新・日々のブツブツ    ブログ的独り言(随時更新)
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11月4日
(シールネタ笑)
シールの不調は山スキーヤーにとっては死活問題なので追加。B.Dの糊ベタはゴールドラベル(チューブ)の全面塗り替えで 解決したが、ひと夏過ぎてどうなったか。答えは変化なし。これは画期的な出来事だ。ゴールドラベルのグルーはゲル状の基 材がなく、溶剤に溶けている状態でそれが功を奏しているらしい。1年経ってノリベタなく、粘着力も全く変わっていない。コレ昔 のアセンションの性能であり、現行の糊が1年でダメになるなら(怒)、性能の怪しい他社シールを2万円Xセット分の出費で買 い替えるか、根性でコレに塗り替えるしかない。75mm幅でチューブ2本使用、1本1650円。多少の塗りムラは全然OK。使 用前は半信半疑だったが結果に大満足している。施工は既存のノリを完全除去後、全面塗り替え。グルーは白馬の某ネット ショップで大量在庫している。


ホットスクレーパー NIC-IMPEX製
これがないとノリの除去はお手上げである。10年位前に松本の登山用具店で購入した。
代替品はマジックマウンテン MACC11 グルースクレーパー


バルコニーでゴールドラベル塗布作業中
塗り延ばしのヘラは塗装用。施工中にノドが痛く、目もおかしくなった。有害なキシレンを含む為、塗布、乾燥は部屋内では厳 禁。施工後のシールは溶剤が抜けるまで1週間は外気暴露が必要。


ベンゼン系の有機溶剤キシレンを30%含む。吸入すると呼吸器、目を損傷する。施工後のシールは居室で保管しない事。取 り扱い厳重注意である。


11月1日
(白根三山に雪)
雨が止んで雪を被った山が見えた。ついこの間まで半袖で汗かいていたのに急激に気温が下がって変化についていけない。 もう後戻りはしないだろう。山スキーのシーズン真近だから準備に入る。準備とは、シールのノリの劣化確認と塗り直しであ る。去年ひどい目に遭ったcolltex whizzz はお蔵決定、アセンションの糊べた問題はグルーリニューの廃盤で対処不可だった が補修用のBDゴールドラベル(チューブ)の全面塗布で対処できた。有効性は鳥海山で証明済み、今シーズンのシールと糊 はこれで行く。

農鳥、間ノ岳、富士山の雪化粧。


初冠雪のはずの甲斐駒に雪は見えない。


10月15日
(五指岳)
毎日グズグズした天気が続いていたが待望のお日様マークが出た。懸案の五指岳探訪へ。8:00に市営駐車場を出て1時 間で頂稜着。覚円峰を往復し、休憩後斜面に取りつく。密な樹林と下からは見えていない露岩の通過が意外にしんどい。花崗 岩は基本ホールド無く岩茸をバリバリ言わせてクラックを登ったり左右を巻いたり。やがて大きな露岩にぶち当たり五指岳の 指を確信。左は70〜80°のスラブ、右は垂壁で基部を右に伝うが上部は急峻な沢地形で突破困難とみてここまでとする。 人跡未踏、樹を透かして稜線は遥か上、もしここを弥三郎岳に抜ければ初登と思われる。 

覚円峰、仙娥滝と書いてあるのだろう、多分


フィックスロープ設置個所。▽、キケン、↑は読み取れるが一番上は”ほ”? ”は”の上に→か? 下にここから落ちたと思わ れるはしごの残骸が引っかかっている。岩は首の高さだがハングしていてホールドがない。下りが(特に)問題。ロープは太い が古すぎる、使うと危険。

頂稜の小岩峰着。ここなら数畳の広さ。仙娥滝が見える。


覚円峰頂上着。端で渓谷の俯瞰を撮ろうと肘つくと浮いてる音がする(汗)


