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ブログ的独り言

10月30日(金)
(封印を解く)
険しい地形の弱点を巧みに突く登山道だが、入山口より2つ目の沢を過ぎて尾根に回りこむまでの下が観光客が大勢歩く遊歩道であ り、落石を起こせば大事故につながる。入山には混雑する休日を避ける、スタート時間は早目に等の配慮が必要であろう。ネットで見つ けて安易に立ち入らないよう起点の写真は掲載せず、GPSのログも判読しにくくしている。経験を歌ふうに表現すれば下記になる。聞 き取りで得た情報もこのくらいである。

朝日さす 岩を伝いて 沢の中 天にいたれば 覚円の想い



10月27日(火)
(伝承のウラをとる)(伝承のウラはとれない)
覚円峰岩頭部の実際の広さと伝承?があまりに違うためスッキリしない。そこで”数畳”の根拠を探ってみることにした。その記述のある パンフに”観光協会”の名があり住所が甲府市役所である。しかし行ってみると実体がない。同じ窓口の観光課によれば根拠となる出 典等の文書、蔵書はなく現地の伝承、口伝えとのことである。それで観光協会は地区輪番との事で連絡先をもらって行ってみることに する。いきなり沼にはまりそうだ。

向かったのはロープウェイの職員室。経過は長いので書かないが、口伝えの伝承であり、出典は存在しない、伝承にはかつて昇仙峡 を訪れた文人墨客達の想像が織り込まれており”数畳”は頂上に立って見た描写ではないなさそうということである。甲府市もその文言は 案内から外すようにしているとの事である。

*覚円峰登山禁止の風評確認
地区住民1名と消防団員2名の聞き取りにて、覚円峰の登山については禁止も規制もしていない、数年前の滑落事故(覚円峰、木のハ シゴ、当事者は警察官と聞きとれた)後においても状況は変らないとの事である。甲府市の見解は10月16日の書き込み参照。


10月22日(木)
(覚円峰の頂上は20畳敷だった)
覚円峰にいたるルートの探索は終了した。あとは踏査するだけである。それで前半の遊歩道への落石厳禁個所の安全通過をもくろん で土産物店が開店する前をねらって家を出る。事前探索の経験から登山道は廃道化しており、ハシゴ、フィックス、ステップ(残骸はあ る)の援助のない難儀な道のりを覚悟する。バリで例えるなら坊主岩、鞍掛沢のアプローチ、尾白川渓谷道(の奥)あたりの、距離は全 然短いがそういう面倒と困難さである。仙ヶ滝上〜弥三郎岳のコースに比べれば格段の違いがある。

山頂の状況を文章だけで表現すれば弥三郎岳山頂の描写になってしまうだろう。共通して有るのは岩に穿たれた階段と花崗岩の岩 頭、松である。弥三郎岳は周辺の最高峰であり視界をさえぎるものはないが、ここは西側に屏風のように弥三郎岳が聳えている。現状 の弥三郎岳には木の階段、ハシゴ、ロープと鎖の手すり、三角点などがあるが、ロープウェイがなく、工作物も殆どない時代の昔語りを 聞くとややこしい。描写パーツが少ないと混同する。

山頂の広さは地元の人達の話通り、20畳敷きとするのが妥当だろう。自分の見積もりでは広すぎる。しかし、”数畳”はあり得ない。出 所は定かではないが、ネット情報の危うさを感じる。検証もせずにコピペするとやがて拡散し”既知の事実”になってしまいかねない。

覚円峰頂上手前のステップ
岩の階段はこんな感じ、意外に小造り。

覚円峰の頂上
頂上平坦部の広さはウチのLDKと同じくらい(笑)、1段低い隣の岩との間に深いギャップがある。怖くて覗き込めない。弥三郎岳の頂 上に似ているが決定的に違うのは凄まじい高度感と

覚円峰背後に聳える弥三郎岳
背後に弥三郎岳がそびえていること


10月20日(火)
(岩階段があるなら登山道がある)
実は日曜日に新たなルートの探索で弥三郎岳の登山口に向かい、地区2名の年配者から若い頃に覚円峰に登ったとする体験談を得 ている。それによれば岩の下を伝い、沢を渡り、鎖を登り、頂上は20畳くらい、弥三郎岳山頂と混同はしていない、岩の階段は2名とも (土曜とあわせ3名)記憶にないとのことである。その登山道は山梨大学山岳部も踏査しているとの事である。

岩階段を誰も認識していないのが気がかりだが頂上面積が自分の検証結果とほぼ一致するので事実に違いない。20畳というのはど こにも情報がないから経験者しか知り得ない。

