、やはり誰がいても同じということだ。
そう考えるのは周辺の研究室も同じらしく、場合によっては機械オンチの学生が一人で部屋の番をしている所もあり、『このケーブルは何?』とか他愛無いことでSOSを送られる樹は部屋を出たり入ったりしていた。
樹はシステムネットワークに明るい。
小学生のときからパソコンに興味を持ち、高校のときはパソコン部に所属し、ここでは蓄積してきた知識を歓迎され、成り行き上入ったその時からシステム担当になっていた。
彼がネット犯罪を研究対象にしているのは、興味の方向性が私的な趣味と合致しているからである。
樹の先輩である玲はというと、紅茶を入れたりクッキーをつまみながら論文のチェックをして過ごし、まるで作業のことなど目に入っていない。
「森君に任せるわ」と言って、悠々と開いた机で作業をしている。そのマイペースさは、きわめて彼女らしいと樹は思う。助けてくれないからといって、いらつくことはない。
それはシステムいじりが樹の趣味だからというわけではなく、彼女のキャラクタがそうした瑣末ごとを自然と遠ざけるものだったからだ。
後輩どころか同級生にも『女史』と呼ばれている玲は、あだ名に恥じず頗る切れる女なのだが、研究者にありがちな対人スキルの偏り乃至欠如は見られない。
むしろ対人関係のパワーバランスをコントロールする能力に長けていた彼女は、研究室内の統括役のような位置にいた。
「どこか手玉に取られているように感じる」と言って彼女を苦手とする者もいたが、その手のひらは慣らされると却って心地よいものである。年上の助手でさえどこか彼女を頼っていた。
さらに独自の角度をもった思考センスが放つ言葉の閃光をたびたび食らっている樹にとって、彼女はある種絶対的な上位者であって、お願いすることはあっても使役する対象ではなかった。
この研究室で玲を完全に凌駕してしまえるのはこの部屋のツートップ、教授の降旗と助教授の火村だけだ。
降旗は樹の直接の指導教官ではないので、とりあえずどんな仕事をしているのかだけを気にかけている。
彼は降旗に向ける関心の数倍量を、火村に傾けていた。 この年若い助教授は、下位のものにとって比較的扱いやすい研究者だった。べったりついて回りたいタイプの人間には掴み所がなく、交わす言葉も少なく、少々物足りないかもしれないが、樹にとっては指示が的確で分かりやすいのでありがたい。そっけないのも最近では味に感じられるくらいだ。
ゼミ選びの時から、この色々な意味で派手な助教授を注視し続けていた学生のひとりだった。見かけよりもずっと、地味で忍耐強さを必要とされる仕事をしていることに気付いたとき、興味は共振にすりかわった。
この人のところで研究を進めたいという覚悟ができてしまったのだ。
だが一月前のあることを境に、火村のゼミに入ったこと、そして院に進んだことに何かの運命ではないかとさえ思いはじめていた。
こういう考え方はちょっと危険な妄想の類いみたいで嫌だが、しょうがない。偶然にしては出来過ぎているのだから。
火村とは、師と弟子というだけの呼び方のほかに、もうひとつ関係を示すことができることを発見した。
父の従兄弟の友人と友人の従兄弟甥。
自分でもわかりにくいので解きほぐして記憶すると、我が師は、どうやら父の従兄弟にあたる有栖川有栖の友人らしい。
推理作家の有栖川某が自分の父の従兄弟だと知ったのは、ごく最近のことである。
従兄弟にしては年が離れ過ぎじゃないかと思ったが、よく考えたら父は母より一回り若かった。
「本屋行ったら旦那の従兄弟の名前があってビックリしたわぁ」と母がいうのを聞いて、「たいして付き合いなかったんよ?」と念押しされた上で教えてもらった。
俺はそもそも有栖川某という作家の存在すら知らなかった。(堪忍してや)
森母子は、有栖川家との交流も途切れて久しい。母と違って1度も顔を合わせたことがないため、親戚と言われても懐かしくもクソもない。自分の手の届かない場所にいる業界人、という印象しかない。