帰りのワンショット

五指岳の最初の指


9月28日
(3大疼痛の一つ)
夜中に右下腹部が痛みだし、10分もしないうちに右の背中まで痛くなってきた、激痛。治まらないとみて119番通報、向こう からいろいろ聞いてくるが長く、そうこうしているうちに嘔吐。下の通りに出て救急車を待つ間にも激痛と嘔吐。夜中で救急対 応できるのが医大病院しかなく、遠方で20分もかけて運び込まれた。車内で痛みにうめきながら、20数年前に経験した尿路 結石と同じ症状で石は出ていないことを告げると見当がついたようだ。しかし院内では泌尿器の専門医がいなく、尿、血液検 査、エコーと診断が遅々として進まず、腹膜炎や急性虫垂炎などを疑われながら到着してからも1時間以上これ以上ない激痛 と戦いようやく座薬処方。学生のような医師や看護師?ばかりでカーテンの向こう側で談笑する声が聞こえてくる。少し緩和し てこれ以上の処方はできないと言われ紹介状を渡されて帰ろうと受付に向かうも激痛がぶり返して嘔吐。今度は点滴を打た れ500mlを5回分。針の打ち込みに3回も失敗。夜が明けてようやく治まりケロっとしてタウシーで帰宅。20数年前は昼間で 近所の専門医院に救急搬送されたので20分以内で激痛が緩和したが、今回は激痛地獄が5時間近く続いた。山で発症して 電話も通じない場所だったらと思うとゾッとする。しばらくはすぐに救急車が呼べる場所から離れられない。


9月8日
(気になる?)
覚円峰の頂上は20畳敷きと語られた方からは以下も聞いている。「仙娥滝上の弥三郎岳に伸びる尾根から覚円峰頂上へア クセスできないか」という質問に「そこを辿った人もいるようだ」と。数回の探索でツルツルのスラブ帯にことごとく阻まれた背後 からのアクセスは可能なのか?これに答えるには前回途中で引き返した頂稜鞍部から尾根を上へ登ってみるしかない。途中 で五指岳という岩峰にぶつかるが突破できるだろうか。(古い梯子等何らかの設置物が出てくる可能性はある)


甲州天台山羅漢禅寺図に描かれている熊の手の平に見える五指岳。覚円峰と弥三郎岳の中間に位置する顕著な岩峰であ る。


8月22日
(まずい?)
県教委が昇仙峡の岩場でクサビ(現場に多数埋まっているのは埋め込みボルトでクサビ=ハーケンではない)を発見したとか で各新聞がネット上にコピーネタをばらまいているが、中には動画もあったりして驚く。この岩場は覚円峰登山口の上にあり、 動画では遊歩道の某場所まで出てくる。ここは登山記録では伏せている場所なのであまり大っぴらにしてもらいたくない(繋が りがわからない人には?なのだが)。
まあ実際に辿ったところで踏み跡は無きに等しいし、いくらも行かないうちに厳しい土壁と一手だがW+の岩場に阻まれる。覚 円峰登頂を目指す人は通行人への配慮もさることながら自身の安全確保をしたうえで向かってもらいたい。


7月17日
(気になる)
覚円峰登山道?の中途にある炭焼き釜跡?が気になって写真を見直してみる。登山記録の通りで、ここは炭の製造や搬出 をするには全く不向きな場所である。炭焼き釜跡は羅漢寺山周辺以外に鳥海山の獅子ヶ鼻湿原でも見ているがこんなに大き くないし土台部分はサークル状をしている。熱効率を考えれば必然的な形であろう。石垣は全体が四角(俯瞰)で内部に土が 入り、明らかに上が水平である。記憶でしかないが一辺は2m以上。これは建物の土台ではなかろうか、とふと思った。沢地 形で傾斜地の中途、旧羅漢寺の遺構を思わせる石垣だがどうか。


ここはフィックスロープが掛かる岩場の先にある。場所からも炭焼き釜はあり得ない。建物の土台の跡とすれば何か?内部に 大きな木が生えていないので建造物があったか年式が新しいか?