それで弥三郎岳の帰りにそれらしき場所に向かってみた。RCCボルトが目立つ壁を見上げながら薄い踏み跡を伝い、沢を横切り、ミッ クス壁をジグザグに上がると錆び切ってる標板(旧羅漢寺下降口のと同じ)と苔だらけのフィックスロープが見え確信を得る。岩に赤ペン キでキケンの文字。足場がなく微妙な体勢でずり上がる。フィックスは怖くて使えない。しかし、ここで弥三郎岳の往復でカメラがバッテリ ーを使い切り動作しなくなる。ここまでとして再訪を約す。帰りは数mだが補助ザイルで懸垂下降する。


10月19日(月)
(数畳ではない)
覚円峰を滝上登山道(仮称)の上から撮った写真があり拡大したら岩階段が確認できた。斜め俯瞰なので岩頭の広さが把握できる。ス テップ3段分を1mのスケールとすれば頂上平坦面の面積は畳換算で25〜30畳程度である。伝承によれば”数畳”と表現(出所不明) されているらしいが、感覚のズレがあっても違い過ぎる。日常的に座禅をしていたなら間違えようもない。よく見ると段差の手前に平坦 部があって6〜8畳分位の広さである。甲府市の掲示文に”数畳”は謳われていないが、もしも伝承にそれが含まれているなら覚円は段 差で岩頭に立てず、手前の数畳の平坦部で座禅を組んでいた可能性が高い・・・。

それとは別に、先週土曜日に現羅漢寺に掲げられている絵図に読めない字がある為、羅漢寺に出向いて住職に聞いてみようとした。と ころが玄関が閉まっていて人の気配がない。そこで朱印があると書かれている店でほうとう鍋を注文しがてらたずねてみると住職は湯 河原に住んでいるという。その際に覚円峰についてたずねると昔登ったことがあるという! 年配の女性で昇仙峡地区の出身だそうで ある。真偽の確認の為頂上直下で岩階段を登ったかと訪ねると言葉に詰まる。弥三郎岳の間違いではと問いただすが、応答は途切れ た・・・。

覚円峰頂上面積
 著作権あり、無断転用転載禁止。


10月16日(金)
(登頂禁止ではない)
国内有数の観光地にあって、その核心をなす場所で、誰からも認知されないスポットが残っていた事に驚きを隠せない。今日、甲府市 観光課に覚円峰登頂の可否について聞いてみたところ、ハーケンや埋め込みボルト、自然を傷つける行為や人工物の設置は不可、根 拠は自然公園法にあり登頂禁止はしていないとのことであった。また岩の階段の存在は認識していないとの事であった。

自然公園法の前身は昭和6年施行の国立公園法であり、岩のステップの施工は以降の年代では不可能であろうと考えられるから覚円 の時代に穿たれた可能性が高い。あとは現場に立ち風化の程度、他に時代考証可能な工作物や残置物がないかを確認すればいいだ けである。それにしても岩頭へのアクセスが解決しても、尾根に達するルートの発見は困難を極めそうだ。


10月15日(木)
(覚円は頂上に達していた、そして頂上で修行していた)
 今日は現羅漢寺から羅漢寺沢(勝手に命名)を詰め双耳峰の弥三郎岳の中間に食い込む沢をたどって上へ向かってみた。この沢は (並行する尾根も)上に行くほど急で、途中幾重にも花崗岩の岩壁が横切っている。岩壁の弱点を探りながら上へ横へ向かうとやがて 双耳峰中間の鞍部に出る。そこから滝上登山道を白砂台地(勝手に命名)へ下り、覚円峰頂上へのトラバースルートを探るが、急峻で ザイルの使用抜きでは進行不可能となる。これは違うと判断し、そのときに樹間に見える覚円峰の頂上直下の段差を注視して唖然とす る。かなり遠く見間違いかもし れないが、人工的な幾何学模様が存在していて岩に穿たれた階段に見える! とりあえず画素最大(光 学)望遠で写真を何枚も撮り、自宅に戻ってアップしてみたが間違いではなかった。 これはもう、言葉にできないほどの衝撃だった。頂 上に辿りついてみたら、ボルトアンカーが打たれていたくらいの想定はしていたが、遥かに想定を超えていた。
 覚円峰はどこから登るにも困難であり、弱点を縫って岩頭に到達しても最後の段差に阻まれる。その問題となる個所に当時の僧が日 常的に座禅に通う為に岩の階段を穿ったであろう事は十分考えられる。旧羅漢寺周辺に点在する石碑や石塔を見れば彼等が花崗岩 の工作に長けていた事は一目瞭然である。
 後世に観光や一般登山を目的に(どういうルート)岩頭に岩のステップを工作したかについては検証の余地がある。少なくともWEB上 には伝承以外の記述はないし、登山者、クライマーがステップを発見、またはそれを使って*)覚円峰の岩頭に立った記録や記述も皆無 である。

*)覚円峰に登頂したとするブログ、HPを検証したが、弥三郎岳山頂と誤認しているようである。ルートの状況からして、記述者における 登山暦、登攀暦(があるか)なども参照させてもらった。