ノリで1冊読んだらすっかりハマってしまって、ますます血縁者という感覚から遠ざかってしまった。もともと他人も同然な繋がりだから致し方ないのだ。
だから、その名を研究室で耳にした時とても驚いた。
あの日はちょうど今みたいに外は真っ暗で、人の気配がなく、研究室には先生と自分だけだった。
聞く度に心臓が飛び上がりそうになる着メロの『first love』を先生は強引に中断させ、バリトンを低く響かせた。
パソコンのファンの音しかしない部屋だ。嫌でも会話は耳に入る。彼は自ら席を立とうとしていたので、俺の方が慌ててとなりの給湯スペースに消えることにした。
とはいえドアもない小部屋だ。やっぱり会話は筒抜けで。
『なんだアリス。解けなかったのか? ……はいはい、お前が推理作家だって忘れてたよ……馬鹿言え……ああ、こないだの。ちゃんとアリスガワアリスの名前が見えるように直した。いい友人だろう』
断片的に聞こえる内容に息をのんだ。二つとない名前の作家と会話をしているという推察は、外れる確率が極めて低かったから。
明瞭でない会話から有栖川有栖の名前を拾い上げることができたのは、数日前、先生の私物の中に有栖川の新刊があるのを盗み見た、という経緯があった。
この研究室を介して血族が繋がったらしいが、冷静に考えてみれば「たかがそんなこと」だ。
広いようで狭い関西、そんなこともある。
運命だなんて自分一人がちょっと舞い上がっているだけのことだ。
でも少しくらいうぬぼれることを、許してほしい。
母子ふたりの暮らしの中で就職をせず院に進むことは、少なくともうちん家においては大きな決断だった。
女手一つで育て上げてくれた母に更なる負担を求めるのだから、気まぐれでは選べない道なのだ。考え抜いて、私大に行き続けることを二人で決めた。
そのため、この研究室には研究以外の様々な思い入れがあったりするのだ。
今時こんな23歳いないよ、と我ながらコテコテの浪花節に泣きたくなる。まぁ国家を背負ってる共産圏の子よりはましか。
話がそれた、戻ろう。
つまり自分の人生に突然転がり込んできた、「出来過ぎの偶然」という名のとびきりきれいな絹のリボンを、誰にも知られず手にしている。
この状況が何となく、誰に対してのものかしれない優越感を味あわせてくれているのだ。
ささやかな人生の彩りを、喜んでもいいではないか。
なにせ修士2年目の4月。将来を思うといろいろ不安なのだ。
「すいませーん、この共有フォルダのバックアップ完了してます?」
ぼおっと、春休みからここ1カ月のことに気を取られていたら、担当SEの声に引き戻された。
結構綺麗めな若い女性なのに、目の下にくっきり隈を作っている。3夜連続のこの作業は正しく美容の敵だな、などと失礼なことを思いながら、作業しているテーブルに回り込み画面を確認する。
確か作業前に分割してMOへ移しておいたものだった。新システム導入後、改めてSEたちが再構築してくれるはずなので心配はない。
「はい。OKです」
年若な院生から了解を得たプロフェッショナルは、切りそろえられた爪で滑らかにキーを操作する。
ラップトップ2台の間に噛ませてあるこの機械は何だろう。あとで聞いてみよう、と思いながら女史の入れてくれたミルクティを貰いに席を離れた。
*
樹にとっては趣味と実益を兼ねた楽しい立ち会いだったが、3日後思わぬトラブルに見舞われた。
共有フォルダに格納されていた個人フォルダのうち、ほとんどのファイルが行方不明になっているものがあったのだ。
マイドキュメント以外に、共有フォルダ内に個人のそれを構えているのは、もっぱらゼミ討論用の資料やら統計やらレジュメやらを文字どおり共有するためである。
実害があったのは同級生だったが、樹自身ショックを受けた。
(ああ、そんな地雷ってありやろか……)
しかし相手はそんなことに構う余裕などなく、苛立ちを隠しもせずに、
「で、誰が土下座してくれるって?」