炭焼き釜跡)
弥三郎岳東峰下 炭焼き釜跡
羅漢寺沢 旧羅漢寺上 炭焼き釜跡 羅漢寺沢 旧羅漢寺上 炭焼き釜跡


7月3日
(追想2)
弥三郎岳や弥三郎権現に関する具体的で現実的な話は昇仙峡地区の住民の方々や昇仙峡マイスターの方に聞いてもほと んど得られなかった。ネット上で検索を繰り返すうちにある動画が目にとまった。場所の描写は弥三郎権現を存置している岩 穴とドンピシャりである。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=sD7rgbTvh0s

南面の岩棚に鎮座する弥三郎権現の外観 弥三郎権現の岩穴内部 弥三郎権現 岩穴の内部から外を見る
弥三郎権現外観。手前に賽銭箱、奥 に社。 岩穴の内部。下に見えているのは賽
銭箱。右にカップ酒の空き瓶多数。
社の後ろから外を眺める

弥三郎権現は高みにあって下からは祠しか見えないが、1段上がって(注意危険)岩穴全体を見ると底は平らで人ひとりが足 を曲げて寝れるくらいのスペースがある。ここからは羅漢寺山周辺の山々がテラスからの景色の様に見えて大変美しい。弥 三郎さんもこの景色を眺めていたのかなあと思うと感慨深い。
清掃登山の際の写真。


7月2日
(追想)
覚円峰の頂には残念ながら伝承の証となる残置物はなかった。最も気になるのは岩の階段である。かすかに踏まれた痕跡 はあるが、穿たれた当時のままを残している。几帳面に奥まで掘られ、タガネのスジ目の花崗岩の粒子が脱落してボロボロな のが面白い。階段は風化が進む表面より硬い花崗岩内部の露呈であり、こんな風合いは数十年では絶対に出ない。昭和、 大正期の近代に施工された足場、手掛かりなら岩の階段ではなく、鉄のハシゴや鎖だろう。誰がなんの目的で作ったものか。

覚円?より怪しいのは昇仙峡の御岳新道を開削した長田円右衛門である。新道開削の為、石工を雇ったとする記録をみてい るから、その石工が覚円峰の岩頭にステップを工作した可能性はある。昇仙峡ロープウェイ駅舎の近くで店を経営する長田 上さんの話によれば、現在の御岳新道(渓谷道)の仙娥滝観瀑台から覚円峰の手前辺りは、ダイナマイトで半トンネル状に工 作された中を遊歩道が通じているが 、開通当時は岩場の外側に穴を穿ち、丸太を差し込み、板や棒を渡して人馬が通行で きるようにしていたとのことである(昭和初期の黒部峡谷日電歩道のイメージ)。岩頭のステップの加工は、この丸太棒を差し 込む穴の加工方法や道具、石工、スポンサーがいればできたであろう。(勝手な解釈)。とりあえず登れればというレベルでは なく測ったかのように正確な作り(水平垂直が出ているかは未確認)であり、僧の手作りというより職人技である。

岩ステップの施工には日数がかかるであろうから通いで例の岩場には梯子の設置が不可欠であろう。登山道完成までに相当 な月日や労力、資材も必要であろうし、円右衛門の時代のものならなぜ記録に残さなかったのか不思議である。もしかして地 元が未公開のまま所蔵しているのか、未発見で埋もれているのか、知っていて隠しているのか。昇仙峡ばかりか覚円峰を世 に広めるために登山道も開拓したが、道程があまりに険しいのと下の御岳新道(当時は岩場の外側に道)の通行者への落下 物の危険性から一般への公開を断念したとも考えられる。


7月1日
(やられた)
今日、脇腹がチクっと痛むので見たらほくろのようなものがついていた。ハハアと思い食い込んでるモノをニッパーで強引に引 き抜き、拡大鏡で確認すると足が生えていた! マダニである。6月26日にさる場所をMTBで走っているので以降から皮膚 の中にいるらしい。皮膚科に聞いたら来院を宣告されて、行くとクチバシが残っているかも、ということで切開されてしまった。 抜糸は1週間後、抗生物質の内服が2週間。ゴミの付着といっしょで注意しようがない。


確かに。口が欠けているっぽい。


6月26日
(山小屋に灯がともる)
自宅から見える富士山の山小屋に灯がともっていよいよ夏本番である。吉田口の開山は7月1日とのことで準備に大忙しだろ う。例年だとこの時期富士山の姿は拝めないが今年は例外である。空梅雨、異常酷暑とか、どうか変な天候になりませんよう に。




6月20日
(MTBでもう一本)
前回MTBで御岳町から車道を経て羅漢寺山を往復したが消化不良に終わった。今回下福沢付近の林道から自然観察路 (御岳道外道)の途中へ入り羅漢寺山を往復するプランを立ててみたがどうだろうか。