渓谷道に掲示されている。

以下写真は門外不出としたいが公開する。著作権あり、無断転用転載禁止。
滝上登山道から覚円峰頂上
覚円峰頂上拡大、段差階段
頂上直下の段差を越えなければ岩頭にあがれない。まさにその場所に岩の階段が掘られていた。間隔の離れている両足ステップで懸 垂体勢で登下降するような感じか。かなり怖そうだ。


10月14日(水)
(覚円峰の頂上とは)
 覚円峰の頂上の状況は”伝承”以外に何も記述がないが、頂上は自分が確認したかぎりではやや傾いているものの平坦であり座禅 を組むのは可能である。畳数枚の広さというのも現実的である。ということは誰かは定かでないが確かにこの場所を眼前にした人物が 過去にいるという事である。
 当時の荒川昇仙峡は現在のように渓谷沿いの遊歩道がない。現場の荒川は水量が豊富で流れも早く遡上は困難である。よって旧羅 漢寺〜渓谷からの取り付き、つまり覚円峰の左右の沢(ルンゼ)をアプローチとする案はありえない。残るは北側の滝上登山道からの アプローチのみである。

覚円峰頂上
滝上登山道(仮称)から見た覚円峰の頂上。昇仙峡に向かって切れ落ちる様は圧巻である。よく見ると頂上直下に段がある、ここをノー ザイルで登下降できなければ伝承は作り話である。尾根上には頂上が平坦な小岩峰が確認できるから、そこで修行をしたとも考えられ る。いずれにせよ尾根に行き着けなければ話にならない。(9月12日撮影)


10月12日(月)
(初冠雪)
季節が進んで富士山が雪をかぶった。もうすぐ自転車(+登山)もシーズンオフになるが、今年は山梨百名山の登頂件数がグンと少な い。それは近場の山が売り切れて、ロングライドが必要な山、体力が必要な山ばかりが残っているからである。体力勝負や長丁場の山 登りというのは、若いころに縦走登山を殆どやっていない自分には不得意科目なのである。


初冠雪した富士山。夕撮り。


白根三山も初冠雪。朝撮り。


10月8日(木)
(現地で役に立つか)
常用しているGPSはGarmin Dakota20の英語版で購入価2.5万円のものである。Ni-MH(単三)2本が電源で分厚く、重く、自転車のハンド ルに装着すると超かっこ悪い。しかし登山用の地形 図を仕込んでおけば自転車、山スキー、登山とこれ一個でなんにでも使えて超便利 である。外部センサーを装着すればケイデンス、心拍数(無線交信)も表示できる。薄く軽いEdgeシリーズのハイエンドを検討したことが あるが、登山用の地図ソフトが貧弱なのと現地で内臓充電池が切れるとお終いになる為、購入を見送った経緯がある。

道路地図にかなわない
が登山地図で実用上問
題なし。ナビが重要。ナ
ビとは設定ラインが表示
され、自者マークが常時
中央にあり目的地への
移動に伴い地図が自動
スクロールすることをい
う。移動すると自者マー
クが画面から消える使
い方をしているのはオ
バカである。
これはEdgeでは無理
ハートレイトモニターを
装着すれば心拍数のモ
ニターができる


10月7日(水)
(近場を探す)
 木枯らしかと思うような北風の中、気になっていた千代田湖西方の片山というところへMTBで向かってみた。
 道順はプチ昭和レトロの湯村温泉郷を抜け、羽黒町から千代田湖へ向かう。頂上への途中でダートが分岐していて、ハイキングコー スに 導かれる。多くのコースがあって上級者向けは手強い。全コースの標高差は200m程度である。このあたりは検索をかけてもMT B関係の記事は一切ない。帰りは追い風の中、車を完全追走しながら自宅へ戻る。


9月19日(土)
(名山の登り方)
 弥三郎岳山頂に達すると三角点で終わり、来た道を下るしかないが実は先がある。山頂東側の下に”この先行き止り”と書かれた札 があり、松の疎林を下ると竹の手すりや針金の柵の残骸がでてくる。枝が伐採されていたり針金が巻かれていたりと昔の登山道の痕 跡に違いない。山頂直下の南側をトラバースして踏み跡らしきを進むとニセ弥三郎権現下の展望岩に出る。つまり、これを逆に辿れば 手すり、はしご、岩のステップのほとんどを使わなくても山頂に達する事ができる。現登山道(遊歩道)はロープウェイで上がってくる観光 客が革靴でもいけるように工作物を完備するいわば新道である。
 旧道はロープウェイができる以前から往来のある伝統的な道である。踏み跡を外さなければさしたる困難もない。仙ヶ滝上から豪快 に弥三郎岳に登り、旧羅漢寺の跡地から渓谷道へ下る先日のコースこそ山梨百名山、羅漢寺山の登山コースとしてふさわしい。この 他にも、羅漢寺の修行僧がかつて行き来したであろう甲州天台山羅漢禅寺図に描かれている一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳、権現持?殿、石 橋岩がどこにあるのか、僧侶覚円が修行したとされる覚円峰頂上にいたるルートの探索等この奥深き山への興味はまだまだ尽きな い。


