■11000hitリク あいこ様。「森林コンビを登場させて!」設定お任せで。  
詳しくは1の注意書きを御覧ください。




2



トラブルがあった昨日の今日。ファイルはあいかわらず行方不明で、林との仲はあいかわらず気まずい。


彼は今日はバイトらしく、午前だけ出てきて昼前に帰ったとき、樹は正直ほっとした。
午後から時間が開いたので、母の店に顔を出す。
母は船場でこじんまりとしたセレクトショップを経営している。ブティックなどと呼ばわると、「その言い方は古くさいわ」と笑われた。
バブルまっさかりの時は3店舗くらい展開していたのだが、景気が悪くなると売り上げが落ち、家賃負担が苦しくなり、今の1店舗だけが残った。
店から古株は去って、今は母と二人の従業員が交代でいるばかりだ。
数年続く経営者としての労苦が、かつての華やかさに翳りをもたらしているとは言え、50代にしては若々しい容姿を保っている。
まだまだ現役というたび、楽させてあげられへん息子でごめん、と心の中で唱えたものだ。
口にすると「しょうもない」と言って、はたかれるのが目に見えている。


朝、トゥルーレリジョンのデニムをはいた自分の後ろ姿をチェックしながら、「愛する一人息子に春物をいくつか選んでいるから来なさい」と彼女は言った。
自宅に持ち帰ればいいのにと思うのだが、セコセコした自宅でファッションショーするより、店の方が似合うかどうか分かるという。ど平日の昼間なら商売の邪魔にはならないので、今日、なのである。





「こんにちわ〜、あ、お客さんおる?」
「ううん、今帰った。店長ー、イツキくんですよー」

正しく、さっきまで客がいたのだろう。そこらに服が広げられている。
従業員のエリちゃんがカットソーを手際良く畳んで片付けていた。男物のジャケットもある。少しだけ子供服もあるが、いずれも平凡でないデザインだ。
かつてのファッションピープルが結婚して子供を作って、落ち着いたけれどお洒落しつづけたい、という心意気に答えるお店らしい。
よくわからないが、ギャル向けの服ばかりだった前の店舗より、樹にとって余程居心地が良い。
あのころは純朴な中高生で、背中や肩がむき出しになるような服に囲まれると、目のやり場に困っていた。
スタッフルームのカーテンが開き、母が出てきた。朝、コテを当てていたサイドの髪は、きれいにくるんと巻いて肩下で揺れている。

「お昼は食べたん?」
「コンビニのおにぎり1個」
「このアホ息子。コンビニのは、いっちゃん健康に良うないゆうとるやろ」

小突かれた。この人の手の早さはコミュニケーションなのだ。

「朝はヨーグルトしか食べへんおかんに言われたない。ほら、春物ってどれなん?」
「もお。晩はちゃんとうちで食べなあかんで」

母はぶつぶつ言いながら、服を吊るしているバーの端っこに手を伸ばして数着引っ張り出す。
エリちゃんは控えめに笑いながら「お昼いってきます」と出ていった。
おお、20もとおに越えて子供扱いされ、3つも年の変わらないお姉様に笑われるいたたまれなさったらどうだ。


まだビニールに包まれたままの服は、男物にしては優しい色合いのものばかりだ。
ベージュ系のプリントシャツなどは、昨日食べたツナと切り干し大根の和え物を思い出させた。
こう見えて母は自然食が大好きだ。前より早く帰ってきて、ご飯の支度をしてくれる。
羽振りはやや悪くなったけど、そういう面ではよかったと思う。
目に留まったデニムの試着をすべくフィッティングルームに入ると、母の「いらっしゃいませー」という鈴を鳴らしたような声が聞こえた。一組ならいいけれど、二組くらい入ると自分は邪魔者になってしまうので、手早くスタイリングをチェックして小部屋を出る。
靴を履きながらどんなお客かと、ちらと顔を上げると

「あ」

決して見間違えたりしない、お馴染みの白いジャケット姿が平台の向こうにいた。
声に気付いたらしく、広い肩ごしに樹を見た火村は「おや」と眉を上げる。

「すごい偶然ですね。先生、お買い物中ですか?」
「正しくは人の買い物に付き合ってる最中だ」

そういって彼の3歩前、鏡の前でニットを当てている後ろ姿を指差した。ひょっとして先生の友人だろうか。その人は、少なくとも助教授の数倍流行に敏感な人のようである。
確かに、彼の買い物がメインだろう。うちの服なんか着そうにないのだ、この先生は。
彼のファッションの善し悪しは判じがたいものがあった。
中年とは思えないスタイルの良さが、祟っているのか功を奏しているのかわからないが、他と一線を画すアヴァンギャルドな雰囲気を作り出しており、逆説的にファッショナブルなのではないかとさえ思えてくるのだ。
そういえば自分のために広げられていた服がない、と思って視線を客の方へスライドさせると、なんと母が手に持って次々と当てていた。
根っから商売人なのだなぁと感心するのはこういう時だ。