県道101号の獅子平の登山口(自然観察路)は見送る。


下福沢付近で地図にない急な林道へ入る。草ボウボウだが上にヒノキ植林地があって森林管理や木材運搬に利用されてい るようである。ここからMTBデポ地までほぼ全線押し。


獅子平からの道に合流。

太刀の抜き岩に立ち寄る


白山にも立ち寄る


羅漢寺沢の降り口付近にMTBをデポしてパノラマ台へ向かう。

八雲神社(八王子山ともいう)に到着。ロープウェイ駅舎で飲料を買って休憩。下山にかかる。

パノラマ台下からMTBデポ地の間には急斜と大岩がある。

県道までの下りは快適乗車区間。谷側が切れ落ちているところや大きな倒木が数か所あって担ぎで通過する。林道は急(15 〜17%)だが乗車でいける。


秩父多摩甲斐国立公園の普通地域の外縁を通行する。自転車への規制適用はないはずである。

11:23 自宅発
11:54 金石橋
12:28 林道入口
13:01 獅子平分岐
13:14 太刀の抜き岩
13:34 白山
13:59 MTBデポ
14:23 八雲神社
14:39 MTBデポ
15:01 獅子平分岐
15:10 林道終点
16:00 自宅着


6月15日
(貼り紙の裏に見えるもの)
そもそも大蔵高丸の花畑とは何ぞや、を抜きに話は始まらない。ここは現地をみれば一目瞭然だが周囲のブナ林とは植生が 異なりススキ(萱ともいう)が多量に繁茂する原野である。もとは萱取場(ネット情報)で天然林を野焼きした跡地に今はススキ の隙間や岩礫地帯に花々が息づく。時の経過でススキに駆逐され、ススキもブナなどの広葉樹に駆逐される運命にあるかも しれない。自然の輪廻の一時に我々は花を見ている。
MTBを登山者がどうみるかは気になるところである。自分はマウンテンバイカーも登山者も偏見なくみることができる。基本 MTBは草のない登山道しか走れない。それで、登山道の損傷を評価するにはMTBのタイヤと登山靴の接地面積を比較すれ ばよい。歩行では片足前半が地面をけり推進力を得ているが全面接地換算(自分の足)、MTBは急な登り下りがなく常時両 輪走行でいずれも距離2mなら
登山靴=8cmX26cmX5歩=1040cm2
MTB=2.5cmX200cmX2本=1000cm2
でMTBと登山靴では大差ない (!)。自転車では同一線上を2度タイヤが通過するが、荷重が2輪に分散しているから補正 は0.5X2=1で必要なし。
一方、大蔵高丸に登る登山者の数はマウンテンバイカーに比べて数十〜数百倍にもなるから損傷はMTBの比ではない。本 気で登山道損傷を心配するなら登山者の立ち入りを抑制すべきである。


6月13日
(自転車通行禁止の根拠)
大蔵高丸の門扉に掲げられていた”自転車の通行禁止”の貼り紙が気になっていたので甲州市観光交流課に電話してみた。
まず門扉、柵、網はシカによる食害防止が目的でありそれ以外の目的はないこと。貼り紙の”自転車の通行禁止”の根拠を聞 くと*条例等の根拠はなく、登山者から狭い道で自転車とのすれ違いで危険を感じたとの意見があり表示したとのこと。これは 直前に電話した山梨県森林環境部も同じ回答。自転車とのすれ違いが危険というのは自転車(MTB)乗りのマナーの問題で あり自転車通行注意とでも記載すればよく、条例や法的な根拠もなく表示が不適切だという指摘に対しては今後意見をとりい れて検討しますとの回答である。1か月後に大蔵高丸を訪れて同じ貼り紙がされているなら直接甲州市役所に出向いて厳重 注意する。電話の応答はレコーダーで記録済。


3年ぶりに訪れて自然景観の変貌に驚く。”門扉”に貼られた貼り紙にも驚く。

*条例
当地で自転車(条例では車馬)の通行を規制するには、秩父多摩甲斐国立公園か山梨県立自然公園の特別(保護)地域に 該当する事が適用条件となるが大蔵高丸はいずれにも該当していない。