弥三郎岳山頂東側下にある旧登山道の痕跡。


山頂南面下を踏み跡を拾ってトラバースする。


花崗岩に彫られたステップは元に戻せない、取り返しのつかない自然破壊である。いつの時代に掘られたものか。


旧羅漢寺への降り口にあるかろうじて羅の字が読み取れる札。


9月15日(火)
(山名の謂れ)
羅漢寺山の名の由来は羅漢寺にあり、弥三郎岳は羅漢寺の寺男、酒作りの名人弥三郎にある。その由来の寺とはどこにあるのか。 現羅漢寺は場所を移して再建されたものであり、はるか沢奥に旧羅漢寺の遺構があるらしい。それで12日は祠の清掃のついでに立ち 寄ってみることにした。場所はロープウェイ山頂駅舎から獅子平に向う登山道を下って鞍部から広い沢の源頭をしばらくは踏跡を下り、 鞍部から20分くらいで到着する。出だしは明瞭な踏跡も下るに従い怪しくなる。上から来て、どうやって降りるのか迷う様な大きな段差 を下ると妙な平坦地に降り立つ。振り返ると羅漢寺の土台となっていた石垣が忽然とそこにあった。

本堂跡の平坦地で感じにくいが薄暗い沢斜面の中途にあり、ここに寺があったのか、と驚くような場所。当時は修行僧が羅漢寺山一帯 を修行の場とし、その拠点として盛んに行き来があったらしい。

旧羅漢寺からそう遠くない岩でボルダーリングをしていてビックリ。下り途中の岩にもチョ−クの跡。

現羅漢寺は渓谷道路から羅漢寺橋を渡って対岸にある。羅漢寺縁起という看板には甲州天台山羅漢禅寺図という絵図があって、それ によれば弥三郎ヶ岳と書かれた山は双耳峰の右方(県営駐車場から見て)にあたるようだ。
説明には「頂上には天狗三郎現権を祀り・・」とあって内容に興味はあるが誤字が多くてちょっとガッカリ(笑)。


9月12日(土)
(清掃登山)
弥三郎権現と神社道の清掃に出かけてみた。

取り付きの看板裏。落石防護フェンスをくぐるところに枯れ枝がつまって通過不能なので除去する。(写真は除去後)


尾根に上がるまでも踏み跡への枯れ枝の落下が多く、除去しながら上に向かう。くもの巣がやたら顔にかかってうっとおしい。人が立ち 入っていない証拠だ。


覚円峰頂上と同高度のあたり。ここからのトラバースは50度以上の斜面を横切ることになり厳しそうだ。


これの撤去は無理。細いのだけ除去する。

尾根に上がる登り重要地点。5年前に巻いたテープは劣化して変色していた。これに気がつかずに直進すると難路に入ってしまうので 通行止め表示木を追加しておく。今回は直進して岩屋、鎖場系由で弥三郎権現に向かう。


弥三郎権現下の鎖場。針金でとまっているだけなので支点の鉄棒に鎖を巻きつける。ここは下からは見えない。もう一箇所鎖場があっ たはずだが、今回は発見できなかった。

本日目的の弥三郎権現。外れかけの賽銭箱の側板を修復し、カップ酒の空き瓶を8本回収。ラベルのある2本は水が溜まらぬ様逆さ にして残す。南壁の中段なので落っこちないように作業する。


欄干があったりして凝ったつくりだ。


この先の神社道をふさぐ2本の細い倒木はどかして谷側へ並べる。


神社道の仙ヶ滝下り地点。行き先表示板が着いている木の根元に針金がくいこんでいるので外そうとするが吸収されていて外せず。通 行止め表示木は追加。


帰りは旧羅漢寺の遺構を系由して市営駐車へ戻る。




9月9日(水)
(ツーリングコースではない)
金桜(かなざくら)神社から羅漢寺山へのコースはMTBの走行記録が全く見当たらないが(ネット上)、今回載せてしまった以上、誰か が検索で見つけて真似してくるに違いない。観光客の多い山頂の遊歩道をMTBで傍若無人に走り回れば、今後乗り入れ禁止の処置 がとられるのは必至であろう。(弥三郎岳以外は小技を利かせれば走れる)ロープウェイ稼動前の早い時間に山頂到着するなど、配慮 とマナーをこころがけたい。昇仙峡は甲府駅から近く、輪行自走は容易だし、ロープウェイ下駅舎の荒川対岸に市営駐車場のトイレが あって外の流しでMTBを洗うこともできる。

