2. 






今日は珈琲由来ではない無茶な量のカフェインを摂取して、無理矢理学校に来ていた。
締め切り前なのだ、というと職業作家っぽいが実際は新人賞の投稿作品を書いているだけだ。


雨がぱらつく中、法学部の休講掲示板をチェックしたが、先生方は出そろってらっしゃるようで張り紙ひとつなかった。残念である。ここで気まぐれに自主休講をすると締め切り前に困るので、真面目に出るしかない。
靴底が濡れていて、リノリウムの上を歩くとまるでオバQになった気がする。滑らないように気をつけながら廊下を進むと、不意に誰かに肩を叩かれた。

「……りすがわくん!」
細い指が軽くノックする感触にドキドキしながら振り返ると、見覚えのある女の子が立っている。
確か同じクラスの、ツキオカ キミコさんだ。
月の岡に季節の季、実る子。名字が珍しいのと、子リスみたいにちっちゃくて可愛いので覚えていた。

「驚かせて御免ね、声かけたんだけど気付かなかったみたいで……」

と、鈍い僕のほうが悪いのに、申し訳なさそうに言いつのっている。頭いっこぶん下の位置で俯く彼女の睫毛が綺麗で、遠くで見るよりも3割増で愛らしい。
こういう女の子を前にドギマギしない男っているんだろうか、いやいないはずだ、否応無しだ。

「ううううん!こっちがぼさっとしとったせいやから、ええって。ぼ、ぼくに、なんか用があるんよね?」
「ちょっとお願いがあるんやけど、いいかな……」

不安そうに瞳を揺らして、おずおずと見上げられ抵抗など出来ない。案内されるままに空き教室に連れて行かれた僕は、スプーン1杯ほどの期待をしていたがそれは見事に口から逸れた。

「火村くんと話がしたいんやけど、忙しいみたいでなかなか掴まらへんの。教室じゃちょっと、話しにくいし。
有栖川君に面倒かけてほんまごめんやけど、都合のいい時で構わへんから、お昼一緒させてもらえる?」

月岡さんが、まさか僕に付き合ってくださいなんていうわけないと、そこは冷静にわかっていたが、面と向かって思惑を差し出されたらそれはそれで困った。
彼女は火村が好きなのだ。だからお友達から始めたい、という気持ちはわかるけど過去の火村の反応を知っているだけに返答に窮した。
さっと顔色を読み取った彼女は、みるみるうちにしおっと俯く。

「いきなり言われても困るよね、うん。でも来月でも夏期休暇の後でもいいから考えといてくれないかなぁ、なんて」

……そんな先に希望を繋げられるのだろうか。
僕は熱意を前に、にわかに緊張した。無責任に期待持たせたり断ったりしたら彼女を傷つけてしまうんじゃないだろうかと思ったのだ。
物書き志望のくせに気の利いた言葉ひとつかけられず間抜けな顔をさらしていると、彼女は消え入りそうな声で「やっぱりなかったことにしてくれていいから……」と後じさりを始めたので、僕はあわてて引き止めた。

「まって、ゴメン、ちょっと火村の予定を思いだしてたんや」

とっさの誤摩化しだったが、彼女がはっと顔を上げた。白い額に軽く汗が浮いて、朝顔のように瑞々しい。
可愛い。そんな子が精一杯の勇気を奮って来てる。ああ、なんかちょっと燃えるシチュエーションかも。

厭人癖ぎみの火村がうっとうしがるのは予想がつくが、燃えてしまった僕は、「来週の木曜においでよ」と、いつも火村と待ち合わせている場所を教えてあげた。
ぼおっと頬を染めた顔に見送られながら、頼られる心地よさに少し酔った。














1日店に出ていると、不意に客足が途絶える空白の時間がある事に気付く。
繁華街のカフェは常時満席にちかいが、うちーーー『焙煎工房こうじ』ーーーのように、地味なルートを散策する観光客や近所の人を相手にした個人経営の店が、四六時中席が埋まることは少ない。
空白はだいたい午後の2〜3時あたりに挟まっているのだが、今日はなぜか朝からずっと席が埋まっていた。店主としては嬉しいことだが、このままだと閉店後はへたりこむことになりそうだ。
夜遊びしたかったけど体力的に無理かも。
そろそろ、ストレートな意味で人肌恋しいのに……ほら、またドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