5月25日
(ちょい乗りのつもりが)
地元荒川サイクリングロードは甲府市街から上流側を走ったことがない、それで行ってみることに。千秋橋をスタートして橋を 何本もくぐり、1回だけ信号機のある道路をわたる。最後は金石橋で県道7号に出てサイクリンロード終了するが川沿いを上 流に向かうと昇仙峡の岩場が見え長澤橋に到着してしまう。折角なので平日で車の通行があるかもしれない渓谷道に入り、 途中トテ馬車を追い越して、渓谷に転がるXX岩の数々を見ながら車道末端まで走る。県営駐車場に上がると売店で店番して いる年配者が目に入る。ソフトクリームを注文しがてら、地元の方であることの確認と外に見えてる覚円峰について尋ねると、 今までと同様子供のころ(年齢聞くがあやふや)登ったことがあるという。仙ヶ滝上から沢渡って鎖を伝い途中まで、危ない箇 所で引き返しているので岩頭へは登っていない、だから岩の階段は知らない、地区の子供は大概覚円峰に登っていて、でも 途中まで、という回答だった。10年くらい前に岩頭に人が立っているのを見たともいう。途中で人を待たせて1〜2人でという。 あるクライマーの閉鎖ブログの断片と内容が一致する。パズルの隙間が少し埋まる。
ここまでのコースは和田峠を経由するより勾配ゆるく容易い。信号待ちがないので所要時間も短い。甲府市街から昇仙峡へ の一押しのサイクリングコースである。


昇仙峡渓谷道入口


県営駐車場


5月3日
(ホワイトアウトの鳥海山総集編)
再度鳥海山へ。1日に甲府を立ち、2日は象潟口をスタートして新山、外輪の各峰を周回する計画。過去3回の鳥海山は南 (湯の台)、東(祓川)、北(中島台)から入山しているので今回の西側を入れると4方向から鳥海山を山スキーで味わい尽くす 事になる。しかし、


象潟口、鉾立駐車場の稲倉山荘の軒下で雨やどり。傘させば出れるかも状態。


ホワイトアウトの新山頂上。今回は大回りにスキーで登りあげた。


4月21日
(鳥海山千蛇谷山スキー)
19日に自宅を出て鳥海山の千蛇谷に向かってみる。秋田県にかほ市までの片道9時間は九州時代の大山に匹敵する長旅 である。中島台からの新山は鳥海山では一番のロングコースだが結果やいかに。


新山の頂上は5m位の溶岩ドーム?が乱立していてピークが分かりにくい。ちょっと低めの安全そうなピークで写真。


4月17日
(改 覚円は平安時代の僧ではない)
 覚円峰命名の時期は江戸後期であり、沢庵禅師の弟子、覚円は江戸前期の僧である。これは昇仙峡ロープウェイの職員 に紹介された昇仙峡マイスターの方からの教示である。
 当地の覚円はウィキ上にある平安時代の僧”覚円”とは別人である。そもそも覚円は沢庵禅師の弟子とされ、沢庵は安土桃 山〜江戸初期の僧であるからその弟子が平安時代の僧であるはずがない。こう書くとネット上の某著作者を攻撃することにな るので控えていたが、間違いは正さないといつまでもまかり通る。
 覚円峰にまつわる情報の詮索で判明したのは、ネットに出回る情報のほとんどは事実や正確な根拠に基ずくものではないと いう事である。それは弥三郎権現でも同じ経験をした。 根拠が明確でないネット情報は安直に鵜呑みにすべきではない。


3月17日
(クトーの理想形?)
どうしたところで、所詮は6本爪(当機)アイゼンである。そのつもりで使いたい。




3月8日
(クトーのあるべき姿?)
クトーの理想形を作って見た。
まだ仮止め段階。耐久性と加工性の両立でアルミの板厚は検討中。

Dynafit 純正クトー)

三山の尖りはネットショップの掲載画像と違うので注意。2016年購入品はこうなっていた。


以下理想形試作)
@ゴムバンドでクトーを靴底に密着すれば歩行で引きずり抵抗が出ない。ゴムバンドのフックをクトーの穴に引っ掛ければ装 着完了。
A軟雪での後退防止用にフィンが付く。(アイゼくんのパクリだが個人使用の為、特許権を侵害しない)。フィンはクトー本体の 成型でなくネジで後付する為不要な時は外せる。(独自仕様)