山頂稜線は白砂青松、展望抜群。


9月5日(土)
(弥三郎権現にお参り)
5年前に山梨百名山の羅漢寺山のつもりで訪れた弥三郎岳。後で調べると羅漢寺山とは
・金剛峰→パノラマ台
・鷲ヶ峰→展望台
・弥三郎岳
の総称らしい。
前回弥三郎岳と展望台には足を運んだが観光客が群がるロープウェイ山頂駅のパノラマ台には行っていない。そこで今回ようやくの晴 れ間を突いてMTBで上がってみた。


昇仙峡を代表する景観、弥三郎岳と覚円峰。あの頂の向こうがMTBの到達予定地だ。

金桜神社手前にある羅漢寺山の登山口。奥へ向かって林道が伸びる。


道半ばで舗装からダートに切り替わる。


最後はここを上がると、、


うぐいす谷展望台。すぐ上が、、

昇仙峡ロープウェイ山頂駅に到着。看板に埋もれる山梨百名山の標柱を発見。ここまでの乗車率は時間割で70%。


鷲ヶ峰の展望台へ。木の階段や岩の足ツボは担ぎ、木の根を痛めそうなところは乗らない。


弥三郎岳手前の鞍部にMTBデポ。


5年ぶりの弥三郎岳山頂。三角点周りの意味不明な小銭が汚い。土台が凹んでいるのが、、。

帰りは神社道へ寄り道して弥三郎権現にお参り。ここまで倒木が踏み跡を塞いでいるし、社の周りはカップ酒の空き瓶(全部中身なし) が10個くらい転がっていて荒れ放題。いずれ藪払いと空き瓶回収に再訪せねば。


5年前に設置した三叉路の行き先表示版は健在だった。ロープウェイであがってきて安易に仙ヶ滝への道に踏み込まないよう木に隠れ て山頂方向からは見えない大きさと位置。


登山口に下りつき、ミッション完了。途中で登山者6名に出会う。下りは山頂駅から乗車率100%。

自宅 7:34(246m)
登山口 9:09(814m)
パノラマ台 9:56(1025m)
展望台 10:03(1042m)
弥三郎岳 10:15(1058m)
弥三郎権現 10:36(1038m)
登山口 11:06(814m)
自宅 11:56(246m)


8月28日(金)
(ボトルケージの台座がゆるむ)
ネジがシッカリしまっているのにMTBのボトルケージがグラグラするので原因を探ると、台座 ナットとフレームの嵌合が緩んでグラグラ になっていた。カーボンフレームでボトル満タンにして激しい振動を受ければこうなるのは仕方ないが原因はそれだけではない。このま まではボトルをつけられない。


台座ナットとフレームベース(カーボン)との嵌合が緩んでグラグラ。


@MTBに使用のボントレガー製
取り付けボルトを介して台座ナットに全荷重がかかる。世間
に出回ってるのはほとんどこのタイプ。
Aロードバイクに使用のTacx製
取り付け穴の段差外周で台座の出っ張りを逃がしフレーム
に荷重をかける構造。他社製には無い優れもの。

対策)
Aはグラグラな台座ナットでもガッチリ固定できる。Aを使えば解決するがデザインがしっくりこないのと軽量性(19g)から@にこだわ る。要はフレームから出っ張る台座ナットの径と厚みを逃がす樹脂ワッシャーを入れればAと同じ構造になるが、そんな都合の良いも のは無い。そこで自作する。

対策前
知らずに使い続ければネットでよく見るように嵌合部の破壊
が進んで台座がフレームから抜けてしまう。
対策後
外径15mm、内径10mm、厚2.5mmの自作樹脂ワッシ
ャーを入れたらケージをフレームにガッチリ固定できた。最
初からこうすれば台座ナットへの荷重集中が避けられる。

DIY)

2.5mm厚発泡エンビシートを15mmの特大穴あけポンチで打ち抜く。


10mmの穴あけポンチで中心を打ち抜いて出来上がり。マジックで黒く塗って完成。黒いシー トがあれば ・ ・


8月16日(日)
(問題がないと見ない)
ふと我に返って自宅から湯ノ沢峠までの標高差を見たら1406mだった。柳沢峠の標高差より大きいのに身体上の問題が出なかった から雲取後の対策が効いたわけである。以来サドルはファルコンを使っているが若干問題を感じ始めている。登りでシビレが出るの だ。もも内側に当たるスロープが急激すぎて血流を圧迫しているのが原因らしい。乗り方でごまかしているが根本はここの形状を変える しかない。ベースにカーボンが入っているがはたしてヒートガンで曲がるか。


最近の愛宕山出動はMTBばかり。先週はなかった倒木が道をふさぐ。フロントアップや両輪ジャンプの練習にはもってこいだ。10回失 敗して乗り越え成功。登り方向は難しい。