姿を現したのは長身の、自分とそう変わらない年齢の男性だ。学生らしく、重そうな鞄からちらりとバインダが覗いている。
近所の人間でもないのに珍しい。一見さんで、ウチのような安くもない店にひとりで乗り込む学生なんて、マニアな珈琲好きか有栖川くらいだ。
お冷やを出しながら、さらりと検分するのは商売人の性である。


間近で見る彼は、鼻筋の通った端整な顔立ちをしている。粗野な風情を纏っているが、目の動きが理知を伺わせる。K大あたりの気難しいインテリ君かもしれない。
メニューを眺める表情に迷いはなく、「ブレンドひとつ」とぶっきらぼうに言って、彼はハードカヴァーを取り出した。
『完全犯罪』気取ったタイトルだ。著者名は角度の関係で判読できないが、ミステリーか何かだろうか。
活字に没頭しているようでいて、注文の品を出す気配には聡く、カップを置く余地を示すように自然な仕草で手元を寄せた。有栖川とは大違いだ。残念ながら、忘れた頃に手をつけるあたりは一緒だが。

「なにか?」

温んだ珈琲を口にしてひと言、彼はおれを見た。密かな観察を指摘されるとは思わなかったので、意表をつかれたかたちになる。ここで「なんでもありません」なんて気の利かない返事をしては台無しである。折角あちらから話し掛けてきたんだ、勿体ない。

「お客さん、前にも来はった気がして。どうやったろうかと思いだそうとしてました」
「いえ、初めてです。友人からここのことを聞いて」
「それはどうも。ウチは珈琲だけは自信ありますから」

彼はニコリともせず、こちらが向けた笑顔を扇子ですいと流すように目を小さく瞬きをした。
何故かそれだけのことに緊張がみなぎる。凝視しているのはむしろこちらなのに、見られている感覚がまとわりつく。
味わうように口に含みふぅんと頷き

「これはここの店でブレンドを?」

なんて言うか、挑戦的なまなざしがたまらないというヒト多そう、という上目遣いでこちらを見据えた。
おれの周りにもいる、完璧な二重まぶたに弱い子が。柴咲コオが男だったらいいのに! とか益体ないことを言うのだ。悪くはないよね、男女問わず綺麗なのは。眼福かな、と営業スマイルに他愛無い感想をこめる。

「ええ。豆を焙煎するところからやってます。年によって豆の出来も違うんで配合もちょっとづつ変化つけてね。よろしかったら、そのご友人がどなたかお聞きしても?」
「有栖川です、マスターとは昔なじみだって聞きました。最近よく通ってるみたいですね。おれも珈琲党なのに、あいつ全然教えてくれないんですよ? 仕方がないのでひとりで来てみました」

有栖川の大学の友人なんて初めてだな。ということは、おれとも同い年なのか。
21歳とは思えない、言葉の端々に隙のなさを感じる。
見目がこれで、こうなんだから、同級生にこんな男がいたら敵意を持つか好意を持つかの二つにひとつだ。

「ああ、彼のお友達ですか。有栖川君はここに来ても本ばかり読んではりますからね。ぜひ今度はご一緒に」
「はい是非。しかしあれは本の虫ですからね、引きはがせるか自信がない。おれと居ても入り込んで行きますからね。
 マスターとも話をしないんですか?」
「絶無、とは言いませんが、喋らへん時は本当に静かですね。内向的やし」

一応の愛想か存外ざっくばらんに彼は喋った。最初に感じた気難しいインテリ君という人物像を留めたまま、探り探り言葉を選ぶ。初見の人間相手なので有栖川も『君』づけだ。

「そうですね。でも存外はっきり自己主張するタイプでしょう。おれもそうですが」
「いかにもそんな感じです。失礼ながら」

鬱陶しくならないくらいの率直さでそう言ったら、彼はちいさくつり上がった唇の前で指を組んだ。
我々の共通の友人を肴に、ひとつふたつ相手のことを探る言葉を投げあう。有栖川の友人なら、卑怯もんはいないと思うが癖の強いのはいそうだ。おれも含め。