「君も買い物中なんだろう? いいのか?」

意識が、平台を挟んだ向こう側にいる先生に引き戻される。
彼が指差しているのは、手に持ったデニム。
買うにせよ、やめるにせよ、連れが独占している店員を呼ばなくていいのかと言っているのだ。そういう気遣いをされることを期待していなかったので、言葉の意味をはかるのに数秒を要した。

「あ、ええんです。俺は客というか、その、ここの身内なんで」
「なるほど。それは家族という意味の?」

身内の意味を突っ込まれるとは思わなかった。というか二言めがあったことに目を見開く。
だから、普段は客が引くかもしれないので伏せていることを、あえて口にした。

「はい。母が経営してるんです。あれそうなんですよ」
「そうなのか。言われれば、姿勢がよく似てる」
「姿勢? 初めてです、そんなところ指摘されましたんは」
「親子は男女の別を問わず、骨格が遺伝するんだ。絶対的な性差はあるけどね」
「そうなんですか。妙な気ぃしますけど」

自分はずっとどちらにも似ていないと思っていたので、とても意外だった。会ったこともない相手なのに「似ていない」というのも、妙な思い込みだが。

「火村、こっちとこっち、どっちがええ?」

鏡の前で唸っていた背中が、くるりとこちらを向いた。
また「あ」と樹は声を上げそうになったが、客であること、有名人とはいえプライベートであることを思い出し寸でで声を飲み込んだ。

「右。白っぽいほう」
「ええー。俺はこの薄ぅい紫がよかったのに」
「なら聞くなよ。そっちにすればいいだろう?」
「似合うか似合わないかを聞きたいんや」
「白っぽい方は年なりに見える。趣味に走るなら左。分別ある大人に化けたいなら白」
「難しいたとえやな。白を着ても、分別ありそに見えへんやつから言われたかて。君も思わへん? さっきからの話からするに、君は火村んとこの学生さんなんよね?」

視線を突然向けられて、びびびっとアキレス腱から体が伸び上がった気がした。
襟足まで伸びた髪が自由業らしく少し気だるい感じだけど、全体の印象はアップテンポだ。ブリティッシュパンクでもジャーマンロックでもなく、スウェディッシュポップスが似合いそうな軽さとセンスの高さ。
これが生の有栖川有栖か。
表面では平成を保っていたけれど、心臓がきゅうにばくばくと収縮しだす。

「はい」

と答えて、アイタ、と思う。だってこれでは、「分別ありそに見えへん」への答えのようにも聞こえてしまう。
俺は続けて何と言っていいのやらコメントに窮したので、

「僕もパープルの方がお似合いと思います。いま履いてらっしゃるパンツとだと、とんがった感じでカッコええですし。着た感じもぴったりやと思います」

取りあえず賛辞し倒した。中学生の作文みたいな文章力だが、失礼にはあたらないはずだ。
ちなみに好きな人を褒めまくるのは小学生のときからの癖である。美点や長所をべらべら口に出すのは、間違えると軽薄なことと知っているが、それでも言わずにおれないのだった。
火村先生はため息なんかついてるので、ひやひやしながら突っ立つことになる。
幸い有栖川先生は興味を持ったらしく、へぇ、と再び鏡に向き直った。いいイメージだったのか、そのパンツとシャツを彼は選んだ。
帰り際、先生には「ありがとう。悩みだすと長いやつだから助かった」と言っていた。自分の家の売り上げのため頑張ったようで少し焦りと恥ずかしさと照れがこみあげてきたが、言葉以上の意味はなさそうなので、いたたまれなさからは逃れられた。
それに、俺は有栖川先生からサインを貰うための本も色紙もないことが悔しくて、そのことに気を取られていたので、その言葉の柔らかさや先生が支払いをしていたことへの疑問など、見送ってしばらくするまですっかり霧散していた。
今日は4月26日。
スマートにサインをしていた三友住井カードの締日だから、ってわけじゃないだろう。
まぁ詮索はよそう。個人情報に目を瞑るのは商売人の鉄則だ。