見晴らし展望台に寄り汗を拭く。


掃除して出る


帰りは科学館の裏手からここへ下ってくる。


甲斐奈神社の元宮(跡)というのがあって展望抜群。愛宕山は甲斐奈山とよばれていたらしい。


7月26日(日)
(山から帰ったら)
 山から帰って夕方、玄関先で赤黒い8本足が動いていた。マダニである。それは足で踏みつけたが、翌日になって同じのが部屋にも いた!気色悪いのでつぶしてしまったが、衣類、ザック、靴などに付いて持ち込んだらしい。ツメでつぶすがとても硬い。低山では獣を狙 って普通にいるらしい。捕虫網を草むらで数回振ると付着してくるそうである。で取り付かれると皮膚の柔らかいところに食い込んでとて も痛いし深刻な病気にも感染する。過去2度食いつかれ、祖母傾の沢では帰宅後にインフルのような激しい関節痛に苦しめられた。帰 ったら頭髪をクシでとかし、山衣類は即洗濯、移動先をくまなく掃除機がけしたら目視で確認すべきだろう。ザックの内外、装備品のゴ ミ、靴底や自転車の泥も要注意である。


7月24日(金)
(コースタイム)
22日の集計をしたら下記になった。

所要時間)
湯ノ沢峠〜景徳院 MTBライド  3:26
大谷ヶ丸〜滝子山 登山往復   2:19

いずれも休憩、登山と自転車の切り替え、登山者夫婦と長おしゃべりを含んだ時間だから早い方だと自分では思う。MTBはXCカテゴ リーへの強いこだわりで普段と変えないブレない仕様。ハンドル幅のみ540mmから580mmへ恐る恐る、タイヤもいつもの26X1.9 5でブロック浅め、軽量タイプ。


7月23日(木)
(帰ってからパンク) 
 山から帰って1日経過。MTBのタイヤの空気が抜けていたので入念にチェック。しかし原因不明。タイヤもホイールも該当個所になん ら問題なし。で修理後数時間でまたしても空気抜け、? 数センチ離れた同じリムテープ位置(チューブレス構造でリムテープは無い)で ありえない個所でこれは変。同じ確認をさらに念入りにするが不明。修理数時間後、またまた空気抜け、、?? 以上の3箇所は一列 に並ぶ。タイヤセットはロゴ中央でバルブと合わせているから位置の特定は出来て等間隔に数センチ離れて3箇所は別位置である。手 で引っ張って拡張すると他の場所も同じ線上にピンホールが並んでいた。
 これは製造上の問題であろう。使用開始して数年もたっているから責は問えないが、メーカーへのフィードバックは必要であろう。
 パンクは原因が様々で経験ではタイヤへの刺さりモノが大半だが、これは珍しい。最初から潜在していることは怖い。製造元は日本 のB社へOEM品の供給をしている有名自転車タイヤメーカーである。


内周りム面で同一線上に等間隔にならんでいるのがおかしい。


7月22日(水)
500円札の絵柄(裏)の一部になってる滝子山に行き先を決める。周辺はMTB向きのトレールの宝庫である。ここだけを登るのはもっ たいない。


05:05 自宅出(246m)
06:27 国道20号景徳院入口(669m)
09:19 湯ノ沢峠(1652m)
09:48 大蔵高丸(1781m)
10:08 ハマイバ丸(1752m)
10:52 米背負峠(1538m)
11:24 大谷ヶ丸(1643m)
12:31 滝子山(1720m)
13:43 大谷ヶ丸(1643m)
14:18 コンドウ丸(1392m)
14:31 曲り沢峠(1372m)
14:38 景徳院下降口分岐(1230m)
15:24 景徳院(770m)
16:42 自宅着(246m)


7月16日(木)
26のフレームは手持ちのパーツを生かすための手段で、タイヤサイズが大きければ(27.5 X2.20以上)リア側のクリアランスがギリ ギリか擦る可能性がある。Fサスは余裕で共用可能。新たに本体一式を購入するなら27.5一択だろう。しかし27.5は現状タイヤの バリエーションが少ないから(チューブも)導入は早まるべきでない。29はどう検討してもおかしい、よほどの巨漢でなければあり得な い。いい面だけを謳うセールストークに騙されて早々に購入した者は散財と無用の長物に苦しむだろう。


7月15日(水)
2015年度、GINANTはMTBのサイズラインナップを27.5に統一してきた。これは29と26に対する優位性を27.5に確認した結果 だという。巨漢自転車企業が先鞭をつけたことで、混迷するオフロードバイクのサイズバリエーションは27.5inchへ統一の方向に向か うだろう。27.5は26のフレームはそのままでホイールだけを換えればよい。


オフロード走行は自然との人馬一体の格闘技。山スキーに匹敵する面白さがある。
"道路自転車"で道路をタラタラ走っていたって面白くもなんともない。


7月12日(日)
山梨百名山の源氏山へ。帰りは熱風地獄。

4:44 自宅発
6:35 林道伊奈ヶ湖大久保平線
6:54 林道丸山線
8:47 林道足馴線
8:56 源氏山登山口
9:50 源氏山
10:38 源氏山登山口
12:42 自宅戻り