クライミングサポート中段。
クライミングサポート上段。
B靴底間の隙間を埋めるスペーサーはクライミングサポートの段に合わせて2段切り替え。L字アングルの可倒で高さを変え る。下右写真は左より高さが1.4Xになるが靴底への接触点が後退するので1.2X位か(泣き)。嵩上げせねば。


以下本機製作のレシピ(随時変更)。
材料)
アルミアングル(等辺L字 15X15mm、厚1.5〜2mm)
アルミアングル(不等辺L字 10X20mm、厚1〜1.5mm)
蝶番(小)
M3ボルト、ナット(長5&8mm ピッチ0.5)

工具)
ハンドニーブラーアルミ切断用)(引用元:amazon.co.jp
ドリル、刃(穴あけ用)
ヤスリ(整形用)

@A(一部)Bは世間出回り品に該当機能がない、独自仕様。

完成形)

重量)
Dynafit純正90mm = 94g/片側
B&D製90mm(+1段スペーサー) = 124g/片側
当完成品90mm(+2段スペーサー+後退防止フィン) =132g/片側


2月27日
(クトーとは何ぞや)
山スキーに使用する?クトーという中途半端な道具を見直してみる。
これはシールのグリップ限界を超える急斜面か、硬い雪面でグリップを得るのが目的で使用するというのが謳い文句である。 しかし、実際使ってみると、軟雪の急斜面では雪が切れてズリ下がるし、歩行抵抗により前へ進み難く、本当に硬い雪では刺 さらなかったりで用をなさない。硬い雪ではアイゼン歩行に切り替えるほうが安全、確実である。で結果として、使用頻度が少 なく、いつもザックに封印されたままとなる。発案されて以降、機能面で熟成がなく、道具として不完全だからこうなるのであろ う。

進化形となるか
スノースタビライザー ATアイゼくん引用元:http://snow-stab.com/ataizekun.html
残念なのは固定バー周辺の形状がTLTと異なるため、TLTのトゥへは直付けはできず(加工すれば可能)、専用金具にてビ ス留めが必要なのと刃が大き過ぎること。

板に固定するタイプ。踵を上げると板のテール側が上がるテレマークには使えるが山スキーに使うのはおかしい。
Volieスキーアイゼン(引用元:amazon.co.jp


1月31日
(山スキーは道具地獄)
 山スキーに出かける準備段階で道具の多さには面食らう。数もさることながら1品1品の効能や限界も見極めていなければ ならない。まるで工事現場にでも行くみたいだ、といつも思う。
 新調ブーツ(昨年購入のTLT6 CUSTOM LIGHT)は登山靴並みに軽量(1kg)だがその分インナーがペラペラである。軟骨 の出っ張りがあったりすると直当りする。インナーが薄いので保温性も劣る。
 こういうキワものは家では問題点を把握出来ない。使ってわかる事が多いので山での事前チェックと帰ってからの対処法の 構築は欠かせない。


このインナーの薄さ。縫合部はさらに薄い。


甲周りのあたりは熱変形で対処するしかない。
左から、ブーツ、ポイントストレッチャー、ヒートガン(温調付き)、放射温度計。


当たる個所にマーキングして温度管理(シェル表面は150℃程度)しながら慎重に作業する。加熱、変形後は速攻で流水で 冷やさないと戻りが出る。工具は違ってもプロショップと同じ方法である。ガルモントのつま先は同一個所を時期を変え3回程 8mmの押し出しを行なっているが(伸張機は上と異なる)数年使用後の現在でも破損は発生していない。


ネットを見て自作した”ピンチクリアー”。懐の深いクランプを使用する。バックルをよけてセットするまでに時間がかかる。クラ ンプを回すのも時間がかかる。グズグズしていると熱した個所が冷えて硬化が始まる。熱塑性に不適な温度で大きな力をか けるとシェルを破壊しかねない。厚手のシェルや開口から遠い指周りにはいいかも、今回は没。


