闘病記 私は北海道で農家の3男として生まれました。何が自慢といえば誰よりも「頑健な身体」でした。動物用医薬品メーカーの営業マンとして、日本全国、15回も転勤しながら元気はつらつ、やる気まんまんの充実した30余年でした。 しかし、いま思えば10年位前から、尿が2つに割れて出てきたり、少し出が悪いかナ、程度の自覚症状はありました。事の起こる3〜4年程前からは、お尻や腰、膝に神経痛のような痛みを時折感じていました。 それが平成10年の夏、突然、尿が出なくなりました。これにはびっくり、泌尿器科に飛び込んだのはいうまでもありません。検査、診断の結果は「前立腺がん」。それも末期のがんであるとの診断でした。 私も、それなりに末期のがんについて、考えを巡らしました。私は、「半年持つかどうか」と医者から「さじ」を投げられた状態で、病院のベットに身を横たえ、死を待つことを潔しとはしませんでした。自分の身体におきた最悪の不祥事は、自分の身体に備わっている自浄能力(免疫力)で治そう。「がんなんかに負けてたまるか」。「絶対に治してみせる ・・・・・」 と。 これまでの人生にはなかった、真に命を懸けての闘いが始まりました。 1.治療前の自覚症状 2.検査・診断 3.告 知 4.通院・自宅療養 5.療養開始時の症状 6.療養開始 7.経 過 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.治療前の自覚症状 2.検査・診断
3.告 知
4.通院・自宅療養 即入院するよう泌尿器科の医師から強く勧められましたが、抗がん剤や放射線を投与 されながら、一時は良くなっても亡くなって行く人を幾人も見ていたので、自分は通院・自宅療養で克服することを心に決め、医師に強く申し入れし、了解を得ました。死ぬなら自宅で、と思っていたからです。 医師からは、
そして、「がんにブレーキ・免疫にアクセル」の理屈に合ったことは、何でも取り入れ、プログラム化し、がんに打ち勝つ強い意志を持って徹底しました。 5.療養開始時の症状
6.療養開始 通院による投薬治療と、食事療法を中心とした代替医療を、併せて徹底するため、入院せず自宅療養の道を選びました。 @ 泌尿器科医師の処方箋による投薬治療
これは、自分1人の力だけで、出来るものではありませんでした。心労から妻も衰弱してしまった時期があり、そんな私達を支え続けてくれたのは、2人の娘達でした。長女はゲルソン療法食や食材の吟味・調達などに、全力を注いでくれ、食事は、家族全員が同じものを食べました。次女は、サプリメントや薬品についての情報を集め、適切なアドバイスをしてくれました。 ● 食 事 星野式ゲルソン療法食を1年間徹底的に行い、その後、東城百合子氏(栄養士・あなたと健康社主宰)が指導している自然食を併用しました。現在は、この自然食を基本に続けています。 * 星野式ゲルソン療法食のポイント *
7.経 過 食事療法を主体とした体質改善を進めたことにより、1ヶ月で私の身体に急速な変化がでてきました。 がんとのつきあいは、これで終わりという事はないと思います。 現在、私の身体は、定期検査の結果をみても、良い数値で静かに推移しています。 しかし、がん体質である以上、「がんにブレーキ・免疫にアクセル」の生活を、この先ずっと続けなければならないと考え、実践しています。 こんな私にも、今までに、何度か迷ったり、気が滅入ったりした事がありましたが、それを長く引っ張らず、すぐに気分を転換し、信じる道を歩いて来ました。今振り返って見ると、がんは、絶対自分で治すという気概と、プラス思考が、ストレスの排除にもつながり、免疫を高め、がんを克服出来たものと思っています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Copyright(C) GANKOKUJIN All rights reserved. |