と、机上の書類をばさばさと片付けながら、向かいの席で固まっている樹に目もくれず、被害者である林倫太郎は言った。
椅子から少し背中を離して座る素晴らしい姿勢の良さも、今はかえって威圧的に見える。
彼は外部からここに入ってきた。英都育ちが8割の中で、浮く要素をはなから備えていた。
とはいえ1年も向かい合って勉強していれば、少しは朱に染まろうというものだが、彼はシャッターを下ろした銀行よりも愛想がない。
そして市役所よりも個人情報の漏えいに神経を張りつめているように見える。
ゼミ内の仕事は鬼のような勢いでこなすが、時間になると『本日の窓口はすべて終了しました』とばかりにさっさと帰るのだ。
ここにいる全員が、彼の名前と住んでいる町名と県外の某国立大出ということしか知らない。連絡網を仕切る女史は、かろうじて携帯電話の番号を取り交わしているというが、緊急時以外かけたことがないらしい。ちなみに飲み会は緊急時にあたらない。つまり、ちょっと一緒に飲もうよと呼び出すのもはばかられる男なのである。
平素の行いがこれである。
不機嫌を貼付けた横顔でぼそっとそんなことを呟くものだから、部屋全体の気温が1度下がった気がしたのは、樹だけではあるまい。
「で、その、バックアップの方にもないとなると、うちの手に負えへんから。情シスに頼んでるところなんや」
「じゃあ、今日中に統計用のフォーマット見つけてくれるわけ?」
「それは確証ないけど」
「最悪どうなる?」
「……入力しなおし、って、情シスは言うとる」
正しくは俺の見解だが、情報システム担当のせいにしておこう。だって面倒くさそうなんや、この男。
「へぇ……簡単に言ってくれるよな」
林が一言発する度に、空気にヒビが入るようだった。隣の机に座っている後輩などは、脅えて顔もあげられないようだ。
いつだって隠れた不具合というものは地雷に似て、踏まなければ分からない。
訳も分からないまま吹き飛ばされる前に、まず予測可能な地雷を撤去するけれど、その範疇外にあるものは起こりうるトラブルとして受け止め、対処していくしかないのが実際だ。
それは樹の中では不手際と呼ばない。人間のやることだ、少々綻びがあってしかるべきなのである。
誰にとっての満足を追求するのか。それによって『完璧』は異なるし、それを作り出すには、ある程度の緩みが必要だというのが自説だった。
しかし、こうもあからさまに言われるとプライドが少なからず傷付く。自説を支えるだけの説得力は、実力ともども足りていないから。
だから、その反動でつい乱暴な口をきいてしまう。
「そんなに大事やったら、自分が保存しとったらよかったんやないか?」
「ルート内で共有しているデータは森君が保存する、ということで決まったから従っただけだ。それを疑うほど暇じゃないから任せた。とは言え、別に俺はそっちに責任を擦り付ける気はないよ。いまだって顛末がどうなるか聞いただけだろ?」
うう。ごもっとも。
ちらり、と上目遣いでくれた一瞥が胸に刺さる。
温厚そうな顔立ちのくせに、眼の力はやたらにある。怯みそうになるのを立て直して、ゆっくり口を開く。樹はこういうハッタリの効かせ方だけは自信があった。
「俺は、保存したよ、確かに。ただ、林君のだけ見当たらんのや」
「で、この件は上位部署に預けたわけか。すべては情シス待ちね……」
そう呟くと、もう樹の方を見向きもせずにラップトップのキィを叩きはじめた。
東京言葉がこれほどむかつくものとは、彼と出会うまで思わなかった。
はん、貴重な体験や、と思うことで余裕を保つ。
偉そうな自説ほど、自分が大人でないことをこういう瞬間に味わう。それが情けなくて嫌だった。
結局この日は情報システム担当者からなんの報告ももたらされず、研究室内の空気は林のことなど忘れたかのように入れ替わっていった。
まだかわいげのないふたりです。先は結構長いです
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