「私はこんな商売ですが、中学時代は割と引きこもり人間でして。そこが、気が合うところかもしれないと思ってましたね」
「意外ですね……引きこもってなにを?」
「優雅なる時間の消費ですよ。レコード聞きまくったり、本を読みふけったり。私がいるのに、あっちは無視して何か書いてたり。ええ顔で書いてるから文句も言えへんかった」

有栖川はどちらかといえば淡い顔立ちだが、小説のこととなると顔つきが変わる。アイデアは彼にとっての神なのだろう。まさに天啓を受けた彼は、光が射したように眉間が開き、磨き立てたダイヤのような眼差しになる。本格的に書きはじめたのは高校に上がってかららしいが、京都に引っ越したので知らない。何年経てもあの顔は変わらないはずだ。

「ちょっと感じ変わりますよね?」

そう同意を込めて訊ねた時、目の前の青年が一瞬笑い損ねるのを見逃さなかった。笑い損なったことを流すように視線を本に落とし、

「さぁ、男の顔なんかイチイチ見ませんから」

と元のポーカーフェイスに戻ってしまった。共通の友人である有栖川を肴に他愛無く笑えればと思ったのだが、不発だった。
それにしても木で鼻をくくった言い方ではないかと内心萎えたが、ふとその不自然さに気付く。


友人の顔をイチイチ見ない人間が、話に出てきたというだけで友人の通う店へと足を運ぶだろうか。
そういう矛盾を見つけると気になって仕方がない。ましてや彼は有栖川の友人だ。
だが、残念なことに仕事に追われ、気がつくと話す機会はオールを持って行かれた船のごとく流れてしまった。


去り際「有栖川君によろしく」と営業用の笑顔をくっきりと見せると、隠しもしない無愛想さで「ええ」とひと言だけ言ってドアの向こうに消えた。
おれはピンときた。


あぁ、彼、有栖川が気になるのだ。
同性の友人に執着を見せたからといって、すぐにソノ気がある人間だと思うのはやめたほうがいいのだが。
この道10年の勘がそうだと告げるのだ。

















ちょっとした臨時収入があったので『焙煎珈琲こうじ』を訪れた。
前回から5日くらいしか経ってないのは初めての事かもしれない。
僕は決まったアルバイトをしていないくせに、数枚の万札が手元にあるとついつい本を買い、あとは何に使った覚えがないまま消える。改めなければと思うが、この世から本と飲み会が無くならない限り難しいだろう。


梅雨入り前の夕刻はあたたかく、絹のようにさらさらの風が纏いつく。
昼から5限までをこなし、いささかだるくなった体を泳がせるようにマイチャリをこいで店まで辿り着く。
ドアを押し開けると、馴染んだ芳しい香りが出迎えてくれる。今日はボックス席がぎっしり埋まっていた。
「ああ、有栖川いらっしゃい」といつも通り穏やかな声が返って来たが、店主の手元は忙しなく動いていた。オーダーを取ってくれるまでまだ暇がいるだろうと、カウンタの隅を陣取って勝手に本を拝借する。



3ページほど読んだところで店主がお冷やとおしぼりを出してくれた。
「いつものアイスにしよか? 今日はキリマンやけど」と客の嗜好を先読みした提案をしてくれたので、活字に目を奪われていた僕は、それに頷くだけという横着を許してもらう。
物語に没頭し、時々珈琲を口に含む。



どれだけそれを繰り返しただろうか、気がつくと団体客は失せていた。

「サービスや」

そのかわり、黒蜜ときなこをたっぷりまぶされた、ふるふる揺れるわらび餅が目の前に現れた。

「うわーこれむちゃ好き! 黒蜜どろどろなんにきな粉混ぜるの堪らんわぁ、おおきに。……って、サービス受ける理由、思い当たらへんのやけど」
「君のお友達が先月来てくれてん。口コミのおかげやな」
「え、なんやその話……誰がここ来てたん?」
「知らんの? おれもその日は忙しいからあんまり話せへんかったからなぁ、顔は覚えとるけど名前聞き損ねた」