1月25日
(沢入から釜無山)
1月22日は入笠山の隣、釜無山へ。主たる目的は新調装備のチェックと慣らしである。沢入の駐車場から山頂の往復に12 時間。長丁場を覚悟していたが、ここまでとは思わなかった。先週まで積雪はほぼゼロ、前日までに50〜80cmくらいの降雪 があったらしいがストックを強く差すと路面にガチンとあたる。障害は笹雪ラッセルと新調装備。埋まりきっていない笹のラッセ ルは新雪ラッセルよりはかどらず、シールが装着後数時間で剥がれて歩行が重く、ブーツはアチコチあたりがでて痛くてたま らず、問題のパレードに途中で帰ろうかと何度も思った。根性と我慢で何とか完了。帰ったらブーツのあたりの対策で記録どこ ろではなかった。

入笠林道の出だしは歩き。除雪終了の先からスキーのトレースがあったが一回目のショートカットの上で消えた。

林道から離れて釜無山登山道の出だし。笹雪ラッセルの始まりだ〜

1月22日 釜無山遠望
釜無山遠望。

1月22日 釜無山山頂
かろうじて蓼科方面に展望のある釜無山山頂。


山頂到着前に早くも応急処置の新調シール。ブーツのあたりも酷い。


帰路は大阿原湿原から往路につけたトレースがスノーシューで踏まれていて滑らず。。2年前はボブスレー滑走できた9%勾 配区間は歩きになった。。。駐車場に帰着したのは真っ暗になってから。


1月19日
(山スキー始動)
 南岸低気圧が通過して甲府も雪景色である。2年前に手がけたバンディットB3の自作ステップソールは春の富士パラ〜入 笠山で1度試してみたが十分な確認ができていない。この雪なら近場での評価に十分すぎる積雪量である。
 前回、入笠山と国師ヶ岳ではゲレンデ用の板を使用した。当時は鱗ソールの効果が不明で捨ててもいいような御蔵板であっ たがバンディットはそうではない。今年はアセンションの欠陥ノリベタシールから脱却すべく別メーカー品を購入しているのでそ の評価もしてみたい。行先は2年前と同じ沢入からになるだろう。


富士パラが見える北西側の景色。”帳尻合わせ”にしては多すぎる。


12月7日
(12月3日の続き)
現羅漢寺に掲示されている弥三郎岳の南面、鎧岩を中心に描かれている絵図である。デフォルメされているが恐ろしいほど 正確。旧羅漢寺が羅漢寺沢の左岸に描かれているし、羅漢寺沢入り口付近の右岸の道も現在の踏み跡と同じ場所にあって ボルダラー達はこの道を通う。


甲州天台山羅漢禅寺図(クリックで拡大)。兜岩、筆岩等の名称が記載されている。黒の明朝は書き込み。


12月3日
(現代の伝承はパンフレットか)
 覚円峰登頂ルートの探索、検証時に困惑したのは弥三郎岳と覚円峰の混同視だが、その主たる原因(と思われる)は地区 で配付しているパンフである。酷いのは覚円峰の下に羅漢寺山の名が記されていることである。加えて覚円峰は弥三郎岳の 支尾根の属峰なのに、大きくデフォルメし過ぎていてこれとのセットで覚円峰が羅漢寺山の主峰と勘違いしてしまう。さらに、よ ろい(鎧)岩、かぶと(兜)岩、筆立て岩(羅漢寺の絵図では筆岩)は羅漢寺山、弥三郎岳の頂上直下にあるのだが、覚円峰の 周囲に描かれているのも致命的なミスである。
 これらの地名や位置はトーフ岩とかオットセイ岩とは由来の重みが違うのだから間違わないで欲しい。パンフがいつまでもこ れでは地元の認識はこれくらいと見られるし、それをみる人の勘違いもそのままである。

間違いだらけの昇仙峡パンフレット。勝手に呼び名の位置を変えないでね
間違いだらけの昇仙峡パンフ。勝手に呼び名の位置を変えないでね(笑)


11月24日
(フルーツライン午後錬)
甲府の最高気温は22℃。今日は暑い。しかし汗かいた後の下りで体が冷え切る。雁坂道の40km走行で元を取った。


11月17日
(表題変更)