県道108号をゴンゴンと上がってゆく。肌寒いくらいの気温だが坂がきついので汗だく。


伊奈ヶ湖の手前で林道伊奈ヶ湖大久保平線に入る。


林道丸山線に合流。”くしがた山”の案内がある。


丸山林道は1.5車線幅、時折後ろから車が来るので注意。湘南、袖ヶ浦、八王子、山梨、、、


唐松がいい。


2011年に遭遇した法面崩落個所はきれいに補修されていた。


雲がいい。


丸山林道はこの先ゲートで通行止め。ここは広いスペースがあって源氏山に向かう登山者は車を置ける。右は池の茶屋林道で櫛形山 の登山口へ。


丸山林道から林道足馴線へ入る。


ダート


高みに指導標があった。林道が出来る前の登山道の跡か。


最初の登山道の取り付き

その数100m先にもある登山道の取り付きから上がる


アップダウンを繰り返して


山梨百名山、源氏山1827mに到着。終始展望無し。櫛形山に比べれば訪れる人の少ない寂峰である。


6月24日(水)
5年前に自転車+登山で訪れた帯那山に自転車だけで登ってみた。標高差1190mの4時間旅。

09:46 自宅発
12:26 帯那山
12:39 奥帯那山
13:46 自宅戻り


要害温泉から始まる勾配15%超の激坂。インナーローで片手運転しながら写真を撮る。一度止まると漕ぎ出しで失速し落車しかねな い。


登るほどに勾配が緩む。杉丸太の防護壁が終ると太良峠が近い。

太良峠に到着。汗で全身ずぶぬれ。太良峠からクリスタルラインを水が森に向かう。

帯那山高原牧場の看板でダートの林道に入る。多少ガレているが問題なくいける。


林道から帯那山直下のここを上がって本来の登山道に合流する。少し押し歩き。


山梨百名山の帯那山に到着。南ア、富士山方面にすばらしき展望。新しい標柱が建っているが古い方と違って標高1422mのデタラメ 表記はされていない。柱の間から奥帯那山に向かう登山道が伸びているので行ってみる。当然乗車。


MTB向きのトレール。

三角点と木製の頂上標識のある奥帯那山に到着。相変わらず頂上付近は藪。


下りは快適に飛ばせる。

帯那山にお別れして、5年前に辿った登山道をダウンヒル、太良峠手前からは上帯那へ向かう林道を千代田湖へと下り、自宅へ帰っ た。


6月22日(月)
転がり物は急な登り下りが不得手である。登山道では人間の足にかなうものではない。しかし走行可能であれば移動速度は人間の足 よりはるかに早い。


6月12日(金)
雲取山行では手の痛みにも悩まされた。これはダートの林道走行よりも長時間の国道走行でこたえた。尺骨神経というのがやられるら しい。今まで躊躇していたが、エルゴノミックグリップ(エルゴンGX1)を採用したところ快適になった。これはハンドルを握る親指、人差し 指周りは通常のグリップ形状で、掌が乗る部分が広い。張り出しの内部は心材が無く、ゴムだけであり振動の吸収と掌の圧迫を劇的に 改善してくれる。フラットバーでは手袋はエルゴンの振動吸収性に優れたものを使用しているが、エルゴグリップの振動吸収性はその4 0倍くらいある。


グリップの固定はバーエンド側の締め付けで行う。親指側に固定リングがないのでグリップを邪魔しない。カーボンバーのエンドにはプ レッシャープラグタイプを取り付けないと締め込みで割れる。