イツミは低く唸って、顎に人さし指を当てた。

「どんなヒト?」
「背が高くて、賢そうで、わりと表情がなくて、でもエラく顔立ちが良い、声の渋いお兄さん」
「ああ〜」

少し考えたらわかりそうなことだった。最近この店のことを話した相手なんて片手の数ぐらいしかいなかった。
投げかけられる断片的な人物評を組み上げてイツミに心当たりの人物を挙げる。

「若白髪いっぱいあったろ、そうそう。そいつ、火村っちゅーねん。同じ大学でタメや」
「彼とは仲ええんか?」
「まあな。あいつほどの変わりもんと始終つるんで友人やってられんのは、おれくらいや」
「ここの店に連れてきてもろうたことないって、ちょっと拗ねてたがな」
「アホかいな、タイミングが合わんだけや。あいつ冷めるまで絶対飲まんやろ? ごめんな、猫舌やから」

珈琲がいちばん美味い瞬間をいつも逃してるのだと笑うと、イツミは少し目を見開いて納得したように頷いた。

「そうか、火村さんは猫舌なんかぁ。熱々のブレンド出したら、ちょっと様子見て口付けとった。顔に似合わず……」

くくくと、口元に手を当てて笑っている。
温むまで放置したらアロマ飛びきっとるやないかっ、とか珈琲店の店主らしい苦渋の表情であってもいいと思うのだが。

「今度はいっしょに来てあげれば?」
「ん、うん」

珈琲の味わい方もなっていないくせに、火村はどうやらイツミの興味をそそっているらしい。
颯爽としたふたりに、わずかながら憧れる自分に気付いて耳たぶが熱くなった。
前に進んでる実感のない僕は、少しじりじりした。けれど、それは自分に負けじと思うからこそだろう。
もっと別なことのような気もするけれど霧が降りたように正体は隠れてしまい、はっきりしなかった。
「わらびもち一皿でどうこうしてやろなんて思うてへんから」

生米を噛んだように躊躇している僕を見て、勘違いした店主は促すように手を扇いだ。
大好物の甘味をそっと引き寄せると、甘いのにしょっぱさが口の中に広がっていった。















火村と顔を合わせてもイツミの店の件は話題にならなかった。
じゃあな、と講義室前で別れた後「あ、また話題にし損ねた」と思うのだがレオパルト(チャリのあだなだ)に跨がって校門を飛び出し、京阪の駅に着く頃には直前まで話していたことに思考がスライドしていた。
それでも自主的に店へ足を運びながらそれを雑談にもしない火村が、何を考えているのかは気になる。今度一緒にとも考えてるし旧友の店の印象とかあの口から聞いてみたい。
しかし短い休憩時間には、話すべきことから話してしまうし脱線も多いので、いつも聞けずじまいだ。



そんな、川のように取り留めなく流れる日常ってやつを過ごしていたら一週間なんてあっという間で、今日はきたるべき木曜だ。
初夏というのは暦の上の話にも関わらず、月岡さんは白っぽいワンピースを着て現れた。革の編み上げサンダルを合わせておりいっそう軽やかだ。
待ち合わせ場所に指定した吹き抜けのロビーはちっとも空調がきいてなくて蒸せていたが、羽織ったカーディガンの淡い黄色がミモザみたいに可憐で、さらりと揺れると湿気も吹き飛ぶ。可愛いだけじゃなく雰囲気がいい。火村がうらやましい。

「お待たせ。ちょっと遠くの教室やったんよ。今日は、えと、お邪魔します」
「かしこまらんでええって。あいつ、愛想ないかもしれへんけど、猫の話は有効やねん」

食卓についてすぐに膠着するであろう会話の助けになれば、と耳打ちする。
目を爛々とさせて、「よかった、ウチも猫おるから」と月岡さんは胸の前で手を組んだ。こちらを見つめる眼差しがキラキラしい。うん、おにーさんが力になってあげるからね! アドバイザーのポジションに胸をときめかせていると、人込みを縫って当人がやってきた。湿気がまとわりつくのが鬱陶しいのか、不機嫌そうに髪をかきあげている。

「アリス……?」
「おはよ。今日、友達も一緒してかまへん? 同じクラスで月岡季実子さん言うねん」
「こんにちわ。お邪魔やったらごめんなさい」

健気に顔を上げて、高い位置からほぼ無表情で見おろしている火村に言う。その姿は、子リスがシェパードと対峙しているようだ。

「………こんにちわ」

地を這うバリトンに月岡さんが少し怯む。なんだって可愛げのある挨拶をできないのだろうか。火村は興味無さげに首を回すだけなので、僕が取りなす。

「邪魔やあれへんって。な、火村」
「どっちでもいい」

そう言ってちらりと僕を見る視線に含むものを見つけ、幸先の悪さを感じた。その目の色を言葉に表せば「おれに何の用だよ面倒くせぇ」、だろう。贅沢ものめ。
なぜ火村は、いつもいつも周囲にいる女の子の魂胆を見抜いてしまうのだろう。


ひょっとしたら1/100の確率で僕目当ての同席、ってこともあるだろうに。そんなことないとか考えているのだうか。
だとしたら、ちょっとムカつくんですけどー。僕だって女の子に告られたことぐらいあるんですけどー。


月岡さんに肩入れしていた僕は、火村の態度への抗議もこめて進んで会話を盛り上げることにした。平和的抗議は有効で、なんとなく座のムードは良くなり、火村も少し笑った。月岡さんにではなく、僕の天然ボケに対するツッコミだったのが残念だが、月岡さんは終始微笑んでいた。
ああ、女の子とお昼って青春やなぁ。そして僕って単純やなぁ。友達目当ての子だと知ってても、一緒にメシ食うと楽しいのだから。


また、少し日にちを開けてからお昼一緒させてね、と別れ際彼女は僕に耳打ちした。
僕を頼っているようで、実は作戦上手かもしれない。


耳が少し熱くなるのを揉んで散らしていたら、火村はごていねいにも「おまえそこが感じんのか?」とお寒いことを言い放って冷ましてくれた。
なんちゅうことを廊下で堂々とゆうてくれるんや。軽く蹴りをいれたらかわされた。
今に見とれと思いつつ、午後イチの講義は火村も聴講に来るので肩を並べて歩いていると、僕のどちらかというと繊細な首へ横ざまに腕を巻き付けてきた。

「おい、アリス今日のあれはなんだ」
「横からヘッドロックはやめえっ、うっとうしい」
「おれの息苦しさはこれ以上だったね。なんなんだ突然同席なんかさせやがって、のんびりメシも食えない」
「あほぅ、女の子が一緒にメシせんかゆうてるのを断れるわけがない」

逃れるようにもがきながら歩くと、思いのほかすんなり腕が解かれた。火村は細いが筋肉がついてるのでムチのように巻くのだから苦しいったらない。大げさに深呼吸しながら階段を上る。火村もぴったりついてくる。

「ロクなことにならねぇよ、そういうの」
「失礼やなぁ。女嫌いもたいがいにして誠実に応じろよ」
「おお神よおれの親友が蛇に魅入られています救いの手を」
「きみのとっての神はおらんのやろ」

ぴたり同じ歩幅で歩き大講堂に辿り着いた僕らは、衆目の中話を続ける気にはなれず黙って席につく。表面上は話を終えたのだが、広げたノートに火村のシャーペンが伸びてきて何事かを書き付けた。おい、ひとのノートになにをする。
さらさらと神経質な文字が綴った言葉は、実に無神経だった。

『目が濡れてる女はやめとけ、惚れっぽい』

僕はアホか、と品のない言いがかりをつける友人の肩を小突いたが、むこうは素知らぬ顔である。








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