そうそう。彼が買っていかなかった試着済みの白っぽいカットソーは、もちろん手に入れた。ちょっとストーカーぽくてあれだが、いいのだ。元々母が自分に用意していた服だから。
母は客が有栖川有栖だと気付いてないようだった。そうだろう、著者近影など見てないのだ。
これについても口を閉ざした。前の旦那の親戚のことなど、格別楽しい話でもないからだと、子供だって分かる。
気っ風のいい感じやから、また店に来てくれたらええな、と母が言うのに、そうやねと相づちをうつに止めた。












「あ、揺れてる」

研究室の誰かがそうつぶやいた。
キャビネットや机が一斉に移動しているような地響きがし、床全体がうねる。はっきりと揺れを感じた。
地震の時、なぜひとは立ち上がって天井を見上げるのだろう。机の下に潜り込めという教えを守っているのは自分一人だということに気づき、樹は中腰のまま止まった。
たいした規模ではなかったようで、すぐに建物は静けさを取り戻す。
間の抜けたことに、いまごろ山積みのファイルがどさどさと落ち、わわわと樹は手で押さえた。

「たいしたことなかったな」

背後で音を立てていた本棚のことなど気にもせず突っ立っていた助手の桑原信吾が、何事もなかったかのように座る。鈍いのか慣れているのか計り知れない。

「いややわー、この建物にいるときは地震に遭いたないって思いよったのに」

耐震補強万全!とうたわれている家に、一昨年引っ越したばかりだという修士1年の矢野亜里が嘆く。
矢野は地震が大嫌いと言っていた。もと住んでいた家が兵庫よりの大阪だったので、食器が棚から流れ出たそうだ。家を巨人が揺すぶってるようだったと、大げさに手を動かして訴えていた。
この研究棟は阪神淡路の後に耐震補強をされているが、それでも目立たない場所にクラックがあったりするので、震災経験者には忌まれている。
内線が鳴り、玲が応答している。総務課から状況を聞かれているのだろう。被害といえば、樹の机上、今にも崩れそうだったファイルの山が雪崩れたくらいだ。
声には出さず「コレ」とにっこり指差すと、女史は肩をすくめて「特にありません」と言っていた。


ぐるりとあたりを見まわすと林と目が合った。これが隣の矢野だったら、片付けんとあかんなぁとか言えるのだが、彼のつめたーい目に何か笑いを誘う一言をかけることなどできようか。いや無理。反語。
結局、なにもなかったかのように彼から目を逸らし、ファイルを片付けた。
向こうも何もなかったかのようにラップトップのキィを叩いた、が、

「マジかよ」

という呟きと共に、頭を抱えた。珍しく感情が露なのは、隣に矢野がいるからだろう。どういう訳か知らないが、彼は矢野とだけは会話ができるのだ。

「やり直しか……畜生。矢野さん、さっきので何かがぶっとぶってあり得る?」
「え? なんですか? データどっかやっちゃいましたか」
「消えたファイルを作り直してたら、さっきのでどっか触ったらしくてさ。よくわかんないけど、消えた」
「うひゃぁ。辛いですねぇ」

矢野がアハハ、と声を上げて笑うと、林が落胆混じりに微笑する気配を感じた。
樹は奇妙な感情が降ってくるのを感じたが、もやっとしてつかみ所がないものだったので、すぐ手をすり抜けていった。

「笑いこっちゃねぇよ……勘弁しろって。矢野さんやってくんね?」
「可哀想だとおもいますけど、無理っすよ」
「無理を押して」

言い方は偉そげだが、心を許している感じが伝わってくる。
どっちかっていうと、甘えてるっていうか。
最近気づいたが、矢野の前では林は割と正直なのだ。開けっぴろげで人なつこい矢野は、言葉を言葉のまま受け止めるところがある。それも愚直ではなく、素直で健全な感じがあっていい。
それは林にも響くものがあるらしく、彼のガードはあっという間に緩んでいったのを見てきた。
お互い一目惚れとか。
目の前の怜悧な横顔と、その隣のボーイッシュな笑い顔を見比べる。
色白で子犬みたいな矢野の目にそんな気配はない。短期間で打ち解けた二人の間には、色気のかけらもなかった。


もやっとしたものが、再び腹の底に落ちるのを感じた。 去年の今頃を思い出す。
初対面ではにこやかで爽やかな青年といった印象だったのに、だんだん慣れてくるにつれ、ぶっきらぼうで手厳しいオーラを振りまくようになった。
こういう集団にいると、はっきりものを言わねばならない場面は往々にしてある。
彼の言うことはとても筋が通っているし、迷いのなさが実はうらやましい。
だが、こちらが好感を持つほどには、向こうは自分を好ましく思っていないようだ。

たとえば論文を読んでいて内容がきれいに噛み砕けなかった時、自分なりに言いたいことがあるけれど上手くまとめられなかった時、向かい合ったもの同士で対話したいと思っても、あまりに樹がしつこくすると「ここでそれ以上を議論するのは何も生産性がないし意味がない」と、すぱっと切ってしまう。 そうだが。
確かにその通りだが、ほかに言い方があるだろうにと樹はいつも憤慨した。気だるい哲学論をぶってるつもりはないだけに、そんなことが度々あると気分的に疲れてくる。
基本自分は面倒くさがりだから、好かれるためにどうこうしたいという発想はない。だからいつも平行線を辿っている。


彼の怜悧だが傲慢な目、無関心、俺にかまうなというオーラ。
それに対する自分のそっけなさを装った態度は、すべて強烈な興味の裏返しで。もともと林のように突っ張った男は嫌いではないけど。
はっきり物を言う舌が、可愛さ余ってなんとやら。ああ、思い出したらまたむしゃくしゃする。
一時でも好意を感じた自分が間抜けで馬鹿で単純で憎かった。
だけど憎い、という言葉を重ねても重ねても、一度刷り込まれた好意はなかなか褪せない。今までも、今現在も。
伏せた目の睫毛の濃さ、秀でた額の端正なこと。そっと盗み見しては、絶対目が合わないようにすぐ視線を逸らしている。
だから『矢野はいいよな』と、口の中でふとそんな言葉が生まれても、樹は驚かなかった。
ただ「ああ、やっぱりそうか」と思った。


これは嫉妬だ。
あんなにむかついたけれど、軽口のやり取りをしてみたいと、俺は心のどこかで思っていたらしい。
さっき林をスルーしたことも興味の表れである。
こちらに入ってこないなら、そろそろこちらからお邪魔してみようかな。
矢野の前で緩くなっている彼の表情を見ていると、自分がなぜできないのか知りたくなってきた。


自然に手が内線を押していた。情シスへの短縮だ。
担当者を呼び出してもらって、先般の件について聞くと『結局わからない。一からつくってもらうしかないね』と予想通りの答えを返された。
まあそんなもんだろうと、特に苛立つこともなく受話器を置く。
俺は立ち上がって林を見た。
こちらをみる向こうの目が少し警戒している。

「林君、情シスに聞いてみたけど、やっぱりデータが消えた原因はわからへんって」
「それで?」

何かを探るような研ぎすまされた目。でも変な話、聞き漏らすまいとしている様子がちょっと心をくすぐる。突っ込みどころを探すオオカミの顔だが、無関心より面白みがある。

「俺が半分やったるよ。紙ベースの資料はあるんやろ。貸してや」
「なんで」

一文節もしゃべれへんのかい君は。

「君が一人でやるより早いやろ」

わずかに眉が寄る。林にとってはおいしい申し出のはずだ。断る理由もなく、なぜ沈黙する?
こちらに何か計算があるのか想像を巡らしているのだろうか。
だが林の逡巡はすぐ終わった。黙って分厚いバインダーを差し出し、ショッキングピンクの付箋がついた箇所を指した。

「ここから表の通り数字を打ち込むだけ。森君も作ったことあるだろ? ああいう感じで」

互いの机を挟んで向かい合い、ブックエンドの間に立てられた資料ごしに手が近づく。
節が張って、大きな手だ。
1年ちょっといて、そんなことも知らない。
自分の気持ちだって知らなかったんだ。当然か。


どうしてひとは、揺れている時立ち上がってしまうのだろう。
逃げ場を探すためだと誰かが言っていた。
この揺れに出口はあるのだろうか。


俺は賭けと呼べるほどのものじゃないが、ちいさな目標を立ててみることにした。
『林にありがとうといわせてみせる』
無謀な願望かもしれない。
なにせデータが飛んでるのは、システムをいじった人間のせいと思っている。
ばかやろー、なにもしなくても電源入れてるだけでもハードディスクのデータって飛ぶときゃ飛ぶんだよと言いたい。
言っても、「だから?」で終わりそうだけど。
ああ、想像するだけでむかつく。


この男に感謝されるなんてありえるんだろうか。
でも、もし奇跡が起こったとして、ありがとうが聞けたとしたら、そのとき何か関係が変わっているといい。
たぶんそこが出口。




つ、ついて来られますかー?ひむありじゃねぇスね。BLのつもりではあるのですが(つもりだけなら売るほどある)
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