6月10日(水)
甲府から上帯那町にMTBで上がり、金子峠(きんすとうげ)から登山道を塚原へ下ってみた。

10:18 自宅出
11:12 金子峠
11:22 淡雪山
11:36 金子峠
11:56 武田の杜トレール交差
12:11 塚原上
12:42 自宅戻り

和田峠までは昇仙峡に向かう道。八千代商店を右折して上帯那へ向かう。


大正池という貯水池を過ぎる


宗教団体の建物下を過ぎて道路の終点が金子峠である。淡雪山への登山道があるので登ってみる。

あっという間に白砂青松の淡雪山の頂上。すぐ下に弥勒館という建物が見えて興ざめだが展望は抜群。足前はMTBシューズで十分。


空気圧を下げて金子峠から甲府側へ下る。

前半は急なジグで乗車率は20%以下。落ち葉に隠れた横溝で前へ吹っ飛びそうになった。


崩落個所あり


武田の杜遊歩道と交差、壊れた札に「北」とある方へ行ってみる。北山園地だろう。

後半は全乗車で(木道階段以外は)快適に飛ばせる。


林道に出会う


北山園地に向かう道はトレランコースで自転車乗り入れj禁止。

舗装に変わり、しばらく下ると広い道路に出る。インフレーターで空気圧を戻し、武田神社系由で自宅へ戻った。エルゴンGX1グリップ の効果を実感。




6月6日(土)
タイル剥がれを発生させた躯体下地のひび割れとは何か。コンクリートの建造物はいきなり建ち上がるわけではなく、下から上へ(横へ も)コンクリートを打設することで形を成す。当たり前だが必ず継ぎ目がある。実は固まったコンクリートに新しいコンクリートを打設して も接合しない。コンクリートを打ち重ねるには基盤のコンクリートを打ってから次の打設に入るまでの時間が(25℃で2時間以内)決まっ ている。この時間を超過すると継ぎ目は接合せず、コールドジョイントと呼ばれる有名な脆弱層が形成される。垂直方向の打ち重ねなら 水平方向にひび割れとして姿を現す。これが6月2日(火)の写真のひび割れである。規定の時間を超過して打設され、その結果のひ び割れなら施工不良である、と簡単には行かない。相手は建築屋である。相手方の屁理屈は長くなるので書かないが、管理会社は、” ひび割れは(通常の)打ち重ね面にできたもので脆弱層とは認めない”、施工会社は”打ち重ねの面にできた模様である”ときた。しか し、施工上の計画的な”打ち重ね”と明言するにはその位置の読み取りが必要なのに、相手方はその重要な位置情報を把握していな かった、できなかったことが技術担当者への詰問で明らかだったのである。続く


6月5日(金)
結局総会には、相手方の言いなりに修繕費の支払いを決定した前期理事会メンバーは誰一人姿を現さなかった。この連中は、彼らの 会期中に、私が労をいとわずにタイル剥がれ調査の説明を申し出た際に拒否した人達である。理事会、否、住人環境がこの程度という のは恐ろしい。今後建物に不具合が起きても、検証も無しに相手方の言うままに修繕費を支払ってしまうに違い無い。理事長を離れれ ば、こういう人達の多数決で物事が決まっていく環境に逆戻りである。


6月4日(木)
甲府盆地にはサイクリングロードなるものが3本存在する。盆地を形づくる逆三角形の2辺をなす釜無川、笛吹川に沿う2本、その中間 の荒川に沿う1本。今日は荒川サイクリングロードと笛吹川サイクリングロード(の一部)を走ってみた。道路からは高い土手に阻まれて 見えなかったが、堤防内側の、車の走らないサイクリングロードは別世界であった。


笛吹川サイクリングロード


小瀬スポーツ公園の向こうに北岳、間ノ岳が見え


八ヶ岳が見え


大菩薩、小金沢連嶺が見え


道間違えるとダートがあり


トイレ、休憩所もあり


6月2日(火)
写真は当管理組合が瑕疵(施工不良)と断定した躯体下地のひび割れと型枠剥離材による黄色変色である。新築施工年に発行された 建築標準たる ”JASS19 陶磁器質タイル張り工事” には下地にひび割れは無きこと、施工後の検査でひび割れが発見された場合 は適切に補修されていること、剥離材等の残存は無きことと明確に記されている。タイルが剥がれた当該下地はいずれの要求も満たし ていない。我々が相手にしていたのは施工会社東京支店の品質管理部門である。当時の御社の標準書をみせろと要求したら、”何分 にも古く、書類は残っていません”ときた。ISO9001を取得している会社である。


これがわかったのは、@修繕現場に立会い、Aタイルを剥がした躯体下地の写真を撮り、B剥がしたタイルの全数検査を行ったからで ある。何もしないで口ばかりの管理組合なら、相手方の巧妙なヘ理屈に押し切られてオシマイである。


6月1日(月)
 マンション管理組合の総会が終了して任期満了、理事長解任の運びとなった。1年間の活動の成果は総会よりもエントランス、エレベ ーター、植栽等に形としてあって感慨深い。かつてEV内は住民の要望で貼紙だらけ、搬機の上は業者の点検用具が残置され、可燃物 のオイル缶まで置かれているという惨状、ペット足洗い場は物置と化し、MTBのタイヤを洗うのも大変であった。今はEVの掲示物は禁 止事項と避難場所の2枚だけ、搬機上には何も無く、ペット足洗い場は奥まで楽にアクセスできる様になった。普段目につかない、目に しても気づかない場所の、こうした滅茶苦茶がきれいになり気持ちまで整理された。
 さてタイル剥がれの修繕費用の償還は、施工側の提案通り、文書回答なしで金を管理組合に入金する事で決着することにした。非は 認めず金だけを払い、事実を見えなくするとはブラックな手口である。建築関係を相手にするとはこういう事だと肝に命じた。しかし、文 書が無ければ今後訴訟は行わないと約束するものではない。政治力が必要な管理組合代表としてよりも、個人が提訴するほうが司法 的な処理は楽なのである。建築上の瑕疵による損害賠償請求の場合、権利行使の消滅時効は3年、不法行為による民訴上の時効は 瑕疵担保責任と違